降参 / くろいぬ
【ハボロイ】





『降参』



 市街地の視察中に急に狙撃された。
 大佐の躯の脇をすり抜け家並みの石壁にめり込んだ弾丸が、小さな破片を飛ばす。
 遅れて、空気を切り裂く金属音の低い轟きが届く。
 周囲に民間人がいなかったことは不幸中の幸いか。
「大佐!」
 鋭く叫んだ時には、ホークアイ中尉は銃を構えて狙撃手のいると思われる方角に銃口を向けていた。
 俺はと言えば、大佐の腕を力の限りに引っ張って、近くに停車していた自動車の影に飛び込むのが一番の責務で。
 大佐の躯を突き飛ばすようにして共に倒れ込む。
 がつんと、大佐の肩と俺の肘が路面の石畳に打ち付けられる音が、互いの躯を通して伝わる。
 いつもの調子で、痛いじゃないかと責められるかと思いきや、真剣な瞳で見上げられるから鼓動が跳ね上がった。
「見せろ」
 一瞬大佐の発言の意味が判らなかった。
 ぐいと掴まれた右上腕に痛みと熱が走ってから、車の影に飛び込む際に2度目の銃声を聞いたことを思い出し、どうやら自分は撃たれたらしいと気が付いた。
「掠っただけです。……痛ッ、いたたたたたたッ!?」
 大佐を安全な場所に押し込んだことを確認し、銃を構えようとした途端に傷口を握られた。
「何すんですか!?」
「見せろと言っている」
「ンなこたぁ後にしてくださいよ!」
 同じく車の影に待避したホークアイ中尉が、毎度ながらの緊迫感の無さに呆れ、こちらを見ている。
「上から狙われているようですね。大佐も少尉も、騒いで目立つと狙い撃ちされますよ」
 中尉の冷静な声と同時にまた銃声が響き、首を竦めた。

「中尉、あー。鏡を持っているかね?」
 車の影に三人うずくまりながら、女性に向かってならば至極当然な質問を、大佐は言い辛そうに声に出した。
 大佐の逡巡を感じ取った中尉は複雑そうな表情を浮かべつつ、青の軍服の内ポケットから平たい物を取り出し差し出した。
 大佐に手渡されたのは、花の線彫りの施された、くすんだ銀色の薄い折り畳みの鏡。
「ありがとう」
 短く言い、大佐は車の扉に背をもたれさせたまま、鏡を掲げた。
 頭を出して周囲を見渡せば狙われる。
 せめて狙撃手がどこに潜んでいるのかが判れば……
「 ─── いた。通りの向こうの時計塔の天辺の、鐘楼の影に帽子を被った男が一名」
 鏡像を睨む大佐の唇が、しぶとい笑みを浮かべた。
 きらきら陽光を反射する鏡のすぐ側を弾丸がかすめたのはその直後。
「もう遅い!」
 制止する間もなく大佐が立ち上がった。
 青い軍服姿ですっくと立ち、時計塔を睨み付けて火蜥蜴の紋様が描かれた手袋に包まれた右手を掲げる。
「大佐、あぶな……!」
 まっすぐに立つ人を物影に引き込む為に、飛び付こうとしたその瞬間。
 腕が真上に引き上げられ、日差しに眩しく輝く白手袋が動いた。
 手首が優雅に翻り、魔術師の技のように滑らかな動きで焔の錬金術師の指先が踊った。

 指先を鳴らした弾ける音と、火花の走る音、錬成光の青白い放射がほぼ同時に起こった。
 瞬間の爆発音に続き、焔に焼かれ鐘楼から落ちる男の後を引く悲鳴。
 爆風にあおられた鐘の鳴る澄んだ音が、不規則にイーストシティに鳴り響いた。

