期待1 / 白猫
【ハボロイ】『ナイショ(白猫)』の続き 『こねこーその頃ハボはー』とか。まだ続きます。





『期待1』






あと一枚。
ようやくそこまで漕ぎ着けたとき、司令室に掛けられた時計は既に午前2時をまわっていた。
横暴な上司と、その優秀な副官。二人が揃って中央に出張した後に残されたのは、出かける間際のロイが必死になって目を通していた大量の書類の山。
(ですから、昨日のうちに仕上げて頂くようにと何度も申し上げさせて頂いた筈です)
室内温度を確実に数度下げる冷たい視線に晒されながら、ひたすらペンをはしらせていたロイの元に、3日に一度のお約束である中央からの電話がたまたま掛かってきたことだとか、その内容がいつにも増して、ロイを疲れさせるくだらない内容だったということを差し引いたとしても。
「これは大佐が悪いよなあ」
ホークアイの言葉に寄れば、それらの書類は、一週間前には既にロイのデスクに乗せられていたというのだから、同情の余地はなかった。
「…疲れた」
残り一枚になったところで、こちらも最後の一本になった煙草を銜えて火をつける。大量に溜められた書類を、早急に司令官のサインが必要なものとそうでないものとに、あっという間に別けていったホークアイの手腕も見事なら、司令室を出る直前までかかったとはいえ、山と積まれた全ての書類に目を通し、サインして行ったロイもある意味凄腕といえるのかもしれなかった。尤も。
「ためこまなきゃいいだけなんだよなあ」
はあ、と煙りと一緒に溜息を吐き出しながら、手許にあったファイルで、がちがちに凝った肩を叩く。
「参った」
椅子の背凭れにぐたりと背中を預けて零した台詞が、誰もいない司令室のなかに空しく響いた。
正直、上司二人を駅まで送って戻ってきてからの自分は、これ以上にないと言っても差し支えない位、真剣に働いたと思う。ロイが片っ端からサインをして放り出していった書類を提出先毎に纏めて、中尉から渡された士官のサインで事足りるものには、一旦目を通し自分のサインをいれてから、これも提出先毎に仕分けする。その合間にまわされてきた今日の分の書類を緊急なものとそうでないものに別けて、急を要するものについては取急ぎ、自分のサインで他部署にまわす。肩の凝るような細かいデスクワークの合間には、上官二人が留守の為、必然的に自分にまわされてくる電話を受けて嫌味も苦情もついでに複数の女性からの伝言も丁寧に承って。
加えてこんなときに限って発生する小さな事件や事故の数々。事後処理に憲兵や市民への説明にとかけずりまわりようやく戻ってきた自分のデスクに再度積まれた大量の書類を目にしたときには、今此処にいない上官二人を心から恨んだものだが。

『お前次第だな』

不意に浮かんだ何かを含んだようなロイの思惑有り気な声。

「あー、もう畜生っ」
たった一言のためにここまで頑張った自分の健気さに涙がでそうになる。
(ほんとに御褒美なんてあるのか?)
今頃は中央にいる親友の家で、ぐっすり眠っているのだろうか、それとも久し振りに会う親友と呑んだくれているのだろうか。まさか俺がこんな真夜中まで、こうして仕事をしているなんて、きっと思ってもみないんだろうなあ、あの人は。いや、それ以前に自分が仕事を残したことなんて覚えてもいないだろうし。いや、もっと以前に、親友と一緒に楽しい時間を過ごしている人が、俺の事をちらりとでも思い出すなんてこと有り得ないし。
………。

「帰ろ」
ここまできて漸く、疲労に因って、随分と思考が負の方向に向いているらしいことに気付いた。折角残業までして仕事を終わらせたというのに、なんだってこんなことで落ち込まなくちゃならないんだ?
ぶるぶるんっと頭を振ってから、すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付ける。早ければ明日中にも戻ってくるかもしれない上官二人を、言い付けられた仕事をすべて片付けて堂々とした態度で迎えることができるというのに、何も落ち込む必要など何処にもない。

「ご褒美期待してますからねーっと」
そのまま立ち上がりかけて、最後の書類が一枚未処理で残っていることを思い出した。
「っと、いけねっ」
サインだけすれば済む見慣れた形式の書類。これに最後のサインをしておけば、明日の朝いちばんで出勤してきたものが、担当部署に持って行ってくれる筈だ。そう思いながら、最後の書類を手にしたとき、それに気付いた。
「あれ?」
書類の下から現れた小さな金色の包み。
「へ? なんだ、これ」
何気なく手に取って、包みを剥がす。
「チョコ?」
またフュリーの奴か?
たまに飴やチョコなどを皆のデスクに配ってくれる同僚の顔が目に浮かんだ。きっとホークアイが書類をデスクに下ろす時に、これの上に乗せてしまったんだろう。そのおかげで、疲れ切った身体に絶妙のタイミングで甘いチョコが手に入った幸運に感謝しながら、小さな欠片をぽんっと口に放り込む。
「旨い」
口に入った途端、とろりと蕩けた甘いチョコ。そういえば、と、少し前にロイと一緒に出掛けた市庁舎で、受付の女の子に同じようなチョコを貰ったことがあったのを思い出した。

『ひとつひとつに、いろんな言葉が書いてあるんです』
『好きとかキライとか、愛してるとかサヨナラとか、きわどい言葉もいっぱいなの』
何度か見かけるうちに、顔見知りになっていた彼女たちが、暇を持て余していた自分をこっそりと呼んで差し出してくれた小さなチョコ。
『恋占いに使うんです』
『少尉さんは恋人いらっしゃるんですか?』
ころころと柔らかな声で笑う彼女たちとの楽しい時間。そこに、所用を済ませ、にこやかに微笑みながら近付いてきた上官。チョコをひとつ取ったロイが、耳許で何かを囁いた途端、頬を真っ赤に染めた女の子は、その後いつ出掛けていっても、すっかりロイだけを見つめるようになっていて……。

「だからっ! なんだって、こうつまらんコトばかり思い出すんだ、俺は!」
がたんっと音をたてて椅子から立ち上がり、ちらりと視線を遣った先には、綺麗に片付けられた大きな机。
「はやく帰ってきて下さいよー」
あんたがいないと淋しいっすよ。
こっそり零しながら、最後の書類にサインをして。ようやく終わった一日の仕事に、大きな溜息が洩れた。





(続きます。あと一回ね)