こねこ / 白猫
【エリシア&ロイ】『ナイショ(白猫)』の続き【黒猫物語】





『こねこ』





「ローイ」
ヒューズ家の客室。親友の愛妻グレイシアの優しさがいっぱいに込められた居心地の良いこの部屋には、中央に来ればほぼ必ずといっていい程に世話になっていた。太陽の香りのするふかふかに膨らんだ布団に、清潔な真っ白なシーツ。洗い立ての寝巻きは、自分専用に用意されたもので、同じく自分の為に用意されているグラスが、蒼い水差しと共にサイドテーブルに乗る。鏡の前に置かれた小さな花瓶には、この家の庭に咲き乱れる柔らかい色合いの花が挿されていて、ほんのりと甘い香りを醸し出す。
まるで自分の部屋にいるかのように落ち着かせてくれるこの部屋に、いつものように招きいれられて。早速勧められたシャワーを浴びて一端戻ったところに、半開きにしていた扉の向こうから、小さな声が掛けられる。
「なんだい、エリシア」
「はいってもいーい?」
「いいよ。おいで、エリシア」
小さなレディに失礼のないように、急いでシャツを羽織りながら返事をすると、小さな頭が扉の向こうから、ぴょこんと覗く。淡い桃色のパジャマにふわりと下ろされた金髪。そして手には大きな黒い塊を抱えて。
「えーと。しつれいします」
母親に習ったのだろう、小さな手を膝の前であわせて頭を下げてから、嬉しそうな顔で飛び込んでくる幼い少女。ヒューズが目の中に入れても痛く無い程に、ひたすら猫可愛がりしている愛娘は、前に会ったときよりも少し大きくなって、まわりをしあわせにする天使の微笑みを惜し気も無く振りまく。
「まだ眠っていなかったのかい? エリシア」
この家に到着したとき、既に眠る時間を過ぎていた少女が『ローイ』が来るまでは、と一生懸命に起きていたのだときいて、すまなさとその健気さに思わず抱き上げて、見ていた父親の怒りを買ったのは半時間以上前のことだった。
「ロイがおふろはいるのまってたの。だって、パパがロイはごはんたべないんだよって。ローイ、おなかすいてない?」
「ああ。今日は遅くなったからね。途中で食べてきたんだよ。エリシアも、もう食べたんだろう?」
「うん。きょうはね、パパもいっしょだったよ。おしごと、はやくおわったんだって。でもね、エリシア、ロイといっしょにたべたかったの」
ヒューズが聞けば、また大騒ぎになるに違い無い台詞をさらりと吐いてくれた少女に、にっこりと微笑みかけて。
「ありがとう、エリシア。私も、明日の朝、エリシアと一緒に食べたいんだけどな。エリシアは早起きさんかい?」
「パパよりはやいよ! そしたらロイといっしょにあさごはんたべられる?」
「ああ、もちろんだよ、エリシア。一緒に食べよう」
「うん!」
嬉しそうに笑ったエリシアが、今度は目をきらきらと輝かせて。
「あとね、ロイにプレゼントもあるの」
「プレゼント? なんだろうね。私が貰ってもいいのかい?」
「ロイにあげたいの。でもママが、きょうはおそいからあしたねって。ロイ、あしたでもいい?」
「もちろんだとも、エリシア。明日、楽しみにしているよ」
そしてふわふわの金髪を撫でる。
「ではエリシア。明日早起きするためにも、今日は早く寝なくちゃいけないね。私も今夜は早く眠るから、エリシアも早くおやすみ」
「はーい、ロイ。このコ、だっこしてねてね」
大切そうに渡されたのは、これまでぎゅっと抱えていた真っ黒い塊。それは、もうすっかり見慣れたもので。
「やあ、こんにちは。猫さん」
「こんにちは、ローイ」
黒猫のぬいぐるみの前足を持ち上げて、かわいらしく口真似するエリシアに思わず微笑む。
「いつもエリシアと眠ってくれているのかな?」
「いつもいっしょよ」
途端にエリシア本人が黒猫の向こうから顔を出す。
「ロイのおうちにもねこさんいるんでしょう?」
「…ああ。パパにきいたのかな?」
「うんっ。パパがね、ロイはさびしがりやさんだから、エリシアのおうちにもロイのおうちにもねこさんいるんだよって」
…あの野郎。
「ローイ、ちゃんとねこさんといっしょにねむってる?」
ほんの少し心配そうに小さな眉を寄せた少女に、慌てて返事をする。
「ああ、もちろん。毎日一緒だよ」
「ロイは、もうさびしくない?」
小さな少女に心配されて、思わず笑みが洩れて。
「ああ、大丈夫だよ。ありがとうね、エリシア」
「よかった!」
心底ほっとしたかのような顔で笑ったエリシアが、また眉を寄せた。
「でも、きょうはロイのねこさん、ひとりぼっちなの?」
「え?」
「ねこさん、ひとりでおるすばん、かわいそう。いまごろさびしいっていってる?」
思わぬ言葉に、一瞬言葉に詰まってから、慌てて首を振る。
「いや。そんなことはないよ、大丈夫」
「でもひとりぼっちでしょ? ひとりはさびしいよ。ロイがいなくて、ねこさんないちゃわない?」
真剣な顔でみつめてくる少女。この優しさは、確実に両親から譲り受けたものだろう。溢れんばかりの愛情を一身に受ける少女は、両親の望む通り、素直に真直ぐに成長していく。その事実が、なんだかひどく嬉しくて。
「エリシア。猫さんはね、いまごろ、犬と一緒にいるから大丈夫だよ」
「…いぬ? ロイのおうちには、いぬさんもいるの?」
「いつもは猫さんだけなんだけどね。淋しいといけないからね、預けてきたんだ」
「じゃ、ねこさん、さびしくないのね」
「そうだよ。だから大丈夫だよ。ありがとう、エリシア」
「うん、よかった! ね、ローイ。ロイのいぬさんって、なにいろなの?」
不意の問いに、思わず瞬いてから笑って。
「内緒だけれどね」
そっと唇に指をあててウィンクを。
「金色だよ」



ベッドを抜け出したエリシアを探しにきたグレイシアに慌てて謝り倒すと、ヒューズの大切な二人の、きれいな笑顔と柔らかい笑い声。
少女の残した黒猫は、とても甘いヴァニラの匂い。


この家は、いつでも自分を、どうしようもなく甘やかす。




そして何よりも甘やかしてくれるものがもうひとつ。
じきに夜通し呑み明かそうと誘いにくる筈の親友を待ちながら、甘い香りの黒猫を抱き締めて。




fin.