| 真昼の月 / くろいぬ |
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【ハボロイ】【18禁】 『真昼の月』 「少しだけ」 髪に絡めた指を軽く手の甲で押しのけられて、思わず漏れた声が妙に掠れて自分でも耳障りだった。 声に浅ましい熱が滲んだ。 案の定この人は、少し驚いた表情を顔に浮かべた。 俺は迷わずそこにつけ込んだ。 「時と場所を弁えますから。だから少しだけ触れさせて」 抱き込んで首筋に顔を埋めてしまったから、もうこの人からは俺の顔は見えない。 「ハボック」 どうした、との問いかけにも応えずに、耳朶から耳孔に舌を滑り込ませる。 半歩分後ろによろけた大佐が窓に背をぶつけ、明るい日差しを嫌がるように身を横にずらして壁に寄りかかった。 カーテンすら架けられぬ窓の硝子越しに、小さく白い真昼の月が見えた。 ロイ・マスタング大佐が錬金術師統制の役目に就き、麾下五名と共に、東部から中央へ異動したのはつい先日のこと。 元は中央の士官学校、大総統府直下の組織にいた大佐とホークアイ中尉だが、勝手の違いに何かと戸惑うことも多いらしい。 「何がおかしいと言ってだな。一兵卒が将軍の居並ぶ食堂に入るなと言われれば、多少むかつきながらも諦めがつくさ。もっと偉くなってからここに来てやる、美味い飯を存分に食らってやる、ってな。だが何時から佐官が一般兵卒の食堂に入っちゃいけないことになったのだ。隅っこのテーブルに紛れ込むくらい、見ない振りしてくれたっていいじゃないか」 肉体労働に従事することの多い若い兵士達の為に、一般兵卒の利用する食堂の食事は、栄養、バランス、ボリュームのどれをとっても、並より優れた物になっている。 朝食を摂り損ねた大佐はこっそりそこに紛れ込もうとして、居合わせた少年士官候補生の丁重な案内のもと、周囲に陣取る兵士達の「あっちに行ってくれ」という無言の視線の圧力に、高級士官用食堂に追い払われたのだという。 「私とて、馬のように食いたい時もある!」 昼下がりの錬金術師統制部では、憤懣やるかたないといった大佐に対し、東部からの付き合いの俺達の目は同情的ではない。 「馬のように食っちゃ、腹周りが危険なお年頃の方が多いからなんじゃないスか?」 「十代後半の兵士とはエネルギーの消費量が違うんですから。気遣われたんですよ」 「中佐だった頃も、ご自分では気づかぬだけで実は嫌がられていたのでは」 「大佐、焔の錬金術師に隣に座られた入隊直後の兵士の心情も考えてください」 ホークアイ中尉の尤もな意見に一同は頷き、大佐がむくれた。 「ここはいつからそんなデリケートなお坊っちゃま集団になったと言うのだ。あり得ん」 くすりと、中尉が小さく笑った。 「じきに周囲も慣れますから。それまでの我慢です」 ホークアイ中尉とて、以前との変化には未だ慣れきってはいないのだ。 資料ひとつ借り出すのに、以前は必要の無かった上官のサインが必要だと言われて資料室と元当方司令部組居室との間を余計に往復することもあったようだった。 射撃練習場の顔見知りの教官が退官していたと驚いてもいた。 かと思うと、以前は狭く薄暗かった休憩室が広々と改装されて椅子の座り心地がよくなったとも言っていた。 ほんの数年前のことを思い出すのに、中尉は懐かしむように目線を遠くした。 「以前は廊下の行き止まりの細長い小部屋に、堅い木のベンチしかなかったの。休憩に長居するような暇は無い筈だということかしら」 「私はそんな嫌がらせなど気にせず、堅いベンチでも眠れたがな」 即座に返した大佐の瞳も、遠くを見ていた。 「『奴』が軍議の続きを煙草吸いながら始めるから、長話しばかりになったんだ。