窓 / くろいぬ
【ヒューロイ】【士官学校】





『窓』


 寮の裏手の塀側にヒューズが到着した時には、既に犬達は彼の匂いを嗅ぎ付けていた。
「シィ! いい子だから静かにしてろよ」
 ごく小さなフックを付けたロープを塀に掛け、手早く手繰って登り、塀の内に飛び降りる。
 待ち構えていた犬が、ヒューズの顔を舐めた。
「判った、判ったから。今度じっくり遊んでやるから」
 敷地内に夜間放たれる番犬達に躯の上にのし掛かられ、地面に黒髪の後頭部が軽く打ち付けられた時。
 見上げる寮の壁面に並ぶ窓のうちのひとつが音もなく開くのが、ヒューズの目に入った。

「ロイ」

 窓の内側の人物の影が、手招くように腕を上げ、奥に消える。
「さっさとしろって怒られちまった。じゃあまたな」
 ぐしゃぐしゃと手荒く頭を撫でられた犬が、嬉しそうな瞳でヒューズを見上げた。
 忙しない呼気を漏らしながら、撫で付ける掌を親密を示す為に舐め回す。
「今度、沢山散歩してやろうな。敷地内だけじゃなくて、どっか大きな公園にでも行こう。好きに走り回れるような、フリスビー投げ放題な広い場所に」
 犬達は、もっともっと撫でてくれとヒューズの前に顔を突き出す。
「シィ、シィーッ! 約束するって! また今度な!」
 犬に囲まれたヒューズは素早く周囲を見回し、人影がないことを確認して窓にロープを投げた。
 ロープを数度引き、フックが固定されたことを確認して壁をよじ登り始める。
「広いところへ行こうな」


「遅い」
「悪ィ」
 小さな窓から背中をかがめて室内に入り込もうとしたヒューズに、暗がりから不機嫌な声がかけられる。
「寄り道してたら遅くなっちまった。知人に掴まってパブで一杯奢られて……、睨むなよ、ロイ。おまえの頼まれ物もちゃんと預かって来たんだから」
「ありがたさも、この酒臭さと煙草臭さで割り引いてゼロ以下だ」
 ひょい、と、ヒューズの投げ寄越した包みは、ロイの掌の上で重い音を立てた。
 乾いた紙の音をさせて開いた包みの中身は新聞の切り抜き。
 地方紙や職業新聞のコラム、異国の見慣れぬ文字で書かれた記事だ。
 切り抜きに目を通すロイの手元をヒューズが覗き込んだ。
「……この酒臭さを黙認して堪え続けるよりも、舎監や学校の許可を取って正式に新聞を取り寄せた方がいいような気がして来た」
「無理無理ィ」
 ヒューズが小さく笑った。
「何の為の高い塀よ? 何の為のガッチガチの規則よ? 外出時の制服着用義務、理由のない外出禁止、戻れば報告書提出……。外界から遮断してがっちりコントロール下に置くことで、きっちり思想根性叩き込んで国粋軍人作るのがココの役目だろ。検閲されない情報なんか学生に寄越す訳がねえ」
「それぞれの分野のエキスパートとして知識と技術を会得する為には、余分なことを考える暇も時間も無い筈、ということじゃなかったのか」
「ンなこと思ってもみないくせに。検閲受けた記事なんか、おまえ、読む気が起こるのか?」
 そんな物には用がない、そうヒューズに同調しかけてロイは思いとどまった。
 政府の統制の行き届かぬ地方では、中央よりは多種多様な意見や議論が存在する。
 辺境での小競り合いの結果が大げさな戦勝報告となって中央で宣伝されることも、敗北が過小評価されて伝わることも、その原因が無かったことにされることすらもある。
 彼の地を生で見、住む者の生の声を聞くことが出来ぬのならば、せめて中央政府から操作される前の情報に少しでも触れたい。
 ロイの想いを充分承知の上でからかいの笑みを浮かべる男を、更にいい気分にさせるつもりはなかった。
「……知人に掴まっただと? おまえ、出歩けばぶつかる程に中央の知り合いがいるのか?」