 通報で憲兵が集まり出した。
 時計塔へも既に兵が向かい、事故の処理を開始したという。 
「……さて」
 大佐が向き直り、笑みを浮かべた。
「さっさと司令部に帰還して、そのかすり傷とやらを看て貰った方がいいな」
 銃創のある側の腕を叩かれ、悲鳴を噛み締める俺の様を見て大佐が笑った。
「マスタング大佐」
 ホークアイ中尉が、銃を腰のホルスターに仕舞いながら、殊更に静かな声で大佐の名を呼んだ。
「祖母の形見の品ですので、次回からは気を付けて取り扱ってください」
「そういう重大なことは早めに言いたまえ」
 大佐は指先で弄んでいた鏡を慌てて両手に持ち直し、中尉に丁重な仕草で返却した。
 銃撃された時よりも数倍ひやりと冷たい汗を、背筋にかいたようだった。



「それにしても、遠距離攻撃も出来るとはなあ……」
 東方司令部の敷地内。
 晴れ上がった空の青さに引き寄せられ、昼食を戸外で摂るべく彷徨っていた。
 エメラルドグリーンも眩しい、中庭の刈り込まれたばかりの芝生の上にごろりと寝転がる際にも、もう数日前の傷が痛むことはなく。
 例えばシャワーを浴びる時にふと目に留まり、この間付けたばかりの傷だったっけなと思い返す程度になっていたのだけど。
 必ず同時に、まっすぐな姿勢で立ち上がった人のことを思い出す。
「錬金術とは便利なもんだな。攻撃範囲の限界は、術の性質によるんだろうか? 大佐は火花を飛ばして狙撃者に焔をぶつけた。エドワード・エルリックならどうした? あの大将のことだから自分が敵に近付いて襲いかかる為に錬金術を使いそうだ。アームストロング少佐ならば? ……岩を殴りつけて大砲の弾のように吹っ飛ばすのを、そういえば見たことがあったなァ。重火器並みかよ」
 国家錬金術師が並みの人間ではないことなど、とっくに知っていたけれど。
 青い空に雲がゆっくりと流れて行くのを眺めて溜息を付いた。
「俺も錬金術習ってみようかなあ……」
「試しにやってみるか?」
 寝転んでぼんやり天を見上げる視界に、逆光の人影が急に映り込んだ。
「たいさっ……!」
 慌てて起きあがる。
 大佐は俺の様子を気にすることもなく、植え込みの枝を一本折り取り地面に向かってしゃがみ込んだ。
「ハボック少尉」
 注目をしろと声音が言った。
 遙か昔、学校で教師に名を呼ばれた時のことを思い出した。
 大佐は地面に円を描くと、木の枝を差し出して『描いてみろ』と、俺を見る。
 手元を覗かれ落ち着かぬ気分で、大佐の円の隣に同じくらいの大きさの円を描こうとした。
「……アレ?」
 曲線ががくりと歪んだ。
 それでも丸に近付けようと、線の始点に終点が戻るように木の枝を引こうとした。
「あ?」
「円は力を循環させる。始点と終点がぶっちがいになるようでは、循環する力は働かない」
 もう一度、線が繋がるように円を描いてみる。
「肩を支点にするように腕を回してみろ。そんなに難しいことじゃない」
 大佐はもう一つ円を描いた。
 肩を支点にと言った通りに、腕をコンパスのように動かし正確な円を描く。
 ぐるり、ぐるり……
 同心円をふたつ、みっつと描き続ける。
 木の枝を持ち直し、その様を真似するように腕を動かしてみても。
「線が曲がったり直線になったりでは、そこで力のロスが起こる。力が循環、増幅されず術が発動する前に終わってしまうんだ」
 二重の同心円を描こうとして、同心どころか外と中の円が接してしまいそうな有様だった。
「俺には無理みたいっス」
「いや、これは技術として習得出来るものだ。地面にしても紙の上にしても、円を発展させた錬成陣を描くところまでならば、繰り返し練習すれば拾得できる職人の技術なんだ。まあ、錬金術師に興味を持った者の多くがここで躓くんだがな」
「大佐の錬成陣の手袋みたいな裏技は、教えては貰えないですよね」
「企業秘密だからな」
 大佐は言った。
「企業秘密であると同時に、軍事機密でもあるな。我々の行う、特殊な錬成に特化した錬成陣の携帯は、邪道中の邪道だ。『大衆の為にあれ』という錬金術師の原則からはかけ離れたものでもある。基本を修めていない者にそれを伝授するのはリスクが多きいし、流石の軍の狗といえども羞恥心が邪魔をする」
 唇を微かに歪めた大佐の笑いは、自嘲にも見えた。

