ナイショ / くろいぬ-2
【ヒューロイ】【士官学校】







『Can you keep a secret?』




「おまえが錬金術師になろうとしたキッカケって何なんだ?」
 ロイの眉間に深い溝が刻まれ、ヒューズが慌てた。
「何だよ、そんなに言い辛い理由があるなら別にいいよ」
「別にそういう訳じゃない。ただちょっと……」
「ちょっと、何だ?」
 分厚い錬金術書を捲っていたロイが、机から、夕陽の差し込む窓の腰板に座るヒューズに向き直った。
 「別にいい」と言いながら、ヒューズは言葉の続きを待ち兼ね、茜がかった光の映り込んだ瞳でロイの顔を覗き込んでいる。
 ロイの気の強さを知るヒューズには、珍しく言い淀む彼が面白くて仕方がないのだ。
 眼線に促され、ロイはぽつりぽつりと語り始めた。
「あれは幾つくらいの頃だったろう。初めて錬金術師というものに出逢った時の事だ」



 幼いロイは旅の錬金術師と出逢った。
 とは言っても、錬金術師がいると聞いて様々な壊れ物を持ち寄った近隣の人々の、小さなパブの扉から溢れ出した行列に出くわしただけだった。
 皆が手に手に何かを大事に携えていた。
 欠けた花瓶や穴の開いた大鍋、蝶番の壊れた小箱や銀輪の撓んだ自転車、大きな写真機、工具の袋を抱えた大工もいた。
 時々パブの扉の隙間からぼうっと光が漏れ、その度大人達のざわめきが広がる。
「錬金術師だ!」
「光ったぞ!」
 ひと目錬金術師の姿を見ようとパブの窓に鈴なりになっていた街の子どもの群の中に、ロイもまた躯をねじ込んで行った。

 硝子窓の内側。
 大きなテーブルを前に、くたびれたコート姿の男がチョークを手にしていた。
 行列の先頭の老夫妻が、取っ手の取れた銀のスープの深皿を差し出す。
「嫁入り道具に母が持たせてくれたんだけどねえ」
 錬金術師は老婦人に笑いかけ、テーブルの真ん中においたスープ皿の周囲に手早く円陣を描くと、そこに両手を突いた。
 不思議な色合いの光が陣から放たれ、元通りになった銀器が新品の輝きを取り戻した。
 大喜びで器を手にした老夫人は、深皿の鏡面に自分の年老いた顔を映して笑顔を微かに曇らせる。
「あんたも新品の花嫁さんみたいに可愛らしいよ。旦那、こりゃ頑張らなきゃな」
 錬金術師がウィンクを投げると老夫妻は顔を赤らめ、店内の人々の歓声に見送られて足早に、だが微笑みを浮かべながら店を出た。
 パブの主人が錬金術師の背中を叩き、ビールの大きなジョッキを手渡す。

「すげえな! ぴっかぴかの元通りだ!」
「先刻なんか、母ちゃんの持って来た、俺の破いたカーテン直してくれたんだぜ! あれ、怒られたんだよなあ!」
 ざわめく店内に負けぬほど、窓にぶら下がる子ども達の声も大きくなって行った。
 ひとりの子どもが窓硝子を叩き、錬金術師が何事かと顔を出す。
「これ!」
 小さな男の子が兄に肩車され、何かを握った片手を差し出した。
 鮮やかな赤と黒の塗装も真新しいブリキの兵隊だ。
「誕生日に貰ったばかりなのに、壊しちゃったんだ」
 錬金術師は黙って受け取りテーブルに新たに円陣を描いた。
 小さな円陣が小さな輝きを放ち、その真ん中に小さな兵隊がすっくと立ち上がる。
 錬金術師がゼンマイを巻くと玩具の兵隊はぎこちなく歩き出す。
「ゼンマイは巻き過ぎるな。今度は丁寧に扱えよ」
 子どもに玩具を渡すと、錬金術師は窓を閉めてテーブルに戻った。
 直して貰ったばかりの兵隊が、子ども達の手から手へと渡る。
「すげえよ……!」
「元通りに動いてる」
 こうなって来ると子等の幼な心にもざわめくものがあるらしい、壊してしまって母親に知られぬように隠した花瓶、古びて動かなくなった宝物に心当たりのある者達が、家に駆け戻る。
 ばらばらと散って行く子どもの中に、ロイもいた。

 ロイには直して貰いたい物があった訳ではない。
 『元通りにして欲しい』物があったのだ。
「ええと、まだ売ってるかなあ」
 街の中央通りに向かったロイは、一軒の店のショウウィンドウに貼り付いた。
「……あった」
 骨董屋のウィンドウの中、見事な彫金に飾られた甲冑や刀剣、革張りのランプ、アンティークのラッパ銃と並び、小さな標本箱が置かれていた。
 小さな標本箱の中身は、小さな小さな丸い化石。
 いち、じゅう、ひゃく、せん……。
 ロイは値段表に書かれたゼロの数を数え、大事に溜め込んだお小遣いでぎりぎり足りることを確認した。
「クレタで採集されたアンモナイトの化石!」
 掌に載るような丸い化石で頭を一杯にさせ、全速力で家に向かう。

 錬金術で石化したアンモナイトを生き返らせて貰い、海水を満たした水槽で飼育するのだ。
 太古の海の塩分濃度は一体どの本を調べれば判るだろうか?
 小さな内は餌はプランクトンで良いのだろうか。
 アンモナイトの為ならば、栄養の豊富な本物の海水が手に入り易い海辺に引っ越してもいい。
 餌の小魚や海老を手に入れるのなら、漁師になるのが一番便利だろうか。
 学校なんて途中でやめてしまってもいい!
 
