モーニングサービス / くろいぬ
【ヒューロイ】【イシュヴァール殲滅戦時】





『モーニングサービス』



 表情が乏しくなった。
 言葉も少ない。
 時間が空くと茫然と空を眺める自分に気付いたりもする。
 突発的に何かに八つ当たりすることが増えた。
 例えば、今。
 がつんと音を立てて小石が跳ねた。
 小石のぶつかったドラム缶がびくともしないのは、投げ付ける前から判っていたことだ。
 物に当たることなど、思ったように絵が描けなくて画用紙を破いた幼い頃以来だ。
 己の幼稚さを恥じる所だが、羞恥心は真っ先に麻痺した。
 そんなものを後生大事に抱えていては、戦争などは出来やしない。
 空を見上げた。
 三百六十度の視界に広がる淡い水色と、上り始めた小さな太陽。
 此処にあるのはそれだけだから。
 移動の時間が近付いた。
 軍用トラックの荷台に幌があるのは恩寵だ。
 涯てのない世界を移動して太陽に灼かれ続けるのは責め苦だから。
 ドラム缶を蹴飛ばし直し、携帯コンロにかけっぱなしのケトルを手に取る。
 ぐらぐら煮え続けたコーヒーでも、乾パンと缶詰の朝食には必需品だ。

「おい、ロイ」
 テントに寄り掛かって空を見上げる男に声を掛けると、ゆっくりとこちらを向いた。
「おまえが邪魔でテントが片付けられねえんだとよ。ほら、立て」
 のろのろと立ち上がり近付く男は、顔の筋肉の動かし方を忘れてしまったのじゃないかと思える程の無表情。
「そろそろ移動の号令だ。さっさとメシを食っちまえよ」
 ジープの影に座り込んで配給食とコーヒーを指で示すと、またのろのろと手を動かす。
 乾パンをひとつ、碌に咀嚼もせずに口に含んだままで天に顔を向けるので、勝手に缶詰の蓋をこじ開けて力無く開いた掌に無理に持たせた。
「よく噛んで食え。ゴムみたいな塩漬け肉でも消化しろ」
 釣られて食欲を出してくれればと、目の前でがつがつと食ってみる。
「肉は要らない」
「ブリキ臭いが我慢しろ」
 漸くひと言口にして、ロイは缶詰の肉に手を付けた。
 硬い肉は、一旦口に入れれば強引に咀嚼をせねば飲み込めるようなシロモノではない。
 いつまでも口を動かし続けるのを見て、コーヒーのカップをロイの目の前に押し出した。
「よく噛め。そして適当な所で諦めて飲み込め」
 咀嚼を続ける内に、ロイの目線が地上に落ちる。
 そうだ、天ばかりを見ていてはいけない。
 地面を見ろ。
 大地を踏みしめる俺達の足を、無力だが掴む力を持った掌を見ろ。
「ああ、不味い」
 カップから唇を離したロイが、唐突に呟いた。
「なんて不味さだ。煮詰まっている」
 カップに満ちた黒い液体の表面を睨み付ける。
「芳香も味わいも何もない。苦くて酸っぱくて焦げ臭いだけの泥水じゃないか!」
「軍特製だ。不味さの余り目が醒めるだろ」
「目覚めるどころか涙が出そうだ」
「涙か」
「こんなに不味いコーヒーが存在するなど、許し難い」
「そーだな、不味いよな」
「豆が酸化してるんじゃないのか」
「おまえ酸化還元して自分で淹れろよ」
 手にしたカップに向かって怒り始める錬金術師を前に、俺は笑い出した。
 ブラボー、死人のような無表情をも崩す不味いコーヒー!
 こいつは余りの不味さに怒っている。
 涙が出そうだと。
 許し難いと。
 味覚と嗅覚が無駄にされることを嘆いている。
 焔で燃やし尽くしてしまった平原とその上に広がる空だけを見つめることをやめて、地面に戻り、手に触れ口にするものの存在を思い出した。
 茫然自失も自虐も自嘲も、している暇など無い筈なんだ。
 生きてる生きてる生きてる。

「ほら、口は文句言うだけじゃなくて食うことに使え! 美味いお茶も柔らかな子牛のステーキも、無事帰らなきゃお目にかかれねぇんだから」
「格別美味くなくてもいい、とんでもなく不味くナイものを求めてるだけだろうが!」
「自分は美味いものなんかひとつも作れない癖に、我が儘な奴だな!」

 相変わらず砂漠の空は澄んだ水色で、その空の下に生きる者を殺し尽くすという我々の目的が変わる訳でもなく、今日も殺戮の為の移動をし新たな贄を作るのだ。
 空への鎮魂は恐らく今日も明日も続き、太陽の輝かしさからは目を背けたくなるのだろう。
 それでも。
「食ったらションベンしてトラックだ」
 移動用のトラックの荷台を親指で指さすと、ロイは鼻で笑った。
「走るトラックの上からションベンでも構わないだろう。食事を急かすな」
「おっまえ随分不貞不貞しくなったよなあ」
 コーヒーを飲み干したロイは立ち上がり、俺の背中に勢い良く掌をぶつけた。
 俺はロイの顎に拳を当てる真似をして、軽く腹を殴った。
 そして上品でない言葉を互いにぶつけ合いながら、歩き始めた。





fin.