| 焦土 / くろいぬ |
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【ヒューロイ】 そこには何もなかった。 焼き尽くされたイシュヴァールの大地は、さらさらとした灰に覆われるばかりだった。 「見事なもんだな」 白茶けたジープから降りたヒューズは、掌に灰をさらった。 微粉末が僅かな空気の流れに舞い上がり、細かな硝子質だけがそこに残る。 「何もない。何も残らない。残りなどしない」 真っ平らになったこの地にイシュヴァラの神が降臨したら、どう思うのだろう。 驚くのか。 悲しむのか。 怒るのか。 そも、神に感情などというものが備わっているのか。 「カミサマに既知はいないからな。先ずは腐れ縁の大馬鹿野郎を捜さないと」 ガソリンのタンクを積んだジープの、助手席に放り出してある双眼鏡を手に取った。 この荒野を燃やし尽くしたロイを、ヒューズは丸一昼夜探し回っていた。 「灰の大地と青い空。きれいに二分割されてんな」 ピントを調整し、呑気な口調の独り言とは裏腹な、食い付く目線でレンズに映る像を探る。 「……なあ、そろそろ見付かってくれよ」 「帰って来いよ」 『焦土』 白く真っ平らな大地に小さな黒点がひとつ。 ジープで急げば、小さな点は徐々に横たわる人影に変形して行った。 人影の傍で、ジープはガタガタと振動しながら停車した。 それまで軌跡に沿って立ち昇っていた土煙が、風に乗ってゆっくり真横に移動して行く。 「よぉ。こんな所で昼寝か? 優雅だな」 「……埃を立てるな」 ロイ・マスタング。 ヒューズの親友は、粉塵を避ける為に手の甲を口元に宛て、枯れた声をあげた。 「ちっとの埃をどうこう言えるような格好してねえぜ? どうした、色男? さっさと起きて、戻ったら簡易シャワー浴びてスッキリして、軍特製の拙いコーヒーでも飲もうや」 返事をしようとしてロイは咳き込み、躯を横向けにし身を抱くように背を屈めた。 「どうした? 声が小さくて聞こえなかった。もう一回言ってくれ」 ヒューズはゆっくりジープから降車した。 胎児のように丸めた背を見つめ、足音を立てぬように近付きながら、声を掛ける。 「作戦は終了。作戦の最大功労者は、街に戻ったら上官にバーでたかるくらいのことは許されるだろ。俺もご相伴な。酒をたかる為には先ず帰還して、シャワーで身綺麗にしなきゃな」 灰の大地を噛む軍靴の足音が近付くことにロイは気付き、閉じた目蓋の下で眼球だけを動かした。 「冷たいシャワーがキライか? なら喜べ。うちの部隊にも昨日ドラム缶風呂が出来た。一気に3つだ! すげえだろ」 ロイの口元に宛てられていた手が、はたりと落ちて灰を舞い上げる。 「……ューズ」 「どうしたよ。ちゃんと戻れたら髭でもあたってやろうか? ドラム缶風呂でぴかぴかになった後に、蒸しタオル宛てて丁寧に石鹸泡立てて、これ以上ないってくらいにつるつるにしてやる……」 「ヒューズ」 訴えるような声音ではあったが、ロイに名を呼ばれて、ヒューズは目付を和らげた。 「ヒューズ」 「何だ」 「もう動きたくない」 「寝足りないのか?」 「眠りたくない。夢など見たくない」 ヒューズはロイの背中側に腰を降ろした。 「じゃあ起きろ。ムサい髭面でよければ幾らでも見せてやる」 「立ち上がりたくない」 ヒューズはロイの髪に指先を近付けた。 艶やかな筈の黒髪は、灰にまみれて半白の老人のもののようだった。 「ヒューズ。もう動きたくないんだ」 「そうか」 空気が動き、遠い地平線が霞んだ。 ヒューズはゆっくりと自分の身を倒し、頭上に広がる真っ青な空を眺めた。 隣に横たわる躯と自分の鼻先以外のものは、360度視界に入って来ない。 つい昨日までここに存在していた筈の、木々や建物、人々やその営み。 それら全てを焔が消し去った。 何もない。何も残らない。残りなどしない。 自分ひとりを消し損ねた錬金術師だけが、灰の大地に置き去りにされた。 ヒューズが自分の隣に寝転んだ気配を感じ、焔の錬金術師が躯を仰向けた。 「放っておいてくれ」 「そいつぁダメだ」 並んで仰向きながら、拒絶の言葉に即座に声が返る。 投げ出されたロイの腕をヒューズは持ち上げ、目の前で眺めた。 錬成陣が埃にまみれて薄れた発火布の手袋を、丁寧に外して放り投げる。 きれいに切り揃えられた爪を暫く眺め、ひとつひとつの指の関節を、確かめるように摘んで動かす。 「動きたくないんだろ」 腕を取り戻そうとしたロイに、ヒューズは声をかけた。 