寝顔
【ハボロイ】




『寝顔』




カタン、と小さな音をたてて玄関の扉が閉まった。
鍵はいつでもすぐに掛けて下さいよ。
煩い程に注意されて、すっかりクセになってしまった動作のままに、大きな扉につけられた錠前を下ろす。軍靴を脱いで部屋履きに履き代えながら、部屋の奥を伺うものの、物音一つせずに静まり返った室内。

(珍しいな)

今日は、アイツは休みだから。きっと此処で私の帰りを待ちわびていて、帰宅するなり駆けてくると思っていたのに。
会議と来客の予定が一つずつ無くなって、思っていたよりも数時間早い帰宅だった。傾きかけた陽の光りは、柔らかな空気をこれからゆっくりと赤く染めていくのだろう。こんな時間に戻れることは、本当に久し振りで、なんとなくわくわくしながら、夜勤明けの休みをとっているハボックが待つ家へと帰宅を急いだというのに。
買い物にでも出ているのだろうか。アイツだけが休みの日には、決まって、野菜たっぷりのスープやシチューを食べさせられることになっている。何かひとつやふたつ買い忘れて、慌てて駆け出したのかもしれない。どこかで会えば、軍用車に乗せてやったのに。いや、そんなことをすれば、休んでいるハボックの代わりに運転手についてくれた若い軍曹がひどく驚いたことだろう。両手に食材を抱えた非番の部下を自宅に連れ込む上司の噂は、果たしてどのような尾鰭をつけて広がるだろうか。
そこまで考えて小さく笑ってから、仕方がないな、と、肩を竦めた。
どうせすぐに戻ってくるだろう。それまで、先週届いた本でも読んでいればいい。ただ、問題はいちど読み始めてしまえば、今度はアイツが戻って来ようが料理ができようが、何度も呼ばれても気付かない可能性がある、ということなのだが。
(私が帰ってきたときにいないお前が悪い)
いっそわざといちばん興味深い本でも読み出してやろうか。そんなことを考えながら、居間の扉を開けたとき、ソレが目に入った。




柔らかな陽射しの降り注ぐ部屋の真ん中で、それは如何にも気持ちよさげにぐっすりと寝入っていた。直接注がれた光が反射して、金色の髪がきらきらと輝く。
わんこ。
普段、親友がコレを呼ぶときの愛称が浮かんで思わず笑みが洩れる。大きなソファーにぐったりと身体を預けたまま眠る姿をみれば、ヒューズの言いたいこともよく判る。
(というよりも、そのままだな)
そう言えば、ヒューズは昔、金色の大型犬を飼っていたと言っていたような気がする。狗、と蔑称される自分や、その自分の犬と陰で囁かれることもあるコイツが、ヒューズの使う愛称を笑って受け入れているのは、その呼び方にどうしようもない程の愛情が込められていると知っているからに他ならない。
何時の間にか、やたらと仲良くなってしまった親友と部下。わんこ、わんこ、とコイツを揶揄うヒューズと、それに楽しそうに乗って構われているコイツの姿に、どちらにともなく、やきもち紛いの気持ちを持ったことさえある。尤も、そんなことは、どちらにも口が裂けても言えないが。

「ハボック?」
小さな声を掛けてみる。なんとなく、その寝顔を壊したくなくて、口のなかだけで呟かれた言葉に、当然のことながらハボックが起きる様子はなかった。けれど、その言葉が耳に入ったかのように、眠ったままのハボックの表情が、ふいに柔らかく微笑んだのを見て、思わず目を瞠る。

「……」
今度はハボックが小さく何か呟いた。
何を言ったのだろう。こんなにうれしそうな顔をして。
そっと屈んで、その口許に耳を近付ける。

ここで、誰か他人の名前でも呟かれたら、即燃やしてやろう。旨い食い物や煙草だったらどうしてやればいいか。案外中尉の犬などという可能性もあるかもしれない。そんなことを考えながら、けれど、いちばん可能性の高い名前を期待して。

たいさ、と。
この唇が動くことを期待して寄せた耳に。

そっと囁かれた言葉に、瞬間的に熱が上がった。



ロイ。






「ん…」

ぺろ、と、唇を舐めてやれば、鼻に抜けるような微かな声。
それでも未だ目を覚まさない奴。
そっと手を肩から胸に這わせてみる。真っ白いTシャツを押し上げる筋肉。普段、軍服の上着を着てしまえば、その身長とやる気のなさそうな垂れ目ばかりが目につくというのに、実はその腕も胸も分厚い筋肉に覆われていて。
同じ男だというのに、と文句を言えば、アンタがこんなになったら、俺、泣きますよ、と笑った奴。

「泣かしてやろうか」

耳許で、そっと囁くと、一瞬目の前の身体が震えたような気がした。

「起きてるのか?」
「ん…微かに」
「なんだ、それは」
「微睡みの最中だったんですけど。なんかえらく男前な台詞が聴こえたもんで」
「気に入ったか?」
「俺、どうやって泣かされるんです?」
「そうだな」

ゆっくりと視線を下ろして、そのまま、開いた足の間に跪く。伸ばした手でジーンズの上から擦ってやれば、確かな手応えにほくそ笑む。

「こういうのはどうだ?」
「随分とサービスがいいんですね」
「たまにはな」
「何かいいことありました?」

ファスナーを下ろして取り出したものは、僅かに首を擡げていて、そっと唇を近付けただけで、硬さを増す。

「大佐?」
「さっきお前が」
「はい?」
「寝言を…」
「え…つッ…」

舌を滑らせれば、それだけで息を呑む奴を、可愛いなどと思ってもいいのだろうか。

「たい…さ? あの。俺、なんて…」
「お前の名前を呼んでやったんだがな」
「はい」
「お前が返事をしたんだ」
「…なんて?」
「なんだと思う?」

舐め上げる度に、力強く天を向くものを感心しながら見つめる。

「何って、そんなの『はい』とか?」
「違う。名前だった」
「…『大佐』って?」
「違う名前だったな」
「へ……え、え、えええええっ!?」

驚愕して飛び上がりかけて、その体勢を思い出して硬直したように止まる奴が可笑しくて。

「た、大佐、あの、俺そんな、誓ってそんなことは、いやでも、いやだからそうじゃなくて…、俺は決してそんな…」
「そんな?」
「俺には大佐以外にそんな人いませんし、でもそんな、えっと、大佐、あの、俺なんて…」

一人で勘違いしたらしいハボックの声にこっそり笑う。本当のことを教えた場合と何も言わない場合とコイツはどちらが焦るのだろう。

「ほんとにどうしようもないな」
「たいさぁ…」


しあわせそうな寝顔と、うれしそうに呼ばれた名前に欲情した自分の方が、きっとどうしようもないけれど。我慢しきれなくなったコイツに押し倒されるまで、キスを繰り返せば、泣かされるのはどちらの方だろうと考えながら。




ロイ。
柔らかな声としあわせな寝顔と。
誰にも教えないひみつのことば。




fin.