| 金色 / くろいぬ |
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【ハボロイ】【ガンガン9月号から妄想もいいとこ】【みんな無事でいてくれ祈願を兼ね】 『この度し難き人と、どこまでも』 第三研究所から命からがら脱出し、俺達は大佐を病院へ運び込んだ。 大佐は脇腹二カ所を刺される重傷ながら奇跡的に内臓への損傷を受けずに済み、処置を受けた後、今は点滴の管を腕に刺して、ベッドで眠っている。 俺は。 ソラリス……ホムンクルスの攻撃を受けた俺を、大佐が救った。 倒れ伏し、食道を逆流して喉に込み上げる血液の味と匂いに辟易とする俺の視界に、大佐の発動させた錬成光が眩しく映り込んだことを覚えている。 「ん……」 大佐が小さく呻き、枕の上で首を振るった。 前髪が汗で額に貼り付いている。 「窓開けますよ」 病室が蒸し暑いことに気付き、窓を少しだけ開くと風が吹き込み、真昼の陽光を遮っていたカーテンが煽られた。 真っ白な光が真っ白なベッドの毛布とシーツに乱反射して、明るさに目を眇める。 清潔な白の木綿に包まれたこの人の、ガーゼの貼られた白い頬も眩しくて。 「ハボック……?」 光に目を射られた大佐が目を醒ました。 逆光の中に立つ俺を確認するように眺め、そして微かな笑みを浮かべた。 「よかった」 小声で言って安堵の溜息をつく。 腹筋に傷を負って横たわっての声は、耳をそばだてないといけないくらいに小さく、とても弱々しく、だから殊更に大佐の漏らした溜息が、心底安心したとばかりにまるで泣き出しそうな声であるように感じられて。 「大佐」 「おまえがそんな顔をする必要はないだろう」 笑おうとしたんだ。 笑って、何かたわいない軽口を叩こうとベッドの枕元に近付いた。 随分間近に近付いてから、点滴の管を滴り落ちる輸液の落下のリズムに気付き、鼓動がそれに比べて随分早いように思った。 「勘弁してくださいよ、麻酔から醒めるのが遅いもんで医者も俺達も冷や汗モンだったんスから。後でホークアイ中尉に沢山怒られてもしょーがないっスよ?」 声の震えを止めることが出来なかった。 俺の形をしたシルエットが落ちた場所から見上げて来る人が、生きていることが奇跡のように感じられる。 「まぶしいな」 跪く俺に触れて来た指が、髪を梳いて流れて行くことが。 俺に触れ、俺を見てくれることが。 ただ嬉しくて。 「!」 咳き込んだ大佐が苦虫を噛んだように顔を蹙めた。 「腹に響くな」 「キレイに貫通してましたから。暫くは我慢我慢」 新たに額に滲んだ汗を拭おうと、ベッドの側に用意されたタオルを手に取った。 新しい水に浸し絞ったタオルで額から顔、首筋を拭くと、大佐は満足げな溜息をついた。 「貼り付いた皮膚一枚きれいに剥がれたようだ」 「脱皮じゃないんですから」 思わず苦笑してから大佐の顔を覗き込んだ。 タオルを頬に当ててやると気持ちよさそうに目を閉じる。 「傷の所為で熱上がってるんですよ。汗拭きましょっか」 「自分でするからいい」 慌ててタオルに手を伸ばそうとして、自力で起き上がりかけた大佐は、呻いた。 「痛みますか」 「判ってて聞くな」 「大佐も自分の躯に穴空いてんの、判ってる筈ですよね」 「くそ」 タオルをもう一度濯ぎ、黙って大佐の毛布を捲った。 病院の寝間着は淡いグリーンの前開きの長衣で、左脇の紐で結わえて留めてあった。 紐を解き、袷を開こうとした瞬間、大佐は俺の腕に手を掛け止める素振りを見せたが、すぐに諦めてシーツに腕を落とす。 「全身拭いた方が気持ちがいいですから」 自分の声が言い訳めいて聞こえるのに気付かぬ振りをし、大佐の寝間着を開いた。 横たわる大佐の体躯は、適度に鍛えられた筋肉をまとっていたが浮き上がる鎖骨と肩骨の尖りが目立ち、軍人としては標準よりもやや細目だった。 傷口を余分に締め付けることを避ける為か下着も付けていない。 腹部の傷ということで抑えのコルセットの役目も果たしているのだろう、分厚くしっかりと巻かれた包帯の清潔な白が、翻るカーテンの隙間から漏れる日差しで目に痛い程だった。 ざらつく質感の包帯に戒められた、軽く汗ばんだ胸元や鳩尾の窪み、青白く静脈の透ける下腹部が、目に焼き付く。 そこから視線を引き剥がすようにして、首筋から肩、胸へと降りて行くように躯を拭き清めた。 膚に指先が触れる度、体温を感じ取った。 カーテンは相変わらず風にひらめき、その度に病室や、青白い膚や包帯は、目映くなったり薄暗くなったりを繰り返す。 「男に躯を拭いて貰っても有難味がないな」 急に、大佐が情けなさそうな声を出すのでつい吹き出し、明るくなった一瞬に濃さを増した陰影が腰骨を浮き上がらせるのから気が逸れた。 「清楚な白衣の天使じゃなくて申し訳ありませんね。しかし忠実な部下としては、シモの世話まで完全看護の覚悟ですよ」 「遠慮する」 俺は冗談めいた口調で会話出来たし、脚を拭かれてる間、大佐も短い返事で受け答えをした。 心の奥で渦巻いているものは、お互い口には出さなかった。 女に騙されてたと知った時には、多少のショックは受けた。 