rule the world / くろいぬ-3
【ブラロイ】





『制覇   ... 3 dome no shoujiki "rule the world"』



「炎を操るのを得意とする錬金術師ですか……。基本に忠実でよい錬金術師になるでしょうね」
 国家錬金術師の受験者リストを捲っていた男が、一人の受験者の項目に目を留めた。
「黄金を錬成しようとフラスコの撹拌、加熱、冷却を繰り返していた我らの祖たる錬金術師達も、火加減には苦心していたものです」
「君のお眼鏡にかなう錬金術師かね。どれどれ……、ふむ、まだ若いな」
 眼帯の男はリストを受け取り、添付の写真を眺めた。
「若く希望を持った錬金術師君ですよ。名前がまたいい。mustang……誇り高い野生馬ですか。小振りだが辛抱強く我も強い奴だ。手懐けるのに苦労しそうですね」
「跳ねっ返りに手綱を付けるのは得意とするところだよ」
 男達はカードの最中の雑談のように、愉しげ語り合った。
「地・水・風・火の四大元素のひとつを操る錬金術師君は、飼い慣らせればあなたのよき部下になるでしょう。よき国家錬金術師に、……よき軍の狗に」
 眼帯の男 ―――― キング・ブラッドレイ大総統は、愉悦を表情に浮かべた。
「国家試験当日が楽しみだ。彼に逢える日がね」


 ロイ・マスタングは国家錬金術師の試験後、ひとつの部屋に通された。
 筆記試験、精神鑑定、実技試験、どれも及第の手応えを感じていたが、合否発表をここで待つようにと通された部屋は狭く殺風景で、一般的な待合室とは明らかに趣を違えていた。
 部屋に施錠こそされていないが自分は拘束されているのだと、ロイは感じ取った。
 数時間の待機の後、移動の為の迎えがやって来た。
「これを」
 迎えの男に黒い布地で目を覆われ、頭の後ろできつく結ばれる感覚にロイの背に薄ら寒いものが走る。
 車で大総統府から移動する道筋をロイは記憶しようとしたが、不規則に繰り返される右左折を、それぞれ二十回程数えたところで、その考えを諦めて放棄した。
 中心街をぐるぐると巡り、郊外の静けさの中を走行し、目的地に到着し降車させられた頃には夜気の冷たさが辺りに満ちていた。
 相変わらず目隠しをされたまま通される、長い廊下に響く複数名の足音が、衣服の襟や袖口から入り込む冷気に追い打ちをかけるように、胃の腑までを冷やして行く。

「ロイ・マスタング君、国家錬金術師資格取得おめでとう」
 薄暗い部屋で目隠しを外された時、闇に目が慣れたロイは目の前の男の顔を明瞭に捉えた。
 眼帯に短い口ひげ、几帳面に撫でつけられた黒髪。
 大総統キング・ブラッドレイの姿を認めたロイは、僅かに目を瞠った。
 自分の驚きをブラッドレイが感じ取り、面白そうに口の端を上げたのを見て、ロイは内心で舌打ちをした。
「一介の受験生に、わざわざ大総統閣下が合格の通知をなさる理由をお伺いして宜しいでしょうか?」
 空気に飲み込まれていると自分で認めるのが嫌で、ロイは即座に返した。
 背筋を伸ばしたその姿に、ブラッドレイはまた愉しそうに笑みをこぼした。
「ロイ・マスタング、そう緊張せずともよい。私はただ知りたいのだ。 ―――― 君がよき錬金術師であることと、よき軍の狗であることと、どちらを選べるのかと」

「炎の錬成を得意とする君の技術を、軍は高く評価する。その殺傷能力としての可能性を、だが」
 ロイは背筋から離れようとしない寒気を、室温の為のものだと思い込もうとした。
 自分の能力が、軍に利用されるとしたらどのような形になるのかということは、充分承知していた。
 自分が軍に入れば、ヒトを焼き殺すことになるのだろうと、予測していた。
「広域を炎上させ街を壊滅することも、対象をひとりの人間に限定して燃え上がらせることも、君になら出来るだろう。技術的には」
 ブラッドレイの言葉をひと言聞く度に、冷たいものがつたい落ちる。
 背筋が感じ取るのは寒さであるのに、自分が汗を浮かべているのはおかしなことだとロイは思った。
「直截に聞こう。マスタング君、君は人を焼き殺せるのかね?」
「必要とあらば」
 返答に呻く響きが混じらないようにするのが、精一杯だった。

「悲しいかな、戦場で奪い合うのは人間の命だ。我々の仲間の命であり、敵方とは謂え、それまで個々の生活を持っていた人間の命なのだ。活き活きと笑い動き愛し憎む肉体を、物言わぬ冷たい物質に変えるのが我々の仕事なのだ。生きている人間の命を絶ったことは? それが君に出来るかな?」
 ブラッドレイの声は優しくさえあった。
「まるで酒場の厨房で肉を焼き続けるように、君に出来るかね? 厨房の片隅で豚の丸焼きの串を回し続ける、繋がれた犬のようになれるのかね?」
 いつ合図をしたのだろうか、何もない部屋の片隅の小さな扉が開き、目隠しに猿ぐつわ、手を後手に繋がれた、囚人服を纏った男が突き飛ばされるように入ってきた。
「モルモットや仔猫や仔犬から練習したからといって慣れるようなものではないのだ。私はただ知りたい。君は人間を燃やせるのか?」
 突き飛ばされ横転した男が、猿ぐつわの奥から狂ったように悲鳴を上げ続ける。

