| そこにあるもの / くろいぬ |
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【ヒューロイ】 『Melissa』 「あ、ヒューズ中佐」 「よぉ」 東方司令室を訪れた俺に、ガタイのデカい金髪が敬礼した。 「大佐がお待ちかねですよ」 「おう。悪ぃな、暫くアイツ借りるぞ」 長引いてる戦犯の裁判に、ロイの証言が必要となった。 調書を取る為に資料をごっそり運び込んでのことだったから、文字通り『お宅の司令官のお時間を暫く頂きますよ』の挨拶のつもりで言葉を発し、それが耳を通ってから、言い間違えたと気が付いた。 案の定、金髪の少尉の眉が微妙なラインを描く。 俺に他意がないのが通じただけに、何気ない言葉にまで感じてしまう裏事情に、困惑を覚えているのかも知れない。 「ヒューズ中佐。大佐はこちらです」 背筋の伸びたホークアイ中尉が、書類束を抱える俺の為に司令官室の扉を開き、そして閉じた。 「よっ。相変わらずシケたツラしてんな」 「協力を要請しに来たんじゃないのか? 喧嘩売る気ならさっさと帰りたまえ」 苦虫を噛み潰したような顔で、焔の錬金術師は、資料を置けとデスクを指さす。 近付けばふわり、嗅ぎ慣れぬ香り。 たった今、金髪の少尉とすれ違い様に吸い込んだ香り。 「判り易いな、オイ」 「なにを……?」 デスクから立ち上がる前に肩を押さえて接吻ける。 一瞬強張り腕で突っぱねようとしたロイは、顎をそっとくるむと大人しく受け入れた。 文句あり気に開かれた下唇を甘噛みしてやると、満足そうな溜息が洩れる。 「中々離して貰えず朝帰りか?」 「はるばるセントラルからやって来る客のお陰でな」 唇を耳朶やその後ろの柔らかな髪に移せば、どちらかと言えば若向けの柑橘系整髪料。 可愛らしいと言えば可愛らしい。 柑橘系の奥底の肌から立ち上る薫りを探して暫く髪に鼻先を埋め、指で首筋を辿れば身じろぎする。 「仕事はどうした? 場所を弁えろ」 「場所ね、あー、場所」 首筋の暖かさを楽しむように唇を押し当て、でも指は喉仏から真っ直ぐ、軍服のカラーの奥を目指して爪立てるように下らせる。 軍服の青、ワイシャツの白を暴けば、鎖骨から下の肌には紅いシルシが散らばっていて。 大仰に目を開いて口笛を吹くと、ロイは身体ごとそっぽを向いて襟を直した。 「華やかな生活送ってるようだな」 「私生活だ。おまえには関係あるまい」 「束縛する権利自分で放棄しちまってるからな」 ロイの肩が僅かに上下した。 「でもおまえは、俺が束縛したがってもそれをユルスだろう?」 接吻けでもなく、痕を残すのでもなく。 背後から腕を回して抱き留める。 逃げたければ逃げられるような、微かな隙間を。 ほんの少しの時間だけ開けた隙間を、ほら、今閉じるよ。 「ロイ、愛してる。グレイシアとエリシアと同じだけ、誰より深く愛してる。おまえにご執心のあの金髪の大型犬ごと愛してる。おまえが誰かのものになり切るまで、俺が一番愛してる」 呪縛みたいなアイノコトバを、優しい声で囁いて。 「最悪だ」 きつくきつく抱き締めたから、応える呻きは切ない響き。 シルシを上書きするように、接吻けてももう逃げ出しもしない癖に。 「煙草臭さが移った。……おまえ達、揃ってマーキングしたがるな」 「気にするな」 「あ、メリッサ」 「よく知ってるな」 「民間医療にも携わる錬金術師に、何を言う。薬草の類いは得意分野だぜ」 翌日。 セントラルに戻り、仕事の合間に病院に向かい、入院中のエドに焼き菓子の差し入れをした。 妻の作った焼き菓子には、砂糖衣でレモンバームの小さな葉が張り付けてあった。 「家の周りに植わってたんだ。メリッサ……レモンバームのこんもりした茂みが風で揺れるといい香りが立ち昇って、触れた手にも香りが移って。レモンとミントが混ざったような爽やかさなのにどこか甘くて」 エドが自分の生家のことを話すのを初めて聞いた。 照れくさそうな、夢見るようなエドの話は、まるで、自分の家の庭の光景のようだ。 「柔らかくて明るい緑の葉に細かい産毛がきらきら光って。小さな花にもっともっと小さな蜂が蜜を吸いに寄って来て……」 「香りを沢山嗅ぎたくて、欲張ってメリッサの茂みに寝転んで蜂に刺されたりしたよね、兄さんは」 「アル!!」 傍らの椅子に座っていた弟に過去を暴露され、思い出に耽っていた自分に気付いた所為もあってか、エドは真っ赤になってベッドの上で地団駄を踏んだ。 「鎧の僕には嗅覚はないけれど、でも今でも思い出せるよ。甘酸っぱいメリッサの香りと、初夏の日差し。走り回った庭に翻る洗い立てのシーツ。そしてそこに佇む……」 陽の当たる部屋で、途切れた言葉の先にこの兄弟はどんな幻影を見るのか。 香りは記憶を蘇らせるか? 記憶は香りを呼び起こせるのか? まとわりついて揺り動かして、心まで震わせるか? いつかおまえは、異なる煙草の匂いに俺を、あいつを、どう蘇らせる? メリッサの香り漂う部屋で束の間、目の前に居ぬ者へと想い馳せた。 fin. |