『君はモラリストだよ』 / くろいぬ
【ヒューロイ】【18禁】


『ささやかな幸福』

「そういや、今度結婚することにした」
「おまえが? 相手は?」
「前に逢わせたろ。グレイシア」
「ほお、よく掴まえたな。おめでとう、幸せにしてやれよ」
「おまえに言われなくても。だが幸せなのは俺の方だがな」
「心から祝福するが、この体勢で惚気るのは流石にどうかと思うな」
「そうか?」
 セントラルのヒューズの住まう官舎街近くの宿の一室。
 ベッドに腰掛けたヒューズが腕を差し伸べ、ロイの延ばした手を掴んで躯ごと引き寄せた。
 シーツに押し付けた相手と、額と額を合わせるように顔を近付け触れるだけの接吻けを重ね、その合間のヒューズの報告を、ロイは祝福した。
 
 終戦後、セントラルとイーストシティに離ればなれに配属されたロイとヒューズは、それでも機会を得ては逢瀬を続けた。
 顔を合わせた瞬間に数ヶ月のブランクが消え、昨日別れたばかりの相手に向かうように声を掛け合う。
「やあ」
「よお」
 日常的な会話と情報交換を織り交ぜ、酒を交わし、当然のように触れ合う。
 セントラルとイーストシティに別れている間、互いに人間関係を別個に築いていることも了承しているが、それでもふたり出逢えば自然に、自分のものだと言わんばかりにその身に手を延ばす。

「なあ、ロイ。俺は彼女に何を与えられるだろう。温かなもの、柔らかできれいなもの、彼女の笑顔を見る度沸き上がる幸福感。受け取った以上のものを彼女に贈り返したい」
「……ああ。おまえなら出来るさ」
 自分の躯の上にのしかかり額を押し付けて来る男にロイは言った。
「グレイシアはこの世で最高に幸せな花嫁になるだろう」
「どうしような。彼女を幸せにする以前に、自分の方がとんでもなく幸福な気分なんだが」
「いいんじゃないか?」
「本当にいいんだろうか」
 ヒューズは全身の力を抜き、ロイの躯の上に突っ伏した。
 言葉には出さないが、ふたりの脳裏には同じ光景が蘇っていた。
 一面の焼け野原。
 戦闘員非戦闘員の区別無くイシュヴァラを祀る民を皆殺しにした、自分達の参加した作戦の数々が常にふたりの脳裏の片隅に存在する。
「他の誰がどう思うかは知らないが、私はいいと思うが。多分グレイシアもそう思うんじゃないか?」 
 ロイは頬に触れるヒューズの髪を撫でた。
 煙草の匂い混じりの甘めの整髪料の香りが付くのも気にせず、強い黒髪の流れに沿って指を差し込む。
「私やおまえの考えなど、似たり寄ったりでロクなもんじゃないだろう。だがグレイシアは賢明な女性だ。彼女の判断に任せておけば間違いはない」
「何だソリャ」
 ロイの首筋に顔を埋めたヒューズは、くつくつと笑い出した。
「彼女の幸福がおまえの幸福であるように、おまえが幸福であることが、彼女の幸福だろう。だからおまえと彼女は、全身全霊で幸福を目指していればいいんじゃないか? 脳天気なくらいに」
「……おぅ。そーさせて貰うぜ」
「そんな所で笑い続けるな。息がかかってくすぐったい」
「悪ィな。じゃ、真剣に続き行くか」
 そう言った切り、中々顔を上げない男の髪をロイは撫で、首から背に下ろした腕の力を強めた。

「彼女はおまえの人生を幸福にするだろう」
「ああ。俺の幸福を形作る大切なかけらのひとつだ」
「まだ欲張りを言うか。この強欲野郎」
「うん、欲深だな。彼女もおまえも両方幸福にしたい」
「思い上がり過ぎだ」
「俺をつけ上がらせたのはおまえだ、ロイ」
 上半身を起こしたヒューズが、色素の薄い瞳でロイの黒目がちの瞳を真上から見据えた。
 ネコ科の大型動物めいた印象の瞳が、急に目が細められたことで柔らかな表情を浮かべた。
「俺の幸せを形作る大切なかけらのひとつはおまえだ。なあ、おまえのことも俺が幸せに出来たら、もうこれ以上ないってくらいに幸福なんだがな」
 張りのある声を潜めてうっとりと囁く。
「図々し過ぎる」
 ロイは自分を見下ろす男の顔を、ぐいと掌で押し遣った。
「強欲男にこれ以上いい目を見せてやるのも業腹だが。今日の所はおまえを立ててやる」
 強引に体勢を入れ替えたロイは、ヒューズの軍服の前を大きく開きインナーの下に掌を潜り込ませた。
「脱がせてくれんのか?」
「もう黙ってろ、慾惚け」
 沈黙させるつもりで胸元に指を這わせたが、ヒューズはまた喉で笑い始める。
「何だ? 自分のヨワいとこ攻めてんのか? ……コラ、よせ」
 腹立ち紛れに捻り上げた指を掴まれ、それならばとロイは、インナーを捲り上げて唇をヒューズの胸に落とした。
「……っ」
 心臓の真上に接吻ける。
 指を掴むヒューズの掌に力が籠もるのを感じ取りながら、ロイは唇をゆっくりずらして行った。
「テメ、それ反則だろ」
 濡れた舌が辿り付いた頃には既に胸の粒は堅くしこり、ロイは存分にそれを嬲った。
 ネコ科の視線が凝視するのを意識して、舌を長く延ばし、唇と歯で挟む。
 いつの間にか指を解放した掌が、ロイの後頭部に宛てられていた。
 髪を梳きながら、掌はロイを引き寄せようとする。
「痛ぅ、噛むのナシ、噛むのナシ」
 自分は平気で好き放題なことをするクセに、と、ロイは眉を顰めて見せた。
「されんのとするのは別」
 我が儘な言葉ばかり紡ぐ口を今度こそ塞ごうと、ロイは唇を下腹部に向かって移動させた。
 ゆるゆると。
 ちろちろと。
 舌を蠢かせながら、鳩尾から腹筋の窪みに沿って臍で止まる。
 自分を見つめる目線と後頭部を押さえる掌に熱が籠もるまでロイは待ち、唇を付けたままヒューズのベルトのバックルを外し始めた。
「えらく挑発的だな。……ああでも。おまえにそうされんのは好きだ」
 熱の籠もる視線に見つめられて、ロイは満足そうに唇の端を引き上げた。

