朝の光景 / くろいぬ
【ヒュー・ロイ】【士官学校】【おしっこ】







『朝の光景』



 寝惚けマナコで洗面室、鏡を前に歯を磨く。
 すっきりしゃっきり、部屋を出る時には戦闘態勢を完全に整えるつもりで。
 顔も口も、精神までも、濯ぎ、浄め、洗い、鍛えるつもりで、冷水ですすいだ。
「あ、知覚過敏」
 じんと滲みる部分がある。

 ノックと同時にドアが開き、自分と同じくらいにまだ眠さを纏った顔の、寮を同室に過ごす男がずかずか踏み入り洗面台の鏡越しに目線を掠めた。

「あー、シッコ、シッコ」

 冗談じゃない。
 ここで歯を磨いている人間がいるのが判らないのか。
 時間ずらせよ、遠慮しろ、よせ馬鹿前開くなそんなモン引っぱり出すな。

「朝の忙しい時に構ってられるかよ、どーせヤロウどうし、憚る理由など何もない!」

 あるあるあるある。
 やめろよおい、ブツから放たれる水音なんざ、聞きたくない。
 なんだ偉そうに言ったクセに勢い弱いじゃないかマジ馬鹿だ馬鹿、聞きたくないんだってば。

「ンなに嫌がるなって。出物腫れ物って奴だろ、時を選ばないものだろ」

 選べ!
 選べったら選べよ!

「……そんなにイヤそうな顔しなくても」

 前!!
 前を向けよ!
 頼むから前! 前!!

「おふぁえ、ふぉふぁひはら、りう゛んれふぉれ、ひまふふるんらろーらッ!?」
(訳: おまえ、飛ばしたら自分でソレ始末するんだろーなッ!?)

 歯ブラシを噛み割りそうな勢いで、奴が手に支えるブツとそこから放物線を描き続ける水を指差し叫んだのに、馬鹿者は嬉しそうに笑った。 

「なんだよ、おまえはやってくんねえのかよ? 俺が磨いてるからこの部屋の便器がキレーなの、理解してねえな? おまえには愛がないってこったな?」

 冗談ではない。
 私は垂らさないし飛ばさない。
 え? あれ?
 おまえ磨いてるのか? ホントにか?
 汚してないから磨かなくてもこの状態なんじゃなかったのか?

 汚してるのか、わたしも?
 え?



 ……今までおまえが掃除してたの?
 ホント?




 些か茫然と、考えてみれば当然と思えるようなことに気付き、そんなことはあり得ないと思い、いっそ自分の躯から出る水は純水のみなのだと思い込もうとし、流石に無理があると思い。

「ふぁれるふぁれる」
(訳: 垂れる垂れる)
 歯ブラシを咥えた唇の端から顎に垂れかけた水分の為に、慌てて洗面台に顔を突っ込んだ。

 じょんじょんと響き続ける水音を聞きながら、所謂「同じ釜の飯を食う」という事象の言葉にされぬ部分に漸く思い至り、こりゃ寝食共にするということは生半可なことではないのだなと、発見する。
 じょんじょんじょんじょん。
 聞きたくもない水音が、白い衛生陶器に触れ鳴り響き続ける。
 妙に嬉しげな奴への取り急ぎの意見はひとつ。

『長えよ。ジジィか?』
 
 終わらぬ水音を揶揄してみても、鏡越しに遭った目は笑うばかり。 
 清らかな朝日差し込む洗面室での、小さなヒトコマ。
 




「いいふぁらまえふへほほひをひゅるら」
(訳: いいから前向け余所見をするな)




fin.