尻が痛くなるようなベンチで長々と、そのうち眠たくもなるだろう? 『あいつ』に付き合う私も馬鹿だったが」 「私がお迎えに行く時には、いつもおふたりで昼寝をなさってるか、休暇のご旅行や女性のお話ばかりをなさっていたように思いますが」 「そうだったかな?」 釘を刺す振り、とぼける振り。 大佐も中尉も、ふたりとも過ぎ去った時間の中の、『あの男』の姿を思い浮かべているのだ。 「『あいつ』といると、いつの間にかそういうことになるんだ。学校でも東の砂漠でも、何時でもそうだった」 「戦場に於いても変わらぬ、飄々とした方でしたね。 ─── ヒューズ准将は」 ふたりの声に懐かしさと喪失の痛みが籠もった。 ここには思い出があり過ぎるんだ。 取り戻せない時間の、痛みと優しさのない交ぜになった追憶の中に無理矢理引き込む力を持つものが、ここには溢れ過ぎている。 マスタング大佐もホークアイ中尉も、何かの折りに遠い目をする。 それは、以前大佐達のいた部署の扉の前を通りがかったり、窓の外の演習場に目が留まったりといった、些細な事柄から引き起こされる。 とっくに忘れていた時間が急に、鮮明に色付いては沸き上がり、現在の時間から隔絶した所までこの人達を追いやる。 『同じ時を共有していた』『嘗て共に過ごしていた』 追いつけない、割り込めない、通り過ぎてすり抜けて行くばかりのものが、こんなにも。 現し身をここに置き去りに、遠くて触れられない場所までこの人を連れ去る。 「ああ……」 深く溜息を付いた。 中央に異動してからこっち、あの人を捜すのが難しくなった。 資料庫や図書館で、書類の山に埋もれるように眠っている時はまだましだ。 手分けしてどこを捜索しても見付からずに、お手上げ状態かと思うと、ふらり、一般市民に混じり市内を走る乗り合いで街外れまで聞き込みに行っていたと帰ってくる。 時間が空いて仮眠室で眠っているかと思うと、また消えてしまう。 無理矢理にでも掴まえて毛布の中に突っ込まない限り、まともにベッドで眠らない。 限界まで脳と躯を動かして、ぷつりと糸が切れたように短時間眠り、そしてすぐに起きて動き出す。 セントラルの街中の、どこの路上で眠り込んでいても不思議じゃない。 嘗て、大佐があの人と歩いた街。 俺の知らない街。 俺の知らない、大佐とあの人だけが知る場所。 それでも、徐々にここにも慣れて来た。 アパートメントから軍までの経路、朝の短時間駅前で新聞を売る少年や、フィッシュアンドチップスのスタンドで働く若い娘の顔を見覚えて来た。 詰め所の衛兵、食堂のコック、軍敷地内の植木の管理人。 大佐の隠れ家を教えてくれたのは、イシュヴァールの内乱のずっと前、ドラクマとの小競り合いのブリックス山中で足を痛め、それ以来何十年もここで清掃業務を続けているという、元歩兵隊長殿だ。 「ああ、あの変わった大佐殿。隠れて居眠りするのに、俺の邪魔はしたくないから清掃の終わる時間を教えてくれと聞きに来た。わざわざ、毛布を持ち込むが捨てないでいて欲しいと頼まれたよ。……あの人が大事な上司なら、アンタも部下なら、ベッドでゆっくり眠るように上申したらどうだい? あの大佐殿、ここに来てから痩せただろ」 元歩兵隊長の老人に、孫のように窘められた。 老人の教えてくれたのは最上階の使われていない空き部屋で、大抵そういう部屋はいつの間にかどこかの部署の荷物置き場になりそうなものの、きつい階段のお陰で皆に置き去られているという、本当に小さな部屋だった。 ノックをした。 何のいらえも無かった。 もう一度、ノックというより腕全体を打ち付けるようにして、扉を叩いた。 「大佐ぁ。いるのは判ってんですよォ?」 のんびりした声で呼んでから、施錠されたドアのノブに手をかける。 