「いいと思ったんスけどね、錬金術。ところがやってみれば、子どもが石蹴りの為に描いた輪の方がまだマシと来た……」
 自分への失望が声に滲んでしまったらしい。
 大佐は首を傾げて俺の顔を覗き込み、にやりと笑った。
「ハボック」
 そのまま歩いて中庭を囲む棟の壁際まで行き、軍服の飾緒を引き胸ポケットから金色のペンシルを取り出すとがりがり音をさせて壁面に円を描き始めた。
 飾り物の真鍮のペンシルでは傷が付いてしまうだろうに、大佐は気にする様子もなく掌程の大きさの円を壁に描く。
 小さく、何重にも重なる整った同心円。
 大佐は最後にペンシルの先端を打ち込むように、円の中心を抉りシルシを付けた。
「これが見えるな、ハボック少尉?」
「……勿論」
 直径数インチの同心円の、
  ─── 標的。
 距離約10ヤード。
 大佐は壁に寄りかかった。
 標的が、顔と同じ高さに並ぶ。
「さあ」
 顎を上げて俺を見るから。

 ホルスターから銃を抜き両手で構えた。
 躯が覚え込んだ姿勢を取る。
 すうっと辺りが静かになったような気がした。
 聞こえるのは自分の呼吸音、鼓動。
 それも静かに低くなって行く。
 緊張感ごと自分の躯を制御している時の、静かな高揚感を心のどこかで感じる。
 意図的に冷ました意識で標的を見つめると、視野の隅の大佐が薄く笑みを浮かべた。
「野生の獣のような眼をするんだな」
 うっとりとしたように目を細め、唇を動かす。
『撃て』
 標的の真ん中を狙い、引き金を引いた。

 銃声が韻々とこだました。
 同心円の真芯にめり込む弾丸を指して大佐が笑った。
「見事なものだ」
「まだまだホークアイ中尉には及びません」
「謙遜とは珍しいな。体格の有利が活きて、重たい銃器の扱いは少尉の方に分があると聞いているが?」
 褒めてくれているのか。
「あてにしているよ、ハボック少尉。おまえを信頼している」
 大佐の黒い瞳がまっすぐに俺を見た。
「おまえの腕を、その集中力を、信じてる。おまえの援護になら私は背中を安心して任せられる。預けられる」
 瞳の磁力に掴まえられたような気がした。
 射撃の腕前のことを言われているのだ、護衛としての資質を信頼しているとこの人は言っているのだと、自分に言い聞かせる。
『野生の獣のような眼をするんだな』
 今見たばかりの、どこか婉然とした表情が、不意に脳裏に蘇った。
「ハボック」
 卑怯だ。
 そんな声で名を呼ぶだなんて。
「信頼しているんだ。だから傍にいてくれ」
「 ─── イエス、サー」
 陥落の溜息。



 ざわつく空気が近付きつつあった。
「拙い。逃げるぞ、少尉!」
 中庭で拳銃発射だ。
 ただでは済まないと判っていた筈なのに。
「アンタ、後のこと何も考えずに『撃て』って命令したんですか!」
「口には出してないぞ」
「なっ! 俺の所為ですか!?」
「そうは言わないから一緒に逃げようと言っているんじゃないか!」
 中庭に駆けつけた兵から逃れるべく、走りながら小声で怒鳴り合う。
「逃げたってバレるに決まってんじゃないっすか。ああ、中尉が静かに怒り狂う様が目に浮かぶ……」
「一緒に怒られてやるから」
「俺は命令に従っただけだって言いますからね!」
「卑怯者!」
「どっちが!?」

 やっかいで手の掛かる黒い瞳に捕らえられて、溜息ばかり。






fin.