| 深紅 / 白猫 |
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【ヒューロイ】【イシュヴァール戦時】 目の前で焔が踊る。 街を一つ焼き尽さんと燃える焔の中で、今まさに一体どのくらいの命がなくなっているのだろうと考えながら。 ああ、綺麗だ。 そんなことを想う自分はきっともう壊れているんだろうけれど。 この焔のなかで、私は何を望んでいるのだろう。 『紅蓮』 ロイ! 何処かから、呼ばれたような気がして、僅かに身じろいだ。誰だ、と考えるまでもない。そんな風に呼ぶのは、たった一人だけ。目の前に浮かんでいた紅蓮の幻が、一瞬で消滅する。 ゆっくりと目を開けると、途端に飛び込んでくるのは、焔の朱ではなく、もっとどす黒い赤に染まったものだった。 (ああ、こんなところにいると、また怒られるな) 他人事のように思って少し笑う。あとどのくらいでアイツは此処に来るんだろう。それまでに、もうちょっとマシなところに移動した方がいいかもしれない。あれは本当にお節介で心配性ですぐ怒るから。そんな思いが一度にわき起り、それでも動く気にはなれずに、そのまま蹲っていると、どかどかと近付いてくる軍靴の音。 「ロイ! 何処だっ、ロイ!」 怒鳴り声。馬鹿か、お前は。此処を何処だと思ってるんだ? 図書館と病院では騒ぐなと、子どもの頃、習わなかったのか? 「ロイっ!」 酷い音をたてて開けられたドアが、身体のすぐ脇を勢いよく走る。思わず身を竦ませた自分に気付かず、部屋に飛び込んで来る男。元は鮮やかな青、今では埃塗れでその色さえ判らぬような軍服の袖から覗く手首には白い包帯。ああ、こいつも怪我をしたんだな。そう思った途端、なんだか手首が痛くなったような気がして、肩を竦めた。 「ロイっ!」 目の前の真っ赤に染まった空っぽのベッドに、身体を硬直させたヒューズが、次の瞬間勢いよく振り返った。そのまま駆け出そうとしたところで視線が合う。信じられないものを見たかのように、いつもは細い目が大きく見開かれる。 「やあ、ヒューズ」 他に何を言えばいいのか判らずに、軽く手を上げると、どうやら気に入らなかったらしいヒューズの目が今度は怒りに吊り上がった。 「な、なにが、やあ、だっ! お前、そんな所で何をしてるっ!」 「座っている」 「何故、ベッドに寝てないっ」 「そんなベッドに寝る気になれるか」 一体何人の血を吸ったのか、想像すら出来ない程に真っ赤な血の染み込んだマット。そんなところに寝かされるくらいなら、泥と埃に塗れた床に転がった方がマシだと思ったところで、誰からも文句は言われないだろう。 「そりゃ…、だが、それなら俺が来たときにすぐ声を掛ければいいだろうっ」 「そんな暇が何処にあった? 嵐のように飛び込んできたクセに」 「それはお前が怪我をしたと聞いたからっ…、そうだ、お前、怪我どうなんだっ」 「別にたいしたことじゃない。ちょっとミスった」 身体中に巻かれた包帯に、まるで自分が痛いかのように顔を顰めるヒューズ。 ああ、これはもしかしたら、さっきの自分と同じ感覚かもしれない、と気付いて、なんとなく可笑しくなる。 「お前の近くで不発弾が爆発したってのは本当なのか?」 「そうなってるんなら、そうなんだろう」 「ロイ!」 「知らないんだ。単独での作戦中、突然爆風に吹き飛ばされて、気付いたときには此処にいた」 「本当に大丈夫なのか?」 心配そうな声。 「大丈夫じゃなければ、こんなところに座ってなどいない」 ヒューズが何か言いたげな顔で、そのまま小さく溜息を付く。 「まあ、いい。お前が無事ならな。お前が怪我をしたと聞いたときには、心臓が止まるかと思ったぞ。頼むからあんまり心配かけてくれんな」 「頼んでない」 「お前ね。