スタンバイ / くろいぬ
【ガンガン8月号ネタ】【ジャクリーン】






『スタンバイ』



 その部屋の窓は板を打ち付けて塞いであった。
 気配を消す為、灯りを点けることはない。
 身の回りに置いてあるのは、僅かな糧食と水。
 無闇に重たい無線機。
(これでも最新式の小型携帯無線機なのだ。これを調達した時の、“ケイト”の自慢げな表情を思い出す) 
 それと、小便を溜める為の、そのヘンで拾った空き瓶。
 これだけはどうしてもと粘って許可を貰った煙草と灰皿。
 毎日勤務後に暗い部屋に籠もって待機状態、いつまで続くか、長期化すればこちらの方が襤褸が出る。
(何せこちらは『敵を欺くにはまず味方から』どころではなく、中央の人間全部が敵であること前提。勤務中に隠れて居眠りするにも限界が)
 さして時間はかからないだろうとの大佐の予想だけれども。
(外れないでくれと心から願う)

『あー、あー? ジャクリーン?』
 雑音混じりのケイトの声がヘッドフォンから聞こえる。
「何か変化が? ケイト」
『いいえ何も。静かなものだから気になっただけですよ。起きてます?』
「勿論。このお仕事の為に昼間しっかり睡眠確保してるんだから。……つっても途切れ途切れで三時間睡眠じゃ、お肌が荒れて困っちゃう」
『三時間睡眠確保出来たら立派なものですよ、ジャクリーン』
 ケイトが呆れ声を出し、笑った。
『そちらより、こちらの方が寝ちゃいそうでやばいかな。部屋が暗いものだから本を持ち込む訳にも行かないし……しかも酷く気持ちがイイ』
「あァん?」
 ヘッドフォンの向こうから、ごそごそと何かが動く気配が伝わって来た。
『こら、もう。くすぐったいですよ』
「おい、フュ……、ケイト?」
『あっ、何す……』
 柔らかく重たいものが床に倒れる気配。
「こらケイト! 誰連れ込んで何してやがんだよ!」
 吊り棚のようなこの作戦で、大佐の神経の殆どは情報のコントロールに費やされていた。
 部外者を連れ込むような真似は“ケイト”はするまい。
「まさかエリザベスがそっちに行ってんのか?」
『まっさか!』
 仰向けのままらしい声に、即座に否定された。
『エリザベスはしっかりお仕事中ですよ。そうじゃなくてここにいるのは黒髪で黒い瞳の……』
「大佐っ!?」
『……エリザベスの所の、鼻も黒くてシッポの可愛いコですよ』
「ああ」
 愛嬌のある顔付きの黒犬の姿を思い浮かべた。
 大佐が来るなどあり得なかった。
 あの人は中央の監視の目を引きつけるのが役目で、それが俺達に接触を持つことなどあり得ない。
『スナックを食べたら口元べろべろ舐められちゃって。ふわふわ毛が柔らかくて暖かくって、気持ちがヨくて困ってます』
「おまえ。この任務終わったら、柔らかくて暖かくて気持ちがイイ、人間の女の子探せよな」
『ジャクリーンに言われると、結構傷つくなあ』
「…………。」

 ケイトは俺が居眠りをしているのではないかと心配して、エリザベスに繋がる回線を一旦切って、様子を伺おうと思ったのだと言った。
『余り長く接続を切ってるとエリザベスが心配しますから』
 まだ寝転がったままらしいケイトの声が聞こえた。
 本当は少しばかり雑談したかっただけなんだと思う。
 ケイトはこの作戦を楽しんでいるから、オモテには余り出ないがはしゃぎ気味だ。
 ヘッドフォンから犬特有の忙しない呼吸が聞こえたから、多分胸に真っ黒くてシッポの付いた可愛い子ちゃんを乗せて上機嫌なままなのだろう。
 暖かい重みにのし掛かられてるケイトが少し、羨ましかった。

 ひとりで騒げるほど器用でもなく、再び静けさの中に。
 隣室の物音に耳を澄ませば、鎧のバリーの立てる硬質な足音と、その辺の酒瓶の木箱に躓いたらしいファルマンのよろける足音、何事か話すくぐもったが声が聞こえる。
 閉じ籠もっていると息が詰まると文句を言いつつ、案外楽しそうに過ごしてるじゃないかと思う。
 暗闇の中、ひとつ溜息をついた。
 背筋を伸ばし、ぐいと両腕を真上に伸ばし。
 壁に寄りかかったまま躯を横に倒し、何かを胸に抱えるように腕を丸くした。
 暖かくて柔らかで黒い。
 何かを。
 誰かを抱きたくて。
 空を抱いて曲げた腕の先で銃が重たく床に音立て、頬に冷たい鋼鉄が触れた。

 ここに籠もってたったの三日。
 体力的には全然余裕、精神的にもまだ疲労を感じない。
 もっと劣悪な条件下で長期間不眠不休の働きをしたことなど、今までに何度もある。
 継続する緊張が呼び起こす軽い高揚感の心地よさは、戦時中に軍が配った粗悪品の覚醒剤など及びもしない程だ。
 それなのに心のどこかがで焦慮を感じてるのは、この作戦を進める人物の強い原動力になっているのが、今はいないひとりの男の存在、或いは不存在であるからだと判っているからで。
  ─── 早く終わらせたい。
 コレが終わった所でまた次の作戦が待ち構えているのは判っているし、軍での肩身が広くなる訳でもなく、寧ろ敵ばかりがモノスゴイ勢いで増殖してるし、あの人の心が男に囚われ続けることに変わりはないけれど。
 本当に全部終わるのは、遙か先のことであると知ってはいるけれど。

 こうも真っ暗闇だと、簡単に誰かの顔や何かものが思い浮かぶ。
 どれほど鮮明に思い浮かべたところで、どうしようもないのが判ってるのに。
「ロクなこと考えやしねえ」
『何か言いましたか、ジャクリーン?』
 自分でも口に出したか出さなかったか判らないような小さな呟きを、ケイトは拾い上げて問うて来た。
「いや。何も」
 腹筋だけで勢いよく身を起こし、飲み水を詰めた瓶に口を付けてから、煙草のパッケージを振った。
 飛び出してフィルタを見せた一本を唇に咥え、火を付ける。
 ふうと、吐き出した紫煙だけが、窓の隙間から差し込む僅かな光を吸い込み、この部屋で明確に形を取るもの。
 思わず伸ばした腕の、指をすり抜けて行く。

 目指すものも立ちはだかるものも、途方もなく大きくて。
 一段一段慎重に昇る階段がいつ足元から崩れるのかも判らず、焦っては掌は空を掴むばかりかもしれず、ああでも、今回みたいな幸運だか不運だか明瞭りしないトラブルが向こうからやって来て、物事が飛躍的に動き出すこともあるし。
「やるしかないんだよなあ」
 あの人の為に。
 煙草の最後のひと口を深く吸い込み、灰皿にねじ込み火を消した途端にもう、唇寂しさを感じた。
 もう一本とパッケージに伸びそうになる手を堪えるのに苦労し、苦笑を浮かべながらまた、待機の姿勢に戻った。 




fin.