ランプ / 白猫
【ハボロイ】『ランプ』



『火蜥蜴』




ゆらゆらと揺れる焔に照らされて、白い頬があかく染まる。窓際におかれた椅子に深く腰をかけて、大切そうに抱えた本を一心不乱に読み耽る人。ただひたすらに本の世界に没頭するロイの手許を照らすのは、彼の人の生み出す何よりも綺麗な焔。


「大佐。またこんな暗いところで」
仕事を終えて急いでやってきた上司の家。呼び鈴を鳴らしたところで、まず出てこないことは既に学習済みの為、渡されている合鍵で部屋に入る。そのまま真直ぐ向かうのは、ロイが一日の大半を其処で過ごす書斎。そのなかで、思った通り数冊の本を抱え込んで動かない姿を見つけて、溜息をつく。
「暗くなったら電気をつけるってだけのことなんスけどね、なんだって、こう毎回おんなじこと言わなきゃならないんだか」
それでも、ロイの手許を照らす焔を消す気にはなれなくて。煌々と部屋を照らす電気をつけるのを躊躇したまま、そっと近付くと、まるで牽制するかのように焔がゆらりと揺らめいた。どんな生き物よりも綺麗な火蜥蜴。この焔には、もしかしたら意志があるのかもしれないと思ったことは、一度や二度ではない。
「ああ、悪い。ちょっと近付かせてくれな」
ロイの背後にまわって、そっと書籍を覗き込むと、文字の上で揺れる焔の影。
「あー。やっぱり」
そして、どうせ聴いていないロイは無視して、焔に向かって話し掛ける。
「もうちょっと威力強くしてくれるか? お前の大事な御主人様の目が悪くなったら困るだろ? 本全体が明るくなるように照らしてくれたら、大佐ももっと読みやすくなると思うんだがな」
一瞬、何かを考えるかのように揺れた焔が、ひとまわり大きく広がった。
「悪いな。これから晩飯作るから、出来上がるまで大佐のお守り頼むぞ」
小さな火の粉が目の前でぱちんと弾けたのは了承か、それとも、偉そうな自分への不服の現れか。苦笑しながら、そっとロイの背後から離れてキッチンへと向かった。


暗いキッチンに、今度は遠慮なく電気を灯す。前回自分がここで調理をしてから、何も変わってないような様子に小さく首を振る。自分が来ないときのあの人は、一体何を食べて生きているのだろう。いつでも簡単に摘めるように用意してあるパンや菓子、果物やチーズ等の類いは、それなりに減るようになってきたから、何も食べていないというワケではなさそうだが。
「本を読んで腹が膨れたらいいけどなぁ」
帰り道に寄った商店から受け取ってきた食材をテーブルに並べながら独り言ちる。
朝の出勤途中や昼間任務の合間に、その日に必要な食材を伝えておけば、帰り際店鋪が閉まっていても、にこやかな笑顔を浮かべて大きな紙袋を渡してくれる気のいい店主たちに随分と助けられていると思う。
うちの大佐に食わせなきゃならないんで。
初めの頃、頼む食材の量に不審がられて伝えたときには、ひどく同情の籠った目を向けられたものだが。
大佐さんに旨いもの食べて貰ってください。今日はこんなモノは如何ですか? 大佐さん、これお好きだったでしょう? 珍しい魚が入ったんでとっておきました。これも一緒に持ってってください。
こまめに街を巡回し、愛想のいい笑顔を振りまくロイは、すっかり人気者になっていて、今では殆どの店主が温かい好意を向けてくれる。
後に、昔は、軍人といえば、エラそうにふんぞり返っていて、代金の踏み倒しやツケの未払いなど日常茶飯事だったのだときかされたときは、ひどく情けない思いをしたものだが。
大佐さんがいらしてから、この街は格段によくなりましたよ。
そんな言葉をきくのは、嬉しくない筈もない。もちろん、国家錬金術師として有り余る財力の持ち主であるロイが、このような食材以外にも、書籍や研究道具、衣服をはじめとした身の回りの品、女性への贈り物、花、外食にかける費用等々、この街の経済を潤すのに、随分と貢献していることも、この好意の大きな理由のひとつではあるのだろうけれど。