 ジップを下ろしたボトムから掻き分けるようにして自分のものを掴み出し、咥え、舐め上げるロイの姿から、ヒューズは目が離せなくなった。
 唾液に濡れて行く唇や顎、少し息苦しげに顰められた目元、丁寧に這い回る舌とは裏腹に無造作に根元を掴み上下する指。
「続けろよ」
 その言い種に噛み付いてやろうかとロイが思った瞬間に、ヒューズの指が睫毛に触れた。
 両側から顔全体を掌に包み込むようにして、親指で閉じた睫毛の並びに沿って目頭から眦まで撫でる。
 何度もそれを繰り返し、今度は眼窩の窪みから鼻筋を通り、肉を咥え込んだ唇へ。
 摩擦で赤味を増した下唇を擦り上げ、髪を掻き上げ耳朶を弄ぶ。
 首の後ろに回った指先にほんの僅か力が籠もると、ロイは心得たようにヒューズを喉深くまで飲み込んだ。
「いい子だ」
「ン……」
 鼻腔から抜けるような声を上げるロイの前髪を後ろに撫でつける。
「おまえ最高」
 ヒューズの囁く声を聞いて暫くして、ロイは不意に肉から唇を離した。
「ヒューズ」
「あ?」
 ヒューズが両掌に包み込んだ顔が、真面目な表情を湛える。
「『最高』は未来の奥方に言え」
 生真面目な声、生真面目な表情のロイに向かって、ヒューズは笑い出そうかどうしようかと一瞬躊躇った。
「あ、でも。グレイシアには頼めねえな」
「?」
「ホラ、これ。やってくれたら嬉しいけど、でも何となく頼めねえよ」
「他の人間に散々やらせてるクセにか!?」
 呆れ声を上げるロイに、ヒューズも真剣に言い募る。
「おまえは自発的だろうが!? 自発的にやってくれたらそりゃ俺は幸せだがな! でも頼めるか!? おまえなら頼めるってのか!?」
「頼みたきゃ頼むに決まっているだろうが! だがおまえの未来の妻には頼まん!」
「当たり前だ! 誰がグレイシアにお願いさせるかよ!」
 情事の真っ最中に突然始まった口論は、笑い声で突然終わった。
「この、嘘っぱち臭い多情者。未来の妻の幸福を何より願い、その癖情人の幸福をも願い、独占欲剥き出しの癖に思わぬ所に羞恥心を持っているとはな! おまえのモラルの在処を知りたいくらいだ」
「おまえと違って小心者なんでな。何一つ失うのが嫌なんだよ」
「誰が小心者だ。虚偽の罪まで加わったぞ」
 ヒューズはロイの躯を引き上げ、目を合わせた。
「俺ほど正直な男はいないぞ」

「ロイ、愛してるぞ」
「今更」



 多情博愛独占欲の欲深な男。
 この罪深き男の願うのは、ただ目の前の相手の幸福。
「愛してる」
 声と瞳で雁字搦めに捉えておいて笑う。
「愛してる」
 その言葉でどれ程ヒトを振り回しているのか、……多分自覚しているのだろう。
「だって、なあ、愛してる」
 捉えられ、振り回されてなお。

 それで幸福らしきものを感じ取る私がきっと馬鹿なのだ。




 シーツに押し付けられ、躯中に唇を落とされてロイは吐息をついた。
 丁寧に触れる唇から広がるのは、快楽だけではなく。
『なあ、おまえのことも俺が幸せに出来たら、
 もうこれ以上ないってくらいに幸福なんだがな』
 倫理に反する逢瀬をやめる気の無い男の、強欲な癖にささやかな望み。

「君はモラリストだよ。とんでもないモラリストだ」

 吐息交じりのロイの言葉を、ヒューズは聞き取って嬉しげに笑った。





fin.