『此処にいてくれ』 / 白猫
【ヒューロイ】




『此処にいてくれ』



「ロイ? 入るぞ」
東方司令部の建物の程近くに設けられた幹部専用の居住区。そこの一画に、ロイ・マスタング大佐の住居があった。はるばる中央から出張してきた自分に、司令部ですれ違い様に、部屋の鍵だけ預けてきた親友。
「おーい、ロイ? いないのか?」
その鍵を使うまでもなく、施錠されていなかった扉から、体を滑り込ませた途端、違和感に包まれる。真っ暗な部屋。いくら親友が変わり者だといっても、この暗闇の中、日常生活を過ごす程には変人ではなかった筈で。それよりも、朝、鍵をかけ忘れて出て行ったのだろうと推測する。
「しょうがねえなあ」
手にしていた鞄を下ろすと、壁際のスイッチを探って、小さな音と共に、明るくなった部屋を見回した。普段居間として使われている部屋は、普段通り、きちんと片付けられていて、これを見る限りでは、奴の部下がいつも零すようなだらしなさは欠片も感じられない。
「ロイ?」
一応声をかけるものの、当然返事が返るわけもなく。
やっぱり、まだ、戻ってねえか。
(悪いが夕食の約束は取り消しだ)
夕方、内線で呼び出されて、受話器の向こうで早口で囁かれた言葉を思い出す。
(お前とは別口の中央からの客人を接待しなければならなくなった。悪いが先程の鍵を使って中に入ってくれるか。私は遅くなりそうだから、先に休んでいてくれ)
それだけ伝えるなり、返事も待たずに、さっさと電話を切った友人。
中央の客人。そういえば、と思い出したのは、権力だけを嵩にかけた胸糞悪い将校。出張の期間が重なると知ったときには大きな溜息をついたものだった。尤も、媚びるだけの取り巻きを引き連れて移動するだろう将校が自分などに興味を示す訳もなく、そのまま忘れ去っていたのだが。