「さて」
棚から下ろした大きな鍋に、今日はどんなスープを作ろうかと考える。
大量の野菜をいちどに摂取できるスープは、普段の食生活が不規則な自分達にとって、とても有り難い料理のひとつだ。一人暮らしも長くなり、特にロイの食事を気にかけるようになってからは、随分とレパートリーも広がった。非番の日にはじっくり煮込んだ肉や海産物のシチューを、今日のように仕事から帰ってすぐに取りかかるときには簡単で尚且つ栄養のある野菜のスープを、と作りわける自分の姿は、昔の友人達には、なかなか想像できないに違いない。
お前さぁ、ちゃんと食えよ。
一人暮らしを初めて間もない頃、よく、そんな風に友人達に言われていたことを知れば、ロイはどんな顔をするだろう。
思わず噴き出した声が、誰もいないキッチンに響いた。いつもなら独り言や一人笑いに気付いたときにはかなり複雑な思いをするところだが、今はまるで気にならない。同じ家にロイがいるということが、こんなにも気持ちを穏やかにしてくれるのだと、なんだか擽ったいような思いで胸がほわりと温かくなった。
テーブルに並んだ野菜の中からブロッコリーと日持ちのしない葉ものを選んで選り分ける。確かベーコンが少し余っていた筈だから、それを加えてスープを作ってしまおう。それから主菜は、と、今度は肉屋で受け取った紙袋を開く。
「お。らっき」
中から出てきたのは、大きなソーセージと、よく煮込まれた豚の塊肉。普通なら早朝から並ばないと購入することもできないそれは、この街の隠れた名物だ。月に一度程、こうして取り分けておいてくれるそれらを初めて食べたときのロイの嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。あまりに喜んで、翌日視察の途中に礼を言うためにわざわざ寄ったロイが心からの笑顔を向けて来てからは、肉屋の厳つい親父もすっかりロイ・マスタングファンの一人だ。
「有り難く戴きます」
脳裏に浮かんだ肉屋の親父の顔に感謝のポーズをとってから、塊肉を小さな鍋に移して火に掛けた。ソーセージは直前にボイルすればいい。そしてそれだけあれば、あとはパンにサラダでも用意すればいいだろう。簡単なデザートがあれば完璧だが、それは残っている果物でなんとでもなる。スープの下拵えをして鍋を火にかけてから、ロイを風呂に追いやって、それからサラダを準備しよう。きっといちばん大変なのは、ロイを本の誘惑から引き離すことで、もしかしたら、またいくつか小さな火傷をつくる羽目になるかもしれないが。
主人を守る綺麗な火蜥蜴の存在を思い出して少し笑ってから、不意に思い出した古い歌を小さく口ずさんだ。


貴方がいちばん大切だから ずっと貴方の傍にいる
暖かい灯りと 美味しい食事を用意しよう
貴方がいつでも此処に 帰ってきてくれるように


ひと昔前に流行ったそれは、確か恋する相手との結婚を夢見る娘の歌だった。大切な人に灯りと食事を、と願う恋する娘。それは、なんだかまるでロイを守る火蜥蜴と自分のようだと気付いてまた笑みが溢れる。恋をする娘と同じように、いちばん大切なひとの傍にいたいと願う自分たち。
ロイを守りたい。傍にいたい。ロイに降り掛かる全ての災いを自分の手で防ぎたい。傲慢だと解っている望み。けれど、それが唯一の。

「乙女の結婚願望と一緒っつーのも情けないけどなあ」
「お前、結婚願望があるのか?」
「へ?」
突然掛けられた声に慌てて振り向けば、何やら可笑しそうな顔で入り口に佇むロイの姿が目に入った。
「それは知らなかった。お前ならいい嫁になるだろうな」
「嫁ってなんスか、ほんとに」
酷く驚いたのを隠すために、何事もなかった顔で煙草を銜える。
「お前くらい家事が得意なら、嫁を貰う必要はないだろう? それで結婚願望があるなら、お前が嫁になるしかあるまい」
この人の思考回路は一体どうなっているんだろう。溜息をつきながらライターを探って。
「言っておきますけどね、料理も掃除も洗濯も世話も、あんた以外の為にする気はないっスからね」
さり気ない言葉に込めた本心になど気付かなくてもいい。ほんの少し皮肉な思いを込めた言葉に。
「それなら私のところへくればいい」
まるで何でもないことのように。
ミルクが切れた、と伝える自分に、それなら買ってくればいい、と返すときのように告げられた言葉。
「……え?」
「風呂に入ってる間にスープ作っておけ」
空の鍋を指差してから、くるりと背を向けた人がそのままキッチンを出ていくのを唖然と見送って。

今のは何なんだ?
ワタシノトコロヘ?

一瞬目眩をおこしてよろめいた身体をテーブルで支える。
「うわ。参った…」
あんな台詞をあちこちでばらまいているとしたら、そりゃモテルだろうし、敵も作るだろう。名うての誑しの手口をまざまざと見せつけられたような気がして溜息をついて。
「灯りと食事なら、用意できるよな」
さっき口ずさんだばかりの歌を思い浮かべて独り言ちる。
「嫁に貰ってもらうかなァ」
何となく口にして、手にしたままだったライターの火を付けた途端。
「痛ッ」
突然大きく上がった焔と火花。思わず放り出しかけたライターの向こうで、小さな火蜥蜴が睨んだような気がした。
「悪ぃ! 灯りはお前の担当だよな、解ってるって。お前を差し置いてそんなことするワケねーだろ」
咄嗟にライターに向かって謝る姿は、誰がみてもひどく滑稽だったことだろう。けれど、その言葉をきいて満足そうに笑う火蜥蜴の姿を想像してしまった自分は、まるっきり見当外れでもないハズで。

「ああ、もうほんとに、主従揃ってタチ悪ィ」

ロイの傍にいるには、どうやらあの綺麗な火蜥蜴にも気に入られる必要がありそうだった。

「仕方がねぇなあ」
取り敢えず、風呂からあがったロイが、美味しい匂いに頬を緩ませてくれる姿を見る為に、とびきり旨いスープを作ろう。ロイが喜べば、きっと火蜥蜴も満足するだろうから。


「誠心誠意頑張らせて頂きます」

殊勝に呟いてから、カチリと慣らしたライターの火は、今度は優しく揺らめいた。






暖かい灯りも美味しい食事もここにあるから。
どうかいつまでも傍にいて。




fin.