真夜中にひとり / 白猫
【ハボロイ】





『A Happy New Year』





「寒いな」
誰もいない部屋に帰るのは、慣れていた。鍵をあけて、扉を開く。目の前に広がるのは、暗くて冷たい部屋。それが当たり前の情景だった。万が一、暖かい部屋などが待ってようものなら、寧ろ即回れ右して来た道を戻りたくなるというのに。



カチャ。
「おかえんなさい」
「…何故お前が此処にいる」
鍵を開けた途端、背後から聴こえた声に、肩から力が抜ける。
「待ってたからに決まってるでしょ。あんた遅いから凍死するかと思いましたよ」
ゆっくりと振り向くと、落とした煙草を踵で押しつぶす長身の男が一人。
「コートも着ないでそんなところに立っているのが悪い。人の家の玄関先を吸い殻で埋めるな」
「明日、掃除します」
そのまま近寄ってきた奴に、慌てて扉に向き直ろうとしたところを、背後から抱き締められる。
「…ッ、冷たいぞっ! 触るなっ!」
「さすがに車で帰ってきた人は、そこまで冷えてないっすね」
背後からすり寄せられた頬の冷たさに、思わず身が竦む。
「おいっ、やめろ」
思わず真剣に身を捩ると、案外素直に離れていく身体。
「すいません。さすがに不快っすよね」
「…ああ。どうした? 今日は素直だな」
「いつも素直っすよ、あんたじゃあるまいし。いえ、あんたを暖めるために来たのに、余計に冷やすわけにはいかないスから」
「勝手に決めるな。暖まりたかったら、もっと柔らかくて綺麗で優しい女性のところにでも行くさ。何も、お前に暖めてもらう必要はない」
「…柔らかくも綺麗でもないスけど。あんたへの優しさでは、他の誰にも負けないって自負してんですがね。駄目っすか?」
「お前は全然優しくないぞ?」
仕事中もプライヴェートも。いろんなコトが一気に脳裏を駆け巡る。こっちが困れば困るほど、嬉しそうな面白そうな顔で笑うコイツの何処が優しいんだ?
「ひっでえ。あんた、それマジっすか?」
「ああ?」
「…あんた、甘やかされ慣れ過ぎっス。ったく、中尉も中佐もあんたのこと甘やかしてばかりいるから」
「おい」
物凄く聞き捨てならない言葉に思わずかちんときて声を上げれば。
「そんなことより早く入りませんか? 本気で凍えちまいそうです。あんたもせっかく暖かく帰ってきたのに、こんなところで長話してたら冷えちまうでしょう?」
誰の所為だっ!
叫びかけた自分の脇に手を伸ばして、さっさと扉を開いた奴に、そのまま部屋に押し込められる。
「おい、ハボック! 入室を許可した覚えはないぞ。不法侵入だ、って、おいっ、人の話を聴けっ!」
そんな叫びを、まるっきり無視して、ずんずんと入っていったハボックが、浴室の扉をあける。すぐに聴こえてくる湯が流れる音。
「お湯、すぐ熱くなりますから。はやく温まってくださいね」
そんなことを言いながら、今度は暖房に火をいれる奴。
「大佐? コートくらい脱いだらどうですか?」
「煩い。余計な御世話だ」
文句を言いながらコートを脱ぐと、さっと近付いてきたハボックが、そのまま受け取ってハンガーにかける。
「上着も」
「…ああ」
そのまま、軍服をすべて脱がされて、何も考える暇もないままに、浴室へと追い立てられる。
「やっぱり結構冷えてますよ、あんた。ちゃんと暖かくしないと」
「冷えているのはお前の方だろう。お前が先にあたたまればいい」
「そんなことを言ったら一緒に入りますよ?」
「……」
思わず口を閉ざした途端、可笑しそうに笑う奴。
「嘘です。そこまでがっついてませんから。それより本当に早く温まって下さいね。そしたら俺もすぐ入りますから」
そして、ばたんと閉められる扉。なんとなく、居心地の悪いような面映い思いのまま取り残されて。
「…馬鹿か、あいつは」
小さく溜息をついてから、熱い湯を浴びるため、シャワーの下に身体を寄せた。




