お守り-2 / くろいぬ
【ハボロイ】



『お守り - a knight bachelor -』


「犬というのは順応性の動物と言われている」
 椅子に深々と腰掛けたロイがティンのカップから口を離して言った。
「毎朝毎夕散歩に連れ出される犬は、朝夕の散歩のある生活に順応する。一日一度散歩する犬は、一度の散歩に慣れる。散歩に行ったり行かなかったりの犬は、それが自分の生活なんだと受け入れる」
 ロイの眺める窓の外、警備兵に随伴する軍用犬の姿があった。
 暗闇に紛れそうな茶色と黒のまだらのボクサー犬の、よく発達した後ろ脚の筋肉を見ながらロイは続けた。
「犬はまた習慣の動物とも言われる。朝晩の散歩を習慣とする犬は、一度散歩に行く機会を失うと大きなストレスを感じる。順応性は高いが、習慣が乱れることに対して頗る弱い。故にたまには散歩をさぼっておかないと、嵐が来ようが霰が降ろうが散歩に連れて行けと五月蠅くねだる犬になる」
「……はあ」
 ロイの話を聞いていたハボックが、首を傾げた。
「ああ、話が逸れた。自分が日常と思い込んでいる習慣以外の現実に、犬はストレスを感じる。それだけのことだ」




 前夜発覚した綴命の錬金術師タッカーの、実の娘と犬との人体錬成事件、今日のタッカー並びにタッカーの錬成した合成獣殺害事件、その件に関連すると思われる『傷の男』の登場と市街破壊行為、『傷の男』が関わったとされる数々の殺害事件。
 事件の処理と情報収集に追われ、深夜にも関わらず司令室から人気の絶えることはなかった。
 どうやら前夜から睡眠を碌に摂っていなかったらしい上官に向かい、司令部の面々は仮眠室での休憩を勧めた。

「肝心な時に眠たいと仰られても困りますから」
「概ね、まっすぐ立っててくれさえすればいいんですから、ここぞと言う時に舟漕がないように今寝といてくださいよ」
「神経が立って眠れないなんて、デリケートなこと抜かさんでくださいよ?」
「……君達の上官への敬意がどの程度のものかがようく判るよ。軍人稼業もそこそこ長いものでね、眠れる時にがっちり眠らせて貰うことにするよ」
 デスクの鍵のかかった引出しを開け、スコッチの瓶とカップを取り出す。
「ナイトキャップだ」
 言い訳がましく呟くロイを、ホークアイは見て見ぬ振りをすることにした。
 ロイがカップ一杯のスコッチを空ける前に、セントラルの国家錬金術師の統括本部からの電信と、崩壊した市街の警備からと軍事会議所に戻ったヒューズ中佐からの電話連絡が入り、一時指令部内に慌ただしさが漂った。
 ハボックが気付いた時には、ロイは数杯目のスコッチを飲み干したところだった。




 ロイは窓の外のボクサーの姿を眺め続けていた。
 臀部にぴたりと貼り付いた短い尾、ぴんと尖った立て耳は断耳、整形されたものだ。
 頑強な顎の目立つ厳つい顔、ぎょろ付いた目、筋肉を強調するように短毛の貼り付く躯、見るだけで足の速さが判る長く強そうな脚。
 訓練され、命令には絶対服従の軍用犬。

「……アイツらにとっては毎日の警備が散歩みたいなものなのか。訓練時間よりもよっぽど散歩に近そうだしな。のんびり歩いてるっぽいからなあ。フリスビーでも投げてやれば喜ぶんだろうか?」
「大佐、大佐」
 慌てたような声をブレダがあげ、ホークアイはロイのデスクの上の、円盤の代替として投げ易そうだと思われる書類袋の類を、即座にまとめて自分のデスクに移動させた。
「チッ」
 小さな舌打ちを聞いたホークアイがハボックの名を呼び、仮眠室の方角を指さす。

「大佐、移動ですよ」
「面倒。仮眠ならここで充分」
「士気に関わるんスよ」
「肝っ玉の小さい奴だな。軍人たるもの、上官の居眠る姿如きに感情を左右されてはならん」
 促されて立ち上がったものの、一歩ごとによろめくロイの腕をハボックが取った。

 かつ。かつ。かっつ、かつ。
 不規則な足音が廊下に響いた。
 すっかりハボックに体重を預けたロイが、呟き続ける。

「日常の習慣を破られることは大いなるストレスだ。信ずるものを疑わされることは大いなるストレスだ。すっかり自分が馴染み切ったものに別の視点があるのだと気付かされるのはストレスだ。忘却の彼方と自分で信じ込んでいたことが、今になってむっくりと姿を顕わすのはストレス以外の何物でもない」
 足を止めたロイにハボックは問いかけた。
「今日の、アレっすか? イシュヴァールの……」
「勿論知っていたさ。自分が人殺しだなんてことは重々承知だ、何せ軍の狗だからな。指令がくだれば虐殺鏖殺何でもござれだ」
 ロイの言葉の語尾が、嗤いに掠れた。
「忘れた振りすらするつもりもないことを、改めて突き付けられたぐらいで狼狽える自分がおかしいだけだ。軍の狗、狗、狗、狗。自分が狗であることを受け入れていると信じていたのに、それでも良心が咎めるような感情が沸き上がることが、ちゃんちゃら」
 ロイの膝が崩けた。
「ちゃんちゃらおかしい」
「おかしくなんてないっしょ、人間なんだから」
「狗だ。狗だぞ」
「ああ、はいはい」
 廊下で眠り込みそうなロイの躯を、ハボックは抱え上げようとした。
 腋を持って立ち上がらせ、自分の肩に捕まらせようとする腕が、首に絡んだ。
「前へ、進め」
「……了解」
 上司の指さす方角が、ゆらゆらと揺らぎ続けていることにハボックは溜息をついた。

「よっこらしょ」
 仮眠室に並ぶ簡易ベッドのひとつにロイの躯を転がしてから、ハボックは傍らの床に座り込んだ。
「何かあったら起こしてくれ」
「了解」
 注文を付けるだけ付け、返事を待たずに寝息を立て始めるロイに、ハボックはまた深く溜息をついた。
「狗だって? あんた猫科でしょう?」
 しなやかに首に周り、重たくまとわりついた腕を思い返しながらハボックはひとりごちた。
 寄り掛かり、こうべを預ける簡易ベッドからは、静かな呼吸音しか聞こえて来ない。




「犬の振りなんかしてても、バレバレっすよ。犬は喜んで命令に服従してんすから。犬にとっては楽しいゲームと本能だけ、大体、ボクサーは顔厳つくても遊び好きで身内には懐きまくりの犬ですよ。気がいい奴なんですから、あんたみたいな身勝手我が儘な人が自分を犬って言ってるって知ったら、絶対犬が傷付くって」
 ハボックは座り込む膝を抱えた。


『狗っての、俺みたいなのを言うんですよ。あんたの調子が狂う度に、エラいストレスだ』



 聞く者のない独り言にしても流石に口には出せず、ただ溜息は深くなるばかり。




fin.