「何もしたくないなら、俺の好きにさせとけよ」 全身灰にまみれているのに、手袋に包まれていた掌だけはきれいなままで。 明らかに男の手ではあるが、さしてごつくもない指の節と滑らかな膚。 手首は日焼けとは縁のなさそうな青白さで血管が目立つ。 ヒューズは両手でロイの掌を包み、目を瞑ると恭しく甲に唇を触れさせた。 「……っ!?」 拳の関節の円味ひとつひとつに唇を押し当て、味わうように含む。 「やめっ……!」 「静かにしてろ」 手の甲に唇を付け、引き攣る指を曲げさせ関節の動きに合わせて伸縮する皮膚を感じ取る。 一番目立つ中指の付け根から、薬指、小指へと。 指のまたに舌を滑らせ隙間へねじ込む。 「!!」 ロイの顔が歪んだ。 ヒューズは、再び延ばしたロイの指を根本から遡るように舌で舐め上げた。 滑らかな膚の上を熱くざらついた舌が辿る感覚に、堪え切れずに強張るロイの指を、ヒューズは逃さぬように掴み上げる。 「ヒューズ、……っ」 「動くなよ」 自分でも意識して触れぬような場所に舌を這わされ、ロイが息を呑む。 手袋を奪われた無防備な膚が、敏感にヒューズを感じ取った。 「……!」 ヒューズは指を咥え込み、ロイは背筋を弾かれたように反らせた。 すっぽりと熱い口中に指が含まれ、唇と舌が締め付け、扱く。 「堪えんのもやめろ?」 眉を寄せ、固く閉じていた目蓋をロイが上げるのを、色素の薄いヒューズの瞳が捉えた。 睨む目付きでロイの視線を絡め取り、見せ付けるように指をしゃぶる。 「あッ……」 ヒューズが唇を上下させ、視覚と体感に感覚を揺さぶられたロイが身を震わせた。 指先を痺れさせた快感が、全身に熱を運ぶ。 ロイの下腹がアツくなった頃を見計らい、ヒューズは、ぎち、と歯を立てた。 「イ…ッ痛ぅッ!」 関節の皮膚を小さく食い破り、血を滲ませる傷に舌先を押し付ける。 「ッ、やめッ……!」 ロイはヒューズの視線から逃れられぬまま、眦に涙を滲ませた。 「や、め」 「聞こえねえなあ」 「……っア。ツっ、い、た……!」 薄赤いものを唇にまとわりつかせ、ヒューズはロイの爪をねぶった。 ゆっくりと、爪を味わうように舐め、くすぐるように歯を立て先端を吸い上げる。 「……ッ、ヒュー、ズ、……ヒューズっ」 「……ロイ」 散々に、並ぶ指を喰らい尽くされたロイが、溜息混じりに呟いた。 「無理矢理フルコース喰らわせられたような気分だ」 「フルコースに料理されたような気分じゃなくて?」 「それもあるが」 ロイは躯を転がし、横に並ぶヒューズの腹の上に頭を勢い良く乗せた。 「ぐっ」 「さんざ、他人を好きにしてくれたな」 「ご馳走様でした」 戯けたヒューズの声を聞き、ロイはクッションの腹に自分の頭を数度打ち付けた。 「降参」 「私が報復を忘れるタチだと思ってるのか、ヒューズ?」 「思わん」 「判ってるじゃないか」 ロイは最後に、思い切り頭をヒューズの腹に打ち付け、情けのない悲鳴を聞いて満足げな笑みを浮かべた。 「判ってるじゃないか。それなら……」 言葉の途切れたロイの視線を追い、ヒューズは天を見上げた。 突き抜けるような透明な青が、どこまでも続く。 「『次』も頼む」 「……ああ」 燃やし尽くした灰の大地。 生者のいた証すら、今は何ひとつ存在しない。 広がる灰の荒野の中に人影ふたつ。 「私がまた、焼け野原の真ん中で呆けているようなことがあったら、耳でも引っ張って連れ帰ってくれ」 「……ああ。何度でも迎えに来てやるよ」 焔の錬成術を必要とする作戦があれば、ロイはまた駆り出される。 生者のいた証すら残さず、自分の精神を焔で炙るロイは、何度も苦しむことになるのだろう。 ヒューズは何度目かの苦い決心をした。 その都度俺は、おまえを引き戻す。 何度も地獄の淵へ突き落とし、また連れ帰るよ。 なあ、ロイ。 どうかまた、一緒に帰ってくれよ。 俺を許してくれよ。 「今からなら夜にはキャンプに戻れるな。それまで、ドラム缶風呂の夢でも見ながら寝てろ」 ジープの助手席で毛布に身を包み込んだロイに、エンジンをかけながらヒューズは言った。 助手席に、双眼鏡と共に放り出されていたスキットルからスコッチを飲み、ロイは大人しく目を閉じた。 ジープが振動し、土煙を上げながら発車した。 「ヒューズ」 「何だ?」 「ただいま」 エンジン音に紛れて消えそうな声だった。 「 ―――― おかえり」 イシュヴァール殲滅戦の宣戦布告からまだ間もない頃。 fin. |