 ロイは家に戻ると一目さんに自分の部屋に飛び込み、机の引出にしまい込んだ貯金箱を手に取ると、また骨董屋へと舞い戻った。
 息を切らして駆け込む子どもの姿に骨董屋は目を剥いたが、そんなことは気にもかけなかった。
 貯金箱を骨董屋の手に押し付け、ショウケースの中の標本箱を指さす。
「あれをくれ! 早く、急いでるんだ!」
 だん! と床を踏みならした。



 ロイは言葉を止めた。
「どうしたヒューズ?」
 躯を震わせながら、ヒューズが腹を押さえている。
「いや、おまえにも可愛らしい頃があったもんだなあと。しかもオチが見えて来た」
「人の志のキッカケを尋ねておいてオチだと?」
「失敬。続きをどうぞ」
 笑いを堪えて丁重に先を促すヒューズに非難の目を向けてから、ロイは再び話し始めた。
「アンモナイトを握り締めて駆け付けた時には、パブにはもう錬金術師の姿は影も形もなかった。街の人の持ち寄った物を修復、錬成し、良心的な報酬を得て振る舞い酒を堪能し、汽車に乗って次の街へと旅立った後だった。俺がもたもたしている間に、ポケットに入れっぱなしの壊れた独楽を直して貰った奴が、自慢げに独楽回しをしていた姿が目に焼き付いてる」
「羨ましかったのか?」
「悔しかったんだ!」
 いよいよ我慢が出来なくなったヒューズが、壁をずるずると滑り落ちるようにしゃがみ込み笑い声を上げた。

 アンモナイトを元に戻して貰えなかった子どもは、自分が錬金術師になってアンモナイトを生き返らせればよいのだと思い付いた。
 小さな水槽にアンモナイトを飼って海辺の街を旅する錬金術師になるのだ。
 ロイは錬金術について調べ始めた。
 学校や街の図書館にも置かれている錬金術書は初歩的ではあったが、勿論誰にでも理解出来るものではない。
 だがロイは独学である程度の錬金術を物にした。
 数少ない専門書が禁帯出である為に図書館に入り浸るようになり、小部屋で錬成の実験を繰り返す小さな錬金術師がいるという評判が徐々に広がり始めた。
 ロイに適性を認めた学芸員が、専門的に錬金術を学べるように人を紹介したりもした。
 錬金術の私塾のような場所に出入りするようになり、漸くロイは、終わった生命をもう一度蘇らせることを、禁忌だと知った。
「詐欺だ。そう思った時には、自分には錬金術師の適性が有り過ぎる程に有ると判っていたし、何より明快な錬金術という物に魅力を感じていた」
「まあ、夢は儚く消えたが手に職は付けたって訳か」
「確実に食って行けるからな」
「そして今は軍人目指して士官学校在学中」
「軍人は更に確実に衣食住が保証されるからな」
「おーお。本に夢中になると寝食忘れる奴が、何を寝言言ってるんだか」
 ヒューズは、ロイの頬の赤らみが、紅潮してのことなのか夕陽の色に照らされてのことなのか、判別がつかない振りをすることにした。

「焔の錬金術師誕生の切欠が小さなアンモナイトとは。大総統も御存知あるめえ」
「おまえも言いふらすんじゃないぞ」
「ロイ・マスタングのご幼少のみぎりの夢は、海辺に構えた養殖場で増やしたアンモナイトを売り歩く、行商人兼錬金術師だってことをか?」
「どこをどう曲解すればそうなるんだ、マース・ヒューズ」
「じゃ、アンモナイト水族館の館長だ」
「あのな」
 ヒューズの目の前でロイは呆れたように口を開き、そして少し考える素振りをした。
「アンモナイト水族館の館長」
「悪くないと思ってるんだろ?」
 即座に何事かを返すと思ったロイが僅かに目を移ろわせたのを、ヒューズは見逃さなかった。
 ロイの目線が机の引出しに彷徨ったのだ。
 引出しの、上から3ばんめ。
「……ロイ?」
 ヒューズはゆっくり立ち上がり、ロイの瞳を覗き込みながら引出しを開けた。
「おまえ、ずっと大事にしてたのか……?」
 硝子の蓋の閉まる木製の標本箱に、紫天鵞絨の上の小さなアンモナイトの化石。



 夕陽も落ちかけ、部屋は赤味がかった光よりも薄暗さが強まっていたが、ふたり揃って灯りを点けようとも思い付かなかった。
 暗い部屋、すべすべの化石のまろ味を掌に確かめて、時折笑い合う。

「白亜紀の気温、海の水温ってどのくらいだか知ってるか?」
「ブリッグス山中で採集された三葉虫の化石標本なら、この学校の理科実験室にもあるぜ」
「今でも琥珀の中の蝶を錬成してみたいと思うことがある」
「いっそ首長竜の化石を手に入れて……」
「それじゃ移動水族館が出来ない」

 紅い夕陽の最後の残照を頬に受け、やがて天に満ちる星の光を瞳に宿し。
 小さな秘密を掌に載せ、ふたり何時までも話し続けた。






fin.