老人からちょっとしたコツを聞いて来たのだ。 ドアノブを上に引き上げると、戸板の下部に隙間が出来る、その隙間に靴の爪先をねじ込み扉を持ち上げるようにして、慎重にノブを回す。 「あ、開いた」 鍵と蝶番の壊れたドアが、軋んだ音を立てて開いた。 南に切った窓から差し込む陽光に目が眩み、部屋の床で毛布を足に巻き付けた人が茫然とした表情を浮かべているのに気づいたのは、扉を開いてから一秒後だった。 「大佐?」 「ハボック少尉か。……よくその扉が開いたな」 「開け方を教わったんスよ。情報元は明かせませんが」 「ここに出入りする人間自体が少な過ぎるんだ。ブリッグス山の英雄殿だな。私達がこの鍵の開け方を教わったのもあの人だ、機密漏洩を責められる筋ではないな」 目を見瞠いていた大佐が、会話するうちに常態を取り戻した。 「十年も前から鍵の補修の必要があると総務に訴えているそうだが、扉の枠ごと取り替えないと済まないとかで、延々放置されているそうだ。ありがたいことだ」 立ち上がり、毛布を畳んで部屋の隅にそっと置く。 「ハボック、ホークアイ中尉には言うなよ。ここだけは中尉にもバレてなかったんだからな」 「はいはい。秘密にしとけばいいんですね、秘密に」 軍服の背や脚、掌の埃を叩いて落とす、その最中にふと笑みを浮かべて。 「中尉が髪を伸ばし始めたのはここ数年で、それまではずっと短くしていたんだ。初めて逢った時には少年兵かと思った程だ。無口で怒ると怖いのに、一生懸命雲隠れした私を捜して走り回ってくれてた。少年と鬼ごっこをしているような気になった。他の隠れ場所は全部彼女に見つけられたが、ここだけは未だ発見されてない。最後の砦だと、あの時は笑ったものさ」 薄い笑みを浮かべながら硝子越しの空を見上げる。 眩しそうに眇めた黒い瞳は、日差し以外の遠い所を眺めていた。 「ふたりで笑ってたんですか」 陽光の中に立つ人の傍に寄り、寝乱れた髪を撫で付けようと手を伸ばした。 黒い髪は太陽に暖められ、指に僅かに抵抗を残してさらりとほどける。 「少年のような髪、少年めいた瞳の中尉から隠れて、あの人とふたりで。静かに隠れなくちゃ見付かっちゃうって? 毛布持ち込んで、誰にも見付からない場所で。秘密基地みたいな」 「ハボック」 髪に絡めた指を軽く手の甲で押しのけられた。 「少しだけ」 驚いて振り向きかけた躯の、肩を強く掴まえ向き直らせた。 遠い空から急に地面に引き戻されたかのように、大佐は戸惑いの表情を浮かべている。 掴まれた肩が痛かったのか、熱かったのか。 抱き締めた躯が揺れた。 「時と場所を弁えますから。だから少しだけ触れさせて」 少し悲しい気分になった。 顔を見られたくなくて黒髪のかかる首筋に唇を押し当てた。 抱き締められたこの時間にこの人の心が戻って来るように、俺を思い出して欲しくて唇を当てて吸い上げた。 焦慮混じりの接吻けでは膚の上にロクな痕も残せず、ほの赤く染めたところで色は散って行くばかり。 「ハボック、どうした……?」 歪めた顔を覗かれたくなくて、薄い耳朶に噛み付いた。 這う舌と吐息を感じたこの人は、敏感に感覚を働かせて身を震わせた。 電気が走ったように背筋を撥ねさせ、足元をふらつかせる。 よろけて窓に背をぶつけ、ここがどこであるのか、嘗てここで過ごした誰かのことを思い出したか、小さく息をのんだ。 せめて何もかもを晒し出す陽光から逃げ出そうと、硝子越しの日差しを避けて身をずらすので、光の届かぬように逃げ込む躯を掴まえ、壁押しつけ、はりつけた。 「腕、細くなってますね。休んでくれないと、あんたが痩せたってまた歩兵隊長殿が心配する」 「言ってることとやってることが正反対だな」 「俺だってあんたを窶れさせたいワケじゃないんスけどね」 あの人なら痩せさせないんだろうか。 