おかしいね / くろいぬ
【ハボロイ】






『それでも抗い難く、この腕に恋を欲す』





「あんた何で、あの人と寝てたんです?」
 口に出してから、酷く嫉妬めいて聞こえることを言ってしまったと後悔した。
「いや、ヒトのモンに手ェ出すってのは、余りあんたらしくないなあと……」
 過ぎ去った時間にまで嫉妬してると思われるくらいなら、下世話な奴だと思われた方がまだマシだ。
 煙草に手を伸ばそうと躯をずらした途端、ベッドの真ん中を占拠し手足を伸ばした人に、何を言い出すことやらと呆れるような瞳を向けられた。


 初めて唇に触れた時、駆け引きや快楽以外の何かをこの人は表情に浮かべた。
『煙草臭いな』
 そう言われてから、ああ、あの人が煙草を吸っていたなと気が付いた。
 大佐は、この人は。
 今でも、紫煙の香りに物思う様のこの人の姿を、たまに見る。


「元もと、寝る相手は吟味はするが、厳密な資格や規格を設けているつもりもない。まあ、妻子持ちの同性が相手というのは一般的ではないだろうが」
 破格の規格外だろう。
 しかも同窓で戦場仲間で同僚で腹心の親友で、遠距離の不倫だ。
「簡単に抱ける女なら、手近な場所に幾らでもいたでしょうに」
 呟けば鼻で笑われた。
「不道徳自体は『らしくない』という訳でもないのか。ハボック、上官に向かってよい言い種だな」
 そう言いながら、大して気にかける様子もなく、寝乱れた髪に手櫛を通し黒髪を後ろへ流す。
「あの人相手なら、別に、寝たりしなくったってよかったでしょうに」
「意味が判らないな」
「あの人とあんたの仲は、寝ようが寝まいが変わらず続いたんだろうにって。躯繋げなくたって、どれだけお偉いさんに出世しても何も変わらなかったろうにって思いますよ。あんたを蹴落としたくて手ぐすね引いてる奴らは山程いるし、あれ程家族を大事にする人が妻以外の人間と関係持ち続けてたなんて、リスクが高過ぎるじゃないですか」
 言い募ると、仰向けて半眼で天井を見上げる人は、薄らと笑みを浮かべた。
「リスク、ね」
 『リスクを犯すだけの価値を相手に認めたのだ』
 そう返されるのかと予想し、微かに胸が痛んだ。

「そうだな。リスキーな関係を続けていたものだ。何で私はヒューズと寝たりしたんだろうな。あのままふたりで年をとって到底勃たないような歳になっていたら、チェス仲間にでもなっていたかもしれんがな」
 髪に宛てていた掌を額に移し、笑い出す。
「きっと嫌な年寄りになってたんだろうな。その辺の若い者を捕まえては『俺達がイシュヴァールで現役だった頃には……』って繰り返して、嫌われ者になるような年寄りに」
「大佐」
「それで、日向ぼっこをしながらチェスの長考をしてるうちに眠り込んで、通りすがりの街の人に、ああジジイ達また口を開けて寝てやがるって思われるんだ。孫か曾孫が夕食に呼びに来て、ママおじいちゃん起きないよ、動かないよ、って、誰も知らない、本人達も気付かないうちに天に召されて。よく晴れた日の、子供達が元気に駆け回るような葬式をして貰えたら最高だったろうにな」
「大佐」
 泣いているのかと思った。
 額から眼窩を隠す手にそっと触れると、掌がずれて見上げる瞳が現れる。
「どうして始まってしまったかなんて私達にだって判らない。終わらせるだなんてこと、思い付きもしなかったんだ」
「大佐」
 黒い瞳孔が真っ直ぐにこちらを向く。
「イシュヴァールにいた頃はいつ死んでも不思議じゃないと思っていた。でも私達は生き延びた。私は野望を持つようになったが、あいつも同じ夢を見て力を貸すと誓った。ヒューズが家族を持ったことを私は心から喜んだ。遠く離れていても逢えばすぐにずっと変わらぬ声と顔で、昨日別れたばかりのような挨拶を交わした。良心の咎めも、身を追い落とされる怖れもあったのに、それでも私達は終わりを選択することなど考えもしなかった」
 はたりと、腕がシーツに落ちた。
「私は野望の為ならばあいつの情報を利用することも躊躇わなかったし、あいつも家族の命が掛かっていたら、私のことなど見捨てただろう。それでいいと思ってた。私達はそれでもよかったんだ。あいつとは、何があっても、いつまでも、あのままなのだと信じていた。終わりなどある筈がないと」