「本日この場での出来事は、公けには一切記されることはない。現在この場には誰も存在しておらず、この男は連続殺人犯の死刑囚で、既に獄中で病死したことになっている。死体を引き取る人間もおらず、解剖後に献体されたと記録される」
 ロイを連行して来た軍人が、表情を伺わせない声で述べた。
「ロイ・マスタング君、これは君が使い物になるかならないかのテストだ。しっぽを巻いて逃げ出すなら今だよ」
 ブラッドレイはロイの背後から彼の両肩に手を置き、激しく振り払われた。
 猿ぐつわの男に固定されたロイの視線に気付き、無意識の反射で撥ね付けられたようだと、苦笑した。
「……閣下。密閉された室内での炎の錬成は、急激な酸素不足を招きます。床や壁などの構成物質に含まれる水分から人体ひとつ分燃やし尽くすだけの酸素を錬成しますが、ご同室なさるのは必要最低限の人数に限った方が安全かと」
「よろしい。私とこの錬金術師を除いた全員は室内から退去せよ」
 ばらばらと足音が続き、がらんどうの室内に、拘束され泣き喚く男と、ロイとブラッドレイの三人が残された。

「炎を操る若き錬金術師よ。彼を焼け」
「イエス、サー」
 歯を噛み締めた奥からの声にブラッドレイは目を細めた。

 床を擦るチョークの軋む音。
 衣服の静電気から飛ばした火花が走り、床に転がる男の元へと走る。
 男の周囲や躯の内側にロイが巡らせていた高濃度酸素が、囚人服も髪も肌も体内の粘膜も一瞬にして焼き尽くす。
 悲鳴を上げる間もなく男の生命が尽き、後にはタンパク質の焦げる独特な臭気だけが漂った。
「見事」
 ブラッドレイが乾いた掌を合わせる空虚な拍手を合図に軍服の男達が数名部屋に走り込み、焼死した男の遺体を運び出した。
 ロイとブラッドレイのふたり切りが残る室内の、高い天井に拍手の音だけが続いた。
 立ち尽くすロイの耳に、ブラッドレイの声が反響しながら届く。
「君は素晴らしい軍の狗だ」
 韻々と響く声がロイの頭蓋の中で反芻される。
 その声は、息子の手柄を手放しで誉める父親であるかのような愉悦の色で、ロイの脳裏に染み込んで行った。
「初めて命令で人を殺した気分はどうだね?」
「……ぐっ!」
 ロイは躯を二つに折ると、床にくずおれるように手を突き嘔吐した。
「かはっ、ぐ……!」
 咳き込みながら胃液を吐き、喉を灼く苦みに涙を浮かべる。
 ロイの傍らに屈み込んだブラッドレイは、痙攣する背に掌を当て愛しげに撫でさすった。
「とても美しい炎だった。素晴らしい。君は優秀な国家錬金術師になる」
 ロイが、涙と胃液に汚れた顔を上げた。
「ロイ・マスタング、君は私の大事な錬金術師だ」
 汚物まみれの顔の中、ロイの黒曜石の瞳が苛烈な色を帯びた。
 自力で立ち上がることも叶わず床に四肢を突き、大総統の分厚い掌の慰撫を背に受けたまま、ロイは視線だけは目の前の男にまっすぐに向けた。
「大総統閣下、衣服が汚れます。すぐに追い付きますので、どうかお先に」
 何とかそれだけ言うと、ロイはまたこみ上げる胃液を吐き出し始めた。
「では先に行くとしよう。表に君の為の車を待たせておく。好きな時に帰り給え。……帰りは目隠しもないから安心しなさい」
 朗らかでさえある声を残して、ブラッドレイは部屋を出た。
 扉が閉まる音を聞いてから、ロイは自分の躯を床に倒した。
 吐き出すものが何も無くなっても、ロイの躯は嘔吐の痙攣を続ける。
「狗になることなど、承知の上だ。幾らでも膝など屈して見せる」
 苦い胃液が、口元から頬に流れ床に冷たく溜まった。

『初めて命令で人を殺した気分はどうだね?』

「流石に一度目は堪えたが、これきりだ。二度とこんな無様は見せない」
 ブラッドレイの愉しげな声音を思い返したロイは、呻くように言った。
 自分の焼き殺した男の素性も、一切記録に残さぬと言い切るのならば今後も調べ様はないだろう。
 ならば自分の覚えておくべきは、自分の無様を目の当たりにして、笑いながら背を撫でた男のことだけだ。
 いつか、その余裕を突き崩す。


 冷たくがらんどうな部屋にひとりくずおれたまま、ロイは双眼を燃え上がらせた。
『焔の錬金術師』の誕生の瞬間だった。




fin.