そのことにこの人が負い目を感じているのかもしれないと、少し思う。 ─── 大佐の部下でなければ俺が彼女に目を付けられることなどなかったのだから。 幸か不幸か女と長く深い付き合いをすることなどないし、それを期待もしていない。 ふられ際に薄情者と罵られる側が珍しく立場交替しただけのことだと、自分でも呆れる程あっさりと受け入れた。 俺が死にかけたことも、この人のことだからきっと負い目のひとつに数えているのだろう。 こっちじゃ大佐の為にどうにかなることもとっくの昔に織り込み済みだというのを、頭で判っても心では納得してくれない。 指揮を取る人間としては致命的な欠陥だ。 東部から引き連れて来た、数少ない『精鋭』を失う痛手を考えただけかもしれないけど。 大佐が必要だと判断したから、あの時バリーを追って第三研究所に乗り込んだ。 俺を生命の危機に晒したことで、成果を凌駕する損失を被るところだったとは、思ってないといい。 結局大怪我をしたのは大佐なのだから俺は、あの時何が何でもあの人を一時引き留め、研究所包囲網を作るなりなんなりの手だてを取るべきと進言しなきゃならなかった。 とは言っても今の手駒の少なさでは、突入が遅れればそれだけ、手懸かりをむざむざ目前で抹消される羽目になったのがオチだったろう。 俺の治療の為に大佐が女への攻撃を手控え、その間に刺されたことで、俺が自分を殴りつけたいような気分でいることを、この人が知らぬ振りしてくれるのは有り難い。 「気にするな」などと言われようものなら、死にたくなったろうから。 この人が腹部に攻撃を受けた瞬間を俺は見てはおらず、それが何とも悔やまれる。 身動きも出来ぬ状態だった癖に、それでも攻撃を察知してれば何か出来たかもしれないと、諦め切れない。 傷を抑えた掌の隙間から溢れるように血を流す姿を見た途端に、全身で感じた恐怖を忘れられそうにない。 俺が刺された時に名を叫んだこの人の声の響きがいつまでも耳に残る。 『ハボック!!! ハボック!! しっかりしろ!!』 いつかも反応のない電話の向こうに叫んでいた。 あんな声を出させるつもりなんか、絶対になかったのに。 「……っと、これでお終い」 足先まで拭き終わり、寝間着の袷を元通りに合わせた。 白い素肌と白い包帯が淡いグリーンに隠れると、それまで感じていた落ち着かぬ緊張感がなりを潜めた。 痛々しい包帯姿や、触れるとしっとりと吸い付くようだった膚の白さを、無理やり脳裏から押しやる。 寝間着を直し、大佐を毛布でくるみ込んでから、とうとう軽口の種もなくなったことに気付いた。 「大佐」 謝る所ではない。 だがこの人を護り切れなかった。 任務を果たし切れなかった。 この人も、護られる立場から逸脱した。 多分これからも、この人はこのままでいる気だ。 サイアクだ。 「ハボック少尉」 「はっ」 「少尉、私は」 唐突に呼ばれて姿勢を正したが、大佐は珍しく歯切れが悪い。 「ホークアイ中尉にはいつか一発か二発くらい、殴られることを覚悟している」 「ハァ」 何を言い出すつもりかと思ったが、無理もないこととも思う。 部下を見捨てることも出来ない上官という質の悪さを、自覚しててやめないのだから。 「だがおまえは、文句を言わずに付いて来ると同意したろう」 中央への異動の辞令を申し渡した時のことを言っているのだ。 だがあの辞令は中尉も同時に受けたし、第一「文句は言わせん」というのは大佐の一方的な命令だったと思う。 それに文句を言わないと約束した覚えなどない。 大佐は目を閉じて言った。 「おまえは最後まで付き合うのだろう?」 ─── 何を言えばよいのだ。 目を閉じてしまったのは、異論があっても認めないぞという意思表示なのか。 本気で何も文句を言わせぬつもりか。 「俺は大佐を殴らせては貰えないんで?」 「おまえのような図体の大きな奴に殴られて堪るか」 「それじゃ酒保で暴れるくらいしか鬱憤晴らしの手がないんスが」 「店に損害を与えぬ程度にしておけ」 サイアクだ。 俺は笑い出しそうになった。 「大佐」 呼びかけると黒い睫の生え揃った目蓋を上げ、すぐに眩しそうに見上げる目を眇める。 「護り切りますから。このままではいませんから」 「私もこのままにはしておかない。動けるようになったらすぐ追撃の準備だ」 ああ本格的に悪い。 この人は大人しく後ろで護られてるつもりなんか、端からないんだ。 笑い出す代わりに、指先まで最上級の神経を行き届かせて、敬礼をした。 部屋を辞そうとして呼び止められた。 腕を伸ばして来るから、ベッドの側に屈み込んだ。 指が俺の髪に触れて来た。 梳られる髪は、多分陽光と同じ色をしている。 大佐の唇が「よかった」と動いたような気がした。 俺は諦めて ─── 「部下の為に命落とすような真似は頼むからしないでくれ」とか、「偉そうにふんぞり返って後ろから指示だけ出してくれ」とか、「いつか、一発だけでもいいから殴らせてくれ」とか、言いたいことは山程あった ─── 髪を撫でさせた。 この度し難き人とこの先何十年付き合うことになるのだろうと思いながら。 fin. |