「マメな奴」
程よく暖まった部屋に、当然のように、冷たいビールやブランデー、ウィスキーに氷、そして軽いつまみまでもが用意されているのをみて、思わず言葉が洩れる。
自分と擦れ違うようにして浴室に向かったハボックが、凍えた手のままで、どんな顔をして、これを並べたのか想像しようとして失敗する。
(嬉しそうなカオしか浮かばないぞ)
人の世話をやくのに、どうしてあんなに嬉しそうなカオをするのだろう。なんとなく、もうひとりの世話焼きのカオが浮かんできた。
(そういえば、アイツも嬉しそうなカオをするな)
士官学校時代から、やたらと嬉しそうに自分の世話をする男を思い浮かべて、思わず首を振る。なんだって、皆あんなカオをして他人の世話などができるのだろう。自分なら、絶対に無理だ。第一、自分から進んで他人の世話をやこうなどと考えたこともなかった。いや、有り得ない。他人を甘やかしてもつけあがらせるだけではないか。一体アイツ等は、どういうつもりで……。
「大佐?」
「わっ!」
思いに浸っているところに突然かけられた声に、不本意にも思わず声がでて、思いきり気分が悪くなる。
「突然声をかけるな」
「…すみません。なんか、ぶつぶつと言ってるもんだから」
「何も…」
言ってない。そう言おうとして、不意に意地悪な気分になる。
「ヒューズのことを考えていた」
「ああ。そうですか」
「…気にならないのか?」
「気にさせようとして言っても気にならないんです、そういうのは。無意識に出るから、ずきんとくるんスよ。今みたいに、わざとそういうことを言われても、ああ、やきもちやかせたいんだなあ、可愛いなあくらいにしか思えません」
「やき…、かわ…」
とんでもない台詞に思わず絶句する間に、背後に廻られて、髪を拭かれて。
「髪はきちんと拭いて下さいって、いつも言ってるでしょう? ほんとに手がかかるんスから」
「おい、ハボック! 私はお前の子どもではないぞ」
「産んだ覚えはないっすね」
「おい」
それを言うなら、産ませた、じゃないのか?
「あんたは俺の子どもじゃなくて恋人です」
「おい、ハボック…」
「あんたがどう思ってるかはだいたい予想つくんでわざわざ言わんで下さい。年納めも年初めも、こんなことで傷付いたまま過ごしたくないっすから」
「年…?」
ふと見遣った時計は、あと数分で日付けが変わる時間になっていた。
「ああ、そうか」
「ああ、って。忘れていたんスか?」
呆れた声。
「煩い。仕方がないだろう。今日も明日もいつもと変わらず仕事があるんだ。そういえば、中尉が帰り際に、そんな挨拶をしてたが…」
「だから放っておけないんスよね」
「何?」
「あんた、放っておくと、ほんと何にもしないから」
小さな溜息と共に漏らされた少し掠れた声。
「ハボック?」
そっと呼び掛けると、そのまま背中から抱き締められて。
「たった独りで真夜中に、冷えきった部屋で新しい年を迎えたり、あんたは平気なんでしょう?」
平気、というより、そんなこと、考えたこともなかった。
「俺は平気じゃないです。あんたが独りきりでいるのは堪えられない」
「私が独りでいるとは限らないだろう」
「あんたが誰かと一緒なら、黙って帰ったスけどね。それならそれでいいから」
あんたが暖かければそれでいいんです。
そんなことを呟きながら、まだ湿ったままの髪に顔を埋める奴。
「それはつまり、お前が淋しいというだけなのだろう?」
「そうっすね。あんたが傍にいないと淋しくてたまらないです」
揶揄うつもりだったのに。真剣な声に、ほんの少し、身体が震える。
「ね、大佐。もうすぐ年が明けますよ。このまま年を越えてもいいスか?」
この腕のなかで。
一瞬、心臓が鳴ったのを気付かれないように、息を整えて。
「イヤだ」
「…あんたね」
「どうせなら、こっちがいいだろう」
溜息をついたハボックの腕のなかで、身体を回転させて。正面から覗き込んだ顔が、驚いたように目をみひらくのをみて、つい笑みが洩れる。
「大佐」
「どうだ?」
「最高っス」
そして暖かい接吻けを受け入れる。




たった独りでいることを、別に、イヤだと思ったことはないけれど。こうして、二人で過ごすのも、そんなに悪くはないかもしれない。そんなことに、今更ながら気付いて。





新しい年を大切な人と。




A Happy New Year !




fin.