眩しくて / くろいぬ
【ハボロイ】




『眩しくて』



 延ばした腕の先は空虚なシーツの海。
「ハボック?」
 ロイは一夜を共にした筈の男の名を唇に乗せ、その瞬間に香ばしい香りが鼻腔をくすぐるのに気付いた。

「あ、起きました?」
 色温度の低い朝日に照らされる男を見て、ロイはベッドサイドの時計を確かめた。
 5:53。
 耳敏い自分が気付かなかったのだから、目覚まし時計のベルの類の音は響かなかった筈だ。
 そう思い、無意識のうちに顔を顰めたロイに気付いたのか、ハボックは笑い出した。
「俺、朝早いんスよ。ホラ、田舎育ちなもんで朝日と共に鶏のタマゴ拾いとかしたし、弟妹の朝飯の面倒はあるしで」
 起き抜けの朦朧とし気味のアタマに、快活そのものの声が響き渡り目を醒まさせる。
 ロイは自分の黒髪を掻き回し、シーツを絡めた足をベッドの上で片膝立てた。
 ロイの視線の先で、低い角度の日差しが白いシーツに長い影を投げかける。
 同じ狭い室内で、行ったり来たり忙しなく動く男が、ジーンズだけを身に纏いキッチンで小振りなフライパンを操っていた。
「シャワー浴びたかったらどうぞ」
「ああ」
 くしゃくしゃと。
 髪を掻き混ぜながらベッドを抜け出し、ハボックの指さすバスルームへと向かうロイは、途中で口笛を拭かれて眉を顰めてみせる。
 朝日の中で素裸で歩き回ったところで。
 健康的なジーンズの上の伸びやかな背筋を見せびらかされた後では、胸元の情事の名残の紅色ごときは称賛される程のものではない。
「タオルとバスローブです」
 放り投げられたそれらが、馬鹿みたいに大きく分厚いことに閉口する。

 熱めの湯と冷水のシャワーを交互に浴び、躯の芯から目を醒ましたロイは、バスルームを出た瞬間に深く呼吸を吸い込んだ。
 コーヒー。
 ハムとタマゴ。
 こんがりしたトーストにとろけるバターの香り。
「冷める前にどうぞ」
「朝から食欲旺盛だな」
 香ばしい朝食の並ぶテーブルに、バスローブ姿で鷹揚に座って見せる。
「時間がなきゃ、セロリ囓りながら家を出て、スタンドでホットドックとコーヒーですけどね」
「セロリ?」
「囓りません?」
 トーストにかぶりつこうとした瞬間、ロイの声音が微妙に変調したことに気付きハボックは目を上げた。
「セロリ、キライですか?」
「……そうは言っていない」
「セロリとニンジンのスティックサラダでも出しましょーか」
「…………イラナイ」
 苦虫を噛み潰したようなロイの声を聞き、ハボックは嬉しげに笑った。

 トーストもバターも、白い皿の上でぷつりとフォークを刺されて流れ出た半熟目玉焼きの黄味も黄金色。
 分厚く切り取られ、こんがり焼き目を付けられたハムも、香ばしい色合い。
 徐々に昇りつつある朝日が、ロイの正面に座り朝食を平らげて行くハボックの明るい金髪を透かした。
 コーヒーカップに口を付けたロイは、妙なくすぐったさを感じた。
 昨晩のめり込んだ熱っぽい情事の、名残のカケラもない健全な朝。
 この健康さに慣れるまで、暫く時間がかかるかもしれない。

「コーヒーのお代わりは?」
「貰おう」

 キッチンへ向かう男が背を向け、ロイはその肩に自分の残した引っ掻き傷を発見した。
 腫れの引いたごく薄い掻き傷は、それでもロイを満足させた。
 郷里の弟妹と同レベルと思われかねない現状は、ロイには全く不本意で。
「こっちが慣れるのではなく、そっちに飼い慣らされて貰おうか」
「何か言いました?」
「何も」
 大人らしい不健全さを、そろそろこの大きな図体の男は身に付けてもよい筈だと、苦い芳香を満たしたカップを受け取りながらロイは思った。
「……悪巧みを思い付いたような、機嫌のいい顔してますよ?」
「気の所為だろう」

 黄金色の溢れる部屋で、セロリとリンゴのジュースは飲み易くて躯によいと熱弁を振るい、健全さを伝染させようとする男をロイは眺めた。
 どっちが慣らされるのが先だ?
 そう思いながら。
 眼に映る男が朝日に照らされるのが眩しくて、ロイは笑いながら目を眇めた。






fin.