 話題を変えるつもりで振ったロイの言葉に、ヒューズは平然と応えた。
「いる。っつか、出歩きゃ誰かに出逢うだろ。おまえの荷物を局留めにしてる郵便局の並びのパン屋のオヤジだ。5人目の子どもに漸く娘が出来たって嬉しそうに振る舞い酒だ」
「俺の用事で郵便局に行くようになってから知り合った、しかも結構な歳の男か……」
「ああ、40になったと言ってたな。気前のいいオヤジだよ」
 楽しそうに見知らぬ男のことを話すヒューズを、ロイは呆れたように眺める。
 ヒューズが、物怖じせずにどこでも我が物顔をする癖に、妙な人当たりのよさで受け入れられることが多いのを、ロイは知っていた。
 だが、寮の外出規則を破って抜け出たついでに、娘の誕生を祝って杯を干す程の仲の、自分達より倍も歳を取った知人が、ロイがヒューズに用事を頼むようになってから ─── ほんの数ヶ月程程のことだと、ロイは改めて呆れる ─── 出来るとは。
「オヤジの焼いたパンは美味いぞ、バターもミルクもケチらないからな。いつ焼いたのかも判らないような食堂の奴とはひと味もふた味も違う」
「土産に持って帰って来たことはないようだな」
「戻って来る道すがらに食い尽くしちまうんだよな。美味いから」
 あっけらかんと笑うヒューズに、ロイは丸めた包み紙を投げつけた。
「だって美味いんだよ」
「いくら美味くても、聞いてるだけでは腹は膨れん! ああ腹が減って来たじゃないか、こっちの身になれ!」
 益々楽しげに笑い出したヒューズに、他にぶつける物は無いかとロイは辺りを見回した。
「おまえも一緒にパンを買いに行けばいいんだろ。歩きながら食うパンの美味さを味わいに、おまえも一緒に来ればいいんだろ。俺といれば犬も吠えないぜ?」
 ロイの表情がすっと醒める。
「おまえみたいに喜んで出歩く奴が傍にいるというのに、自分まで危ない橋を渡るつもりはないな」
「まあな。俺は自分の好きなように外の空気も吸えねえなんてのはゴメンだからな。おまえは俺を遣いっぱにして外部の情報取り入れられれば、それで辛抱出来るんだもんな」
 寮を抜け出た時くらい、ついでの寄り道くらいは却って喜んでやってるよ。
 悪びれない男にロイは溜息をひとつついた。
「俺が、辛抱出来るんじゃない。おまえが、我慢するつもりもないってだけだ」
「もっともだ」
 風が吹き込み、切り抜きが数枚ロイの手から床に落ちた。
 それを拾おうと屈み込むロイの背に呟きが届いた。
「だって窓があるんだもんなあ。窓がありゃ、好きに出入りしていいってことだと思っちまうよなあ」
 見上げたロイの視界に、窓からの風を顔に受けたヒューズがせいせいとした笑みを浮かべる姿が映った。
「窓は風と光の入り口だ。自由に出入りとは……どこの間男の理屈だ、それは」
「間男呼ばわりとはひでえな!」
 ヒューズは苦笑を浮かべ、それでもロイの言葉が気に入ったらしく暫く、間男、間男と繰り返していた。
 繰り返しながら、窓を閉じようと窓辺に近付き、外の犬達がまだ自分を探して見上げているのに気付いた。
「だって間男を待ってる奴もいるんだもんなあ」
 広い所に連れ出してやると約束したばかりの犬達に、ヒューズは目をやった。
 その内、公園にでも犬を散歩させに行かなくてはならない。
 トレーニングと運動をさせるという名目があれば、犬連れ外出の許可は出るのではなかろうか。
 あんなに沢山いる犬を率いるのなら、ロイを巻き添えにする必要がありそうだ。
 尾を振る犬を眺めながら思案し、窓を閉じてヒューズは振り向いた。
「あ? ロイ?」
「なっ、あっ……!?」
 頬を紅潮させて口をぱくぱくと開くロイに一歩傍へと歩み寄る。
「おい、どうしたロ……」
「誰が待つか、間男なんかを!」
 弾けるように叫んだロイを、ぽかんと見つめ。
 ロイが怒れば怒る程止めようもなく込み上げるものを我慢出来ずに、ヒューズは笑い続けた。



 広いところへ行こう
 広いところへ一緒に行こう
 おまえを連れて、犬も連れて
 だから待ってないなんてツレないことを、言わないでくれ
 また俺の為に窓を開けてくれ






fin.