「大丈夫かね、アイツ」
ロイが、こと仕事に絡むときには、相手が苛立つ程に冷静沈着な事を知っている。だが、そんな親友は、実は一度火がつけば、瞬間的に燃え上がる危ない人間だということも嫌と言う程知りつくしていた。そのロイが、あの将校を相手に、果たして、最後迄礼節を保っていられるのだろうか。
「ついて行ってやればよかったなあ」
自分は、東方司令部の手の空いた連中の心暖まるもてなしを受けて、気持ちよくほろ酔い加減で戻ってきただけに、少しばかり罪悪感を感じていた。尤も、自分と呑んでいた連中のなかに、親友の有能な副官と金髪の番犬がいなかったということは、きちんと護衛兼お目付役がついているということの筈だから。
「大丈夫…だよな」
無理矢理、懸念を振り払って、そのまま勝手知ったる友人の部屋を突っ切って、キッチンへと向かう。暗いままのキッチンで、流しの水を傍らにあったガラスコップに酌んで一気飲みしてから、反対側の扉を抜けてロフト形式の二階にあるベッドに向かおうとした時、ソレに気付いた。
「え…?」
階段の下の黒い塊。慌てて電気をつけてみれば。
「ロイっ!!」
階段の下、普段より一層白い顔を曝して倒れている親友の姿に、一瞬で肝が冷える。
「ロイっ!」
駆け寄るほんの一瞬の間に、最近東部で横行しているテロや、未だ見つからぬ傷の男のことが脳裏を過った。
「ロイっ、ロイっ!」
頬に手を触れて、その温かさを感じると同時に呼吸を確かめて。確かな呼吸に安堵の溜息をつく。
「ロイ、おい、ロイ。大丈夫か?」
上半身を抱き上げて、顔を覗き込めば、目蓋が微かに動いて、細く覗いた黒耀石の瞳。
「…ヒュー…?」
「ああ、そうだ。大丈夫か? なにがあった。怪我はしていないか?」
「…なんのことだ?」
訝しそうに顰められる眉。
「ロイ…」
その様子になんとなくイヤな予感を感じながら。
「おい、ロイ。質問していいか? お前、今、ナニしてたんだ?」
「何じゃないだろう。寝てたんだ。せっかく気持ちよく寝てたのにお前が起こしたんだろうが」
「……」
「ヒューズ?」
俺の様子に、何かを感じたらしいロイが、小さく首を傾げたのを見たとたん、何かがキレた。
「お前なー、そのどこででも構わず眠るクセだけは直せ! 頼むから!」
「何のことだ?」
突然の叫び声に、わざとらしく耳を塞ぐ様子をみせるロイを無視して、ますます声を張り上げてやる。
「そんな風に突然落っこってたら、誰だって驚くだろうがっ!」
「私の部屋に私がいて何が悪い」
「部屋でもなんでも普通じゃねえだろ? 部屋にいる自覚あんならベッドで寝ろ! せめてソファーで寝てくれ! 頼むから玄関先や廊下やキッチンの床なんかで倒れてくれんな!」
「…此処は何処だっけ」
「階段の下だ」
「ヒューズ。なんでそんなところで寝てるんだ、私は」
「そんなこと、俺が知るかっ!」
真剣な顔で首を振ったロイが、ああ、と声を出す。
「思い出した。面倒になったんだ、階段昇るの…」
「ロイ!」
「煩い、聴こえてる。ったくお前達はほんとに同じことばかり言うんだな」
「お前達って」
誰なんだ、と問いかけようとして、不意に浮かんだ顔。
「あいつかよ。金髪の番犬」
「昼間も言われた。使っていない会議室があったから寝てただけだったんだが、せめて椅子で寝ろって怒られた。煩いんだ、ヤツは」
「何処で寝てたんだ?」
「床。」
会議室の床で上官が倒れていたら、普通は驚くだろう。
「…ロイ。俺は心底アイツに同情するぞ」
「なんだ、それは。お前ら何か示しあわせてんのか?」
「ぁあ?」
「だいたいなんだってお前らがそんなに気が合うんだ。おかしいだろが。いつだって同じことを言いやがって、この前だって…」
そのままよく聞き取れない声で、ぐだぐだと呟き続けるロイに、なんだか酷く疲れを覚えて。
「なあ、ロイ。お前、もしかしてめちゃくちゃ酔ってんだろ?」
「酔ってなどいない!」
だめだ、こりゃ。
大きく溜息をついてから、どうしようもない酔っぱらいを抱え直す。
「ロイ。ほれ、もういいからこの酔っぱらい! ベッドまで運んでやるからちゃんと掴まれ」
「酔ってないと言っただろう」
「わあーった! 酔ってない! お前は全然酔ってない! だがな、酔っぱらいじゃないんなら、ベッドで寝るもんだ。わかるか?」
「面倒…」
「面倒くさいとか言ったら殴るぞ」
途端に黙る親友は、そのまま大人しくしていてくれるのなら、かわいらしいものなんだが。
「だいたいなんだってこんなになるまで呑むんだ。今日はおえらがたと呑んでいた筈だっただろう? お前さんが潰れてどうするよ」
「奴等が呑ませたんだ」
「なに?」
「なにか魂胆があったんだろう。最初は中尉が目当てだと思ってたんだがな。だからさっさと帰らせて、私が相手をしてやっていたってのに、あの野郎、寄りによって、この私に手を出してきやがった」
「な…」
「安心しろ。殴っちゃいない」
「殴れ! そんなモン!」
本気で怒鳴った俺に、ロイが不思議そうな顔を向ける。
「殴ったら、さすがにマズイだろう?」
こいつは、なんだって、こんな冷静なんだ? 酔っぱらいのクセに!
「それで、一体、何をされたんだ。お前のかわりに俺があの野郎を殴りに行ってやる!」
事と次第によっては許さねえ。そう決心した俺に、素知らぬ顔で一言。
「もうハボックが殴ってるからいい」
「……」
「血相かえてたからな。その場で殴りつけかねないのを、なんとか抑えて店を出たんだが」
そうして可笑しそうに笑う親友。
「忘れ物をしたからって戻ったヤツに後で聞いたら、頭からゴミ箱だかバケツの水だか両方だかをぶっかけてやったってすましたカオで報告しやがった」
「顔見られてねえだろな?」
「あいつはそんなヘマはしない」
この臍曲りが寄せる絶対的な信頼に。
「…いい番犬じゃねえか」
「ああ。そうだな」
ちーっとばかり妬ける思いで。
「で、そのままヤツに、此処迄送らせたんだろう? あいつはどうしたんだ? お前のこんな姿をみていながら、放って帰っちまったのか?」
「送らせてない。今夜はお前が来ると言った」

…こいつは、こういうヤツだった。焼きもちなんざ、妬くだけ無駄だ。
この台詞をきかされた番犬の心情を慮って漏れる溜息。

「ロイ。お前、悪魔の尻尾ついてんだろ?」
「私は合成獣か?」
「合成獣の方が絶対可愛気がある!」
「酷いな、それは」
断言した俺に、そのままくすくすと笑い出した親友を、そっと抱き締めて。

「ごめんな」
「なんのことだ?」
「悪かったな。傍にいてやれなくて」
「傍にいて欲しいなんて思っていない」
「ロイ」
胸に鋭い痛みを感じた時、そっと言葉を続ける親友。
「なのに」
そして腕のなかで、そっと眼を閉じる。
「お前はいつも来るんだ」
「ロイ」
「私は大丈夫だよ」
「ロイ」
「なあ、ヒューズ」
「なんだ」
「酔っぱらいの戯言だから、明日になったら忘れるぞ」
「ああ」
「ヒューズ」
此処にいてくれ。
小さく、聞こえない程の声で囁かれて、見えないのを承知で頷けば、眠りに落ちる寸前のロイの、綺麗な笑顔。


そう、コイツはこういう奴だから。離れることなんて出来やしない。


「此処にいるさ」


お前の望むだけ。
いつまでも。
傍にいてやるから。





どうかいい夢を。




fin.