いや、あの人の所為で今、あんたは不眠不休で動き回っているんだけど。 ホークアイ中尉だって、何年も何年もずっと隠れん坊で鬼のままなんて、可哀想だ。 あんた達ふたり揃って、くすくす笑いながらずっと秘密の場所に隠れてたなんて、ずる過ぎるんですよ。 色んなことを思いながら、でも「少しだけ触れさせて」とだけ繰り返した。 接吻けて吐息を奪い、舌を絡めて言葉も奪う。 上向かせて顎を捉えて、嚥下出来ない唾液が唇の端から溢れるのもそのままに。 「んっ……」 少し辛そうに顰めた眉が扇情的で、唇を貪り続けた。 ベルトを外してボトムの前から手を差し込む。 熱を持ち始めたものをそっと撫で、この人が物欲しげに身を震わせるのを押し付けた胸から感じ取る。 このまま扱き上げて欲しいのだ。 望み通りに緩い摩擦で刺激すると溜息が熱を帯びた。 「大佐」 たった今熱の高まりに絡めていた指を解き、薄く開いて呼気を漏らす唇に、押し込んだ。 唾液を絡めて。 たっぷりと。 根本まで飲み込んで。 口に出さないオーダーを、大佐は全部読み取った。 赤い舌が濡れた唇から現れ俺の指を這い回る。 熱い舌、冷えて行く唾液。 もっと深く、喉の奥まで咥え込んで欲しくて堪らなくなる。 「ぐっ」 息苦しそうな呻きをあげて、大佐は指に強く歯を当てた。 ずるずると、壁に凭れてしゃがみ込みかけていたのを脚の間に腿を捻り込み制止させる。 そのまま脚を割り込むように片脚を持ち上げさせて、開いた隙間に唾液に濡れた指を潜み込ませた。 「アッ……!」 唾液の滑りで強引に熱くて狭い場所に一気に指を押し入れ、抜き差しを数度繰り返しただけで、指の数を増やして行く。 馴れる暇もなく押し拡げられ、大佐は苦痛に首を仰け反らせた。 きつく瞑った瞼が震え、声にならない苦鳴の吐息で痛みを逃す。 「痛かったら叫んで。イイんならよがって」 耳元で囁いたのに、大佐は首を振るった。 嫌々をするように首を振るい、俺の肩に爪立ててしがみ付いた。 「も、う。」 脚が震えて、もう立っていられないのだと。 泣きそうに歪めた表情が可哀想だと思いながら。 「う……っ、んっ」 益々脚を高く上げさせ、躯の中心を広げる姿勢を取らせた。 「ハボック、もう」 かくん、と。 大佐の膝から力が抜けた。 躯が垂直に落ちかける。 「ダしゃいいじゃないスか」 肉の内側から腺を弄った所為で張りつめたものの、蜜を滲ませた先端を爪でなぶった。 「汚れる」 「引っかけても怒りゃしませんよ」 「私が厭だ」 震えを抑えた憎たらしげな声。 「ダしゃいいじゃないスか」 「ハボック」 しがみつく腕を払い落とすと、大佐は必死な目をしてまた俺を掴まえようとした。 片脚を持ち上げたままでは、自分の躯を支えることも難しい。 躯の芯を弄ばれては尚のこと。 「ンっ」 足元に跪き、臀の間に埋めた指を蠢かせながら、射精の前触れにひくつくものを咥えて歯で刺激した。 口の中に迎え入れられ、衣服を汚す恐れの無くなった大佐は少し安堵の様子を見せ、でもふらつく躯で俺の髪を鷲掴む。 「おかしくなりそうだ。早く何とかしろ」 欲情に掠れた声を聞き、漸く俺は、いたずらに高めるだけではない、この人の熱を解放してやる為の奉仕を始めた。 「ハボック……!」 天井を向いて仰け反る喉が、唾液を嚥下する動きを見せた。 忙しない呼吸に肩が大きく揺れていた。 俺の名を呼ぶ声が、放出の瞬間ひと際掠れてうわずった。 この熱情の時間でこの人の脳裏を塗り替えてしまえたらと思った。 羞恥や痛みや悦楽で混沌としたこの時間で。 真昼の月のように不意に姿を現すあの人の面影を掻き消してしまえればと。 窓の外には相変わらず、水色の空に幻のような月が浮かんでいた。 fin. |