| 馴染む / くろいぬ |
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【ヒューロイ】【士官学校】 『馴染む』 郷里から届いた手紙を、ヒューズは時間をかけて読んでいた。 何度も読み返しているようだったので、ひとりにしておこうと、読みかけの本を持って部屋を出た。 寮の中庭の、植え込みの陰に寝転んでの読書を終え、少し肌寒さを感じかけた頃に窓を見上げると、窓辺でヒューズが茫と空を眺めるのが見えた。 「や、遠い親戚が結婚するって、めでたい手紙が来たんでさ、お祝いの贈り物くらいはしなきゃならないと思って。従姉妹だかハトコだか、それとも又従姉妹だったかな? 滅多に合わない親族なんて、何を贈ればよいのやら皆目……」 「相手の趣味も判らんのでは、花か菓子が無難だろうな」 「だよな」 夜。 食堂から戻ってからも、ヒューズはデスクに肘突き天井を見上げていた。 「俺が小さい頃かな? その親戚が16だか17だかの頃に婚約相手の男が戦場で行方不明になったんだ。それでもひょっこり男が戻って来るんじゃないかと、ずっと望みを持って待っていた。数年間は他の親戚も黙ってたんだが、ハタチ越えた頃には別の男を探して幸せになれってんで、世話焼きたがるジジババが煩かったみたいだった」 独り言のようにヒューズは語り始め、私は、彼が何を言いたいのかが判らずそのまま聞き続けた。 「……余計なお世話だよな。俺にとっちゃ、彼女は未亡人だったんだ。約束だけ残して消えた、生きてるか死んでるかも判らない男を想い続ける、未亡人だったんだ」 ヒューズの声に自嘲の成分が含まれたので、私は少し慎重になった。 同意してやるか。 それとも馬鹿めと笑ってやるか。 「十年以上も時間をかけて、彼女は自分の心を整理して新たに生き始めた。心からの祝いを贈りたいと思うんだ。それなのに」 「それなのに?」 相づちのタイミングが少し、せっつくように早まった。 ヒューズは顔を上げて私を見、少さく笑みを浮かべた。 「彼女が身に付けてたペンダントの中身の写真を見せて貰ったことがある。大切そうに襟から引き出した鎖の先の、小さな銀のペンダントを、掌に載せて貰った。写真の顔なんざ覚えちゃいねえ。でもペンダントに移った彼女の体温は覚えてる」 ヒューズは急に立ち上がり、腕を上げて延びをした。 「ああ、眠くなった」 こちらを見る顔が余りに情けなかったので、結末も結論もない話をこれで打ち切ってやることにした。 「写真、どっかにしまわれちまうんだろーな。男のコトを毎日思い出すのは、そいつの老いた父母だけになっちまうんだろーな。ヒトが死ぬってのはそういうことなんだろうな」 毛布に潜り込んでから、漸く小さく呟く。 珍しく壁を向いた寝姿の背に向かって、次の休暇に、美味しくて見栄えのよい菓子を売ってる店に一緒に行ってやろうと言った。 ブーケのように豪華な花の砂糖菓子が飾られたボンボンを、どこかで売っていると聞いたことがあった。 硝子細工みたいな色とりどりの花やピールの砂糖漬けや、洋酒たっぷりのチョコレート、鮮やかなグリーンのピスタチオのヌガーや砕いたナッツを練り込んだキャンディ。 箱を開いた瞬間に思わず笑みを浮かべるような、きれいな菓子を探して贈ろう。 「ああ。喜んで欲しい。幸せになって欲しいと思ってんだ、本当に」 毛布からくぐもる声。 「ヒューズ」 名を呼ぶのと同時に、ヒューズのベッドに片膝を乗り上げた。 ヒューズが少しだけ、頭をこちらにねじ曲げる。 「悲しいのなら添い寝してやろうか?」 私の言葉を聞いたヒューズは声を出して笑い、そして私に向けて両手を拡げた。 彼の躯に跨るように両膝、両手を突いた筈なのに、引き寄せられて唇を合わせるうちに、いつの間にか躯を倒され、ヒューズに上に乗り上げられていた。 乗っかられる為の添い寝じゃないぞ。 そう言おうと思ったが、餓えたように接吻けられて吐息すらままならなかった。 下唇を甘噛みされたり、吸い付かれたり。 唇を舐めて慰めてやろうと出した舌に噛み付かれたり、根本まで絡め取られたり、歯の裏を探られたり。 「んっ……」 息を継ぐ間くらい寄越せと懇願する間もない。 唇を塞がれて鼻孔から漏れる自分の甘ったるい声音を、気恥ずかしく聞き続けるしかなかった。 「ん……」 顎を開き、唇の上に滑らせるように舌を出して、求められるままに貪らせるしか。 「ヒューズ」 「ああ」 顎から耳元へ唇が移動し、しぶとい舌に首筋をなぞられ、ぞくりと粟立つ感覚に我に返ってヒューズに問うた。 「おまえならどう望む? 自分が置き去りにしてしまった人々に、何を望む?」 数瞬時間が止まったように感じられた。 「覚えていて欲しいか? 何時までもおまえだけを愛していて欲しいか? それとも新しい人生を歩み出して欲しいと願うか?」 ヒューズは驚いたように身を起こし、私の顔から、ベッドレスト、壁へとゆっくり目線を移した。 私は、殺風景な寮の壁に何かの映像が映っているのを眺めるかのような目をするヒューズを、見上げた。 凝視する先で彼の唇が噛み締めるように引き締まり、喉元が強ばった。 「俺は」 息を詰め、吐き出す。 暗がりに青白く浮き上がる喉仏がゆっくり上下した。 「忘れてくれなんて言わない。いや、忘れたっていいんだ。俺を忘れて、俺が見たことのない顔をして笑うようになっても構わない。でも時々思い出して欲しい」 ヒューズが睫を伏せる。 「ほんのたまに思い出して泣いてくれたらいい。一年に一度でも、五年に一度でもいいから、思い出して身も世もなく泣いて欲しい。嘆いて憎んで罵って呪って、その瞬間俺だけのことを想ってくれたら、それでいい」 ヒューズは私の胸に目を落とし、乱れ気味の衣服のボタンをひとつ、ふたつ、外した。 「そうしたら、他の時は完全に俺のことなんか忘れてくれたって、構わないんだ」 袷を開き、胸の中心に、私の心臓の真上に、楔を打つような接吻けを落とした。 「それは死ぬまで憶えていて欲しいということじゃないのか?」 「いや、忘れてもいいと言ってるのさ」 唇を落とした場所に鼻の先を擦り付け、額を押し付けた。 痕跡を残そうとするみたいに強く、押し当てた。 「いいのか、そんなことを言って。おまえが願うなら、永遠に憶えていてやるかもしれないのに」 「本当に?」 ヒューズが胸から顔を上げた。 「確約は出来ないがな」 「随分と好い加減だな。……忘れたっていいって言ってんのに」 「思い出して泣いて欲しいんだろ?」 「そうだ」 強欲ぶりをさらけ出して、彼は笑った。 触れあう胸や腹から、彼の笑みの振動や鼓動、体温が伝わった。 それは私の中にゆっくりと、染み込んで行った。 躯の奥底にまで深く、染み込んで行った。 fin. |