子どもの心配を親がするのは当然だろう」 「誰が親だ、気持ち悪い。そう言うお前だって、その手、怪我しているクセに」 「ああ、これはたいしたことねえよ。衛生班が大袈裟なだけだ」 戦場で、無駄な治療などあるワケがない。目立つ包帯は、当然それなりの怪我を示す。わざとらしく、溜息をついてやると、にやりと笑ってから、部屋を見回す奴。 「それにしても、こりゃ酷えな。仮にも、国家錬金術師様の病室には見えねーぞ。文句言ってやれ。こんなベッドで寝れるか、馬鹿にすんな、お前ら、一体誰のお陰で命があると思ってんだ、ってな」 「これでも上等だろう。手当てもされずに呻く重傷者もいなければ、遺体もない、完全な個室だからな。もっとも、私が入る直前まで、そのベッドには3つ程遺体が転がっていたが」 ベッドの上の遺体をどけて、さあ此処にどうぞ、と当たり前のような顔で言った衛生兵の顔を思い出して首を振ると 「…ロイ」 痛々しそうな表情で見つめられて、思わず笑みが漏れる。 「似合わない顔は止せ。此処でお前に会えただけでも儲けものだ。お前、こんなところにいてもいいのか?」 「ああ。これの手当てと」 軽く手首を見せて。 「他にも雑用があったからな。さんざん雑用を言い付けやがった挙げ句、そういや怪我をした国家錬金術師の様子もついでに見て来いって言われたときには、ぶん殴ってやろうかと思ったがな」 「生憎とぴんぴんしてたと伝えとけ。どうせあいつらが気にしているのは、今夜の作戦のことだろう。すぐに戻るからと…」 「ロイ、お前、少し休め」 「ヒューズ?」 突然、真面目な顔で言葉を遮ったヒューズに、両肩に手を置かれて戸惑う。 「お前、疲れてるんだって。本来なら、そんなつまらんことで怪我するようなタマじゃねーだろが。毎日あれだけ扱き使われてりゃ疲労もたまって当然だ。なあ、ロイ。無理すんな。怪我でもなんでも利用しちまえ。今、これで数日休んでも、誰もお前に文句なんざ言えねーよ。ここらでゆっくり…」 「ヒューズ。それはできない」 少しだけ笑って、今度は、ヒューズの言葉を遮る。 「ロイ」 「他の誰が休んでも私は休んだりしないさ」 あれだけの人間を殺しておいて、自分は疲れたから休むなどと言えるはずもない。 「こんなところで休んでいたら、また何を言われるか判らないだろう? 隙あらば他人を蹴落としてやろうと手ぐすねひいてる連中ばかりなんだ」 「ローイ」 私の想いなどお見通しだとでもいうような、どうしようもないくらい優しい声に、震えそうになる身体を叱咤して。 「大丈夫だよ、ヒューズ。私が結構強かなのは、お前がいちばんよく知っているだろう?」 そしてもういちど笑って。 「そうだ、ヒューズ。お前に渡そうと思っていたんだ」 「ロイ?」 未だ、納得していない顔のヒューズに、無理矢理話題を変えて、軍服のポケットを探る。 「爆発でどうなったか心配だったんだが…」 探し物を見つけて、ゆっくりと取り出して。 「よかった。大丈夫だな」 「…煙草?」 掌に乗せて差し出したのは、少しひしゃげた煙草の箱。 「お前の好きな銘柄だろう。ちょっと乱雑に扱ってしまったから、中身、折れてるかもしれないが」 「いや、そんなことはどうでもいいが…。お前、これ、どうしたんだ?」 酷く訝し気な顔で、それでも、ほんの僅か、気付かない程に頬を緩ませたヒューズの顔に、失くしてしまわなくてよかったと心から思う。 「貰ったんだ」 「貰った? 誰に?」 この最前線で、ここ暫く補給部隊との合流がうまくいかずに、食料でさえぎりぎりで、嗜好品は最初に底をついていた。今、此処でこんなものを持っているのは、将校くらいのものだということくらい、目の前の男はよく知っている。そして、その将校と私が折り合いが悪いことも、当然こいつは知っている。 