 それではまるで、初めての恋の中で永遠を信じる愚かな盲目さだ。
 愚かで一途な、天国の恋の夢だ。
 醒めぬ夢を永遠に見続けるような。

 絶望を感じながら、そう思った。
 ああ、あの飄々とした男は、夢から醒めぬままに逝ったのか。
 残されたこの人は、 ―――― 夢から醒める機会を永遠に失ってしまったのだ。
「何で私は奴と、ヒューズと寝てしまったんだろうな」
 茫然と問いかける瞳は真剣に俺を見つめ、そこに間抜けに歪んだ自分の顔が映るのを見出した。

 なんて事だ。
 あんた達は地獄に堕ちるような恋をしてしまったんだよ。
 きっとあんた達は互いがいさえすれば、それで完全なひと組だったんだ。
 なんてとんでもない、可哀相な人でなし達。

「乾いて水に手を伸ばすように?」
 答えると、心底おかしそうに笑う。
「水だと? そんなきれいなモノではなかったよ、私達は」
 目の前の人は気怠げに起き上がり、俺が指に挟んだままの煙草に手を伸ばした。
 咥えた煙草の先端にライターを近付ければ、眼を眇めながら火を吸い込む。
「そんなきれいなモノでは。ああ、でも。いや……? ああ、おかしいね。自分のことも理解していないとは」
 唇の隙間から静かに吹き出した紫煙が消えて行くのを眺め、そして煙草をこちらに突き付けた。
「 ―――― きついな、おまえのは」
 自分から吸ったクセに文句ありげに睨み付ける人に苦笑を返し、受け取った煙草を咥えた。
 きついと評されたいがらっぽい紫煙を、深く吸い込む。
 喉を痛め肺の隅々まで溜まってしまえ。


「おまえは何故私と寝るんだ?」
 急に。
 問い返されて答えに窮する。


 さあ?
 ある日気付いたら焔に焦がれていたんです。
 セントラルから上に疎まれた国家錬金術師が飛ばされて来るぞなんて、鳴り物入りの噂の人が、飄々といい加減ななりと言動晒しておいて。
 仕事はサボリたがるし。
 美味しいところだけ持って行くし。
 それでいて焔のついた眼をして腹の内を見せるから。
『おまえは、ついて来るか?』
 焔のついた眼に照らされて、そこから離れることなんて考えられなくて。
 燃え尽きてもいいからと、腕を伸ばした。

「あんたに誘われたような気もするんですが」
「誘われれば誰とでも寝るのか?」
 答えを逸らせば、意地の悪い笑みを浮かべる。
「どう答えて欲しいんです?」
「最初から模範解答を求めるような、怠惰な部下とは思わなかったんだがな」
 薄らと笑う、その顎を捉えて接吻けで唇を塞いだ。

 酷く喉が渇いていた。
 乾いてるのに涙が出そうな気もした。
 水分はどこから補給され、どこに排出されるのだろう。
 乾いているのに涙が流れればどこかが飢えてしまうだろうに、それでも溢れるものがあるのだろうか。
 それは胸の内に?



 そろそろ起き出してシャワーを浴びねばならない時間なのに、かき抱く腕を止める気は起こらなかったし、この人も止めようとしなかった。
 戯れ言ももう、ふたりとも口にはしなかった。
『それでもあんたのことが欲しいんだ』
 そんなこと、口には出せない。
 ただ。
 肩や背中に回る手が、いつもよりも深く爪を立てたような気がした。
 今、この人を抱いてる俺を、今、欲されてるようで。
 まるで乾いて水を欲するように、腕を伸ばして来るように感じられて。
 
 

 終わらない夢をまた、見ようとしているのだと。
 信じさせるような ――――





fin.