真剣な目で問いかけてくるヒューズに、少しだけ、意地悪な気分になって。 「そうだな。将軍から、私の躯と引き換えに貰った、…と言ったらどうする?」 「ロイ」 「移動中は暇なんだ。作戦の待ち時間も結構暇で他にヤることもないしな」 「ロイ」 強い口調。 「なあ、だったらどうする? ヒューズ」 まっすぐに見つめると、真直ぐに見つめ返されて。 「殴る」 「誰を」 「自分を大事にしないバカに決まってる」 「なるほど。煙草は?」 「煙草に罪はない。全部吸い尽してやる」 それが本当なら、絶対に吸わないクセに。その憤慨したような拗ねたような表情に、思わず笑って。 「ヒューズ。私は、お前のそういうところが本当に好きだよ」 「おい、ロイ、お前いい加減に…」 気色ばんだヒューズを片手を上げて制する。 「悪かった。冗談だ。あんないけ好かない奴相手に何もするものか。お前があんまり真剣な顔をするものだからつい」 「冗談? つい、だと? この餓…」 一瞬絶句したヒューズに、手にした煙草を突き付けられる。 「じゃ、どうしたんだ、コレは!」 子どもの持ち物に見なれない品を見つけた親のような、決して嘘を許さない顔。 「…ヒューズ。お前、カオ怖い」 「煩え、地顔だっ。おい、ロイ、きちんと話せ!」 「なあ、ヒューズ。お前、絶対煩い頑固親父になるぞ」 「ロイ!」 何を言っても引くつもりは微塵もないらしい親友に、どうしようもない、と溜息をつきながら。 「だから。私はこれでも国家錬金術師なんだがな」 「それがどうした!」 「どうしようもない若造と面と向かって馬鹿にするヤツもいれば、将来に期待して今から媚を売ってくるようなヤツもいる。化け物呼ばわりする連中もいれば、ほんの一握りだが、素直に力を認めてくれる者もいるというワケだ」 「……」 「それは、その一握りからの差し入れだ。それでなければ、私がお前に渡そうと考えるワケがないだろう」 判れよ、それくらい、と笑えば、複雑そうな顔で頭を掻くヒューズ。 「煙草、吸わないのか?」 僅かな沈黙のあと、軽く勧めてみれば、僅かに迷うような素振りを見せてから、ヒューズが煙草を1本咥える。 「そのまま動くなよ」 ポケットから取り出した発火布の手袋を嵌めて、言葉と同時に軽く指を鳴らすと、ヒューズが咥えた煙草の先端で揺れる小さな朱い焔。 俯いたヒューズの顔を橙色に照らす焔を見つめながら、言葉にするつもりのなかった声が漏れた。 「綺麗だな」 不意に鮮やかに目蓋に浮かんだのは、街を灼き尽す灼熱の焔。 たくさんの命を奪っていく紅蓮の焔は、あれほどまでに綺麗で。 「ロイ?」 不思議そうな顔で覗き込んでくるヒューズに向かって、何もない顔で微笑む。 こいつにだけは気付かれたくはなかった。あれをみて、綺麗だと見蕩れたことなど絶対に。 「いや、なんでもない。小さな焔は綺麗だなと思っただけだ」 「ロイ。自分を責めたりするんじゃねえぞ」 「ああ。解っている」 解っている。お前は、あの焔をさえ、綺麗だと言うだろう。あの虐殺をさえ、正当だと言うだろう。お前は私の為なら、きっと命さえ投げ出すだろう。 私が、お前の為なら、そうするように。 「ロイ。お前の焔は綺麗だ」 「ああ。知っているさ」 目の前の顔が、痛々しそうに歪んだ次の瞬間、強く引き寄せられて唇が重なった。舐めあうように、そして貪りあうように、接吻けを交わして。 ああ、私は、これが欲しかったんだ。 あの焔の中で。 あの綺麗な焔が、この熱を守る為にあるのなら。 この体温の為なら、何度だって、いくらだって灼き続ける。 どんな地獄に落ちようとも。 きっとそれが真実。 床に落ちた煙草の煙と真っ赤に染まったベッドと街を灼く紅蓮と。 熱い躯と絡む舌とこの腕と。 絶対に死なせない。 何処までも一緒に。 fin. |