| 渇望 / 白猫 |
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【ヒューロイ】【イシュヴァール戦時】 『渇望』 もう、今が、昼なのか夜なのかすら判らない様な有り様だった。既に、そんな些細な事は、どうでも良い事になり果てていた。軍属になって初めての出兵。昼夜を問わない進軍。僅かに進む毎に起こる銃撃戦。疲れ切った身体を引き摺っての行程のなかで毎日の様に起きる仲間同士のつまらない諍いに小競り合い。そして、日を追う毎に減って行く仲間の兵士達。苛立ちは極限まで高められ、最早限界が近付いていることに、隊を率いる長クラスも、只の一兵卒も誰もが気付いていた。小さな子供を撃ち殺して、半ば気の狂った父親。衣服を剥ぎ取られたまま、虚ろな眼を空に向ける若い女性。そんなものを見せつけられる毎日。自分達の正義は一体何処にあるというのだろう。若い兵士達の中で、そんな遣り切れない思いが僅かずつ沸き上がって行くのを、避けられる筈もなかった。にも関わらず、軍属である以上、その場を逃げ出す事などかなうわけもなく。そのすべてに眼を瞑って、只ひたすらに前に進むだけのそんな毎日。 この毎日に終止符を打つ必要があったのだ。それが誰であれ、この悪循環を終わらせることが出来るものがいるのならば、その手段を問うものがいる筈もなかった。例え、どんな手段を使ってでも構わない、ただ、この戦いを終わらせることが出来るのならば、と。 ただ、それだけを、すべての者が渇望していた。だからこそ、その為に犠牲になる者に眼を向けようとするものなどいやしなかった。今の時点では。 だからこそ。 その命令が下ったのだと、納得せざるを得なかった。 それが例え、どんなに理不尽に思う命令だったとしても。 それが例え、自分自身を、人間ではなく、只の便利な兵器だと扱うものだったとしても。 本当に。 ただ、終わらせたかった。 それだけだった。 「おい、ロイ。こっち」 小隊長に呼び出されて、夕食もそこそこに向かったテントから、漸く解放されたときには、既にそれぞれのテントはすっかり静まり返っていた。ほんの僅かな休息を敢て無駄にしようとする酔狂な者などいる筈もなく、どのテントも、ただひっそりと暗闇のなかに浮き上がっている。そんな当たり前の光景の中、そのまま与えられたテントにそっと潜り込むつもりだった自分に突然掛けられた声に、本気で驚いて足を止める。 「ヒューズ? お前、こんなところで何をしているんだ?」 振り向いた先に、士官学校時代からの親友、マース・ヒューズの、相も変わらぬ恍けた顔を見つけて、思わずあがった声。 「しっ、声がデカい。いいから、ちょっとこっちに来いよ」 小さく呟いて、くるりと踵を返したヒューズを慌てて追いながら、眉を顰める。ヒューズとは、出兵直後こそ、同じ隊で行動したものの、直ぐに小隊が別れ、これまで殆ど顔を合わせることもなかった。そのヒューズが、一体何故、此処にいるのだろう。今夜、別の隊と合流する予定があっただろうか、と普段はあまり熱心に聴くことのない今後の行程予定についての説明を思い出そうと頭を捻る。 「おい、ヒューズ。何処迄行く気だ」 「すぐそこだ」 テントの群れから少し離れた瓦礫の山をひょいひょいと飛び越えて、なんとか腰を落ち着けることが出来そうな一角を見つけたヒューズが、そのまま瓦礫の上に腰を下ろした。 「お前も座れ。夕食殆ど食ってねえんだろ? 乾パンと水しかねえけど、とりあえずこれだけでも口に入れておけ」 差し出されたモノをちらりと見遣ってから、ヒューズに視線を戻す。 「何故、お前が此処にいる?」 「お前ね、もうちょっと、こう、再会を喜ぶような言い方出来ねえの? 折角会えたってえのに、冷てえよなあ、ロイくんは」 「ヒューズ」 つまらない冗談に付き合ってる暇はない。睨み付けると、仕方がなさそうに溜息をつく奴。 「お前、何も聴いてねえ? なんだかいくつかの小隊が集まって合同作戦を行うんだとよ。かなり機密度の高い作戦らしくてな、まだ内容がちらとも漏れてこねえのが気に入らねえんだが。まあ、どんな作戦にしろ、この膠着状態を何とかしてくれんなら、歓迎なんだけどよ」 「…お前の隊と合同?」 思ってもみなかった言葉に、思わずぽつんと声が漏れた。 「ああん? なんだあ、その態度。俺と一緒なのが気にくわねえってのかよ」 「いや。そうではないが」 心臓の音が大きくなる。これを奴に聞かせるわけにはいかなかった。何もなかったかのようなカオで、こいつにいつも、ヒトノワルイ笑ミと称される笑い方を浮かべる。 「お前と一緒では、成功する作戦も、巧くいかなくなるような気がするからな」 「おい、なんだ、それはっ、っと、マズイ」 一瞬、声を荒げかけたヒューズが慌てて口を抑える。 「うちの小隊長さんは結構話のわかるヤツなんだがな。さすがに夜中に抜け出してるトコなんざ見られたら黙っててもらうっつーワケにもいかねえからなァ」 「何故、私のいるテントが判った?」 ヒューズが腰をかけた瓦礫は、隣に座ることができる程広くもなく、少し躊躇してから、背中合わせに腰を下ろす。 「ああ、お前の隊の連中に訊いたらすぐ教えてくれたぜ。隊長直々の呼び出しくらって食事もせずに出てったってな。お前、連中とはうまくやってんのか? 食事も出来ねえなんて尋常じゃねえだろ? いつもそうなのか? 毎日ちゃんと食ってんのか? またつまらねえ意地ばかりはって敵作ってんじゃねえだろな? それに…」 放っておくと何処続くか判らない小言を、慌てて遮る。 「何でもない。ただの作戦会議だ。その新しい作戦に関係して…ちょっとばかり動くことがあるから…」 「お前が?」 不審そうな表情。此処で気取られてはいけない。できる限り、普通の表情を浮かべて。 「ああ。どうやら、私は、お前よりかは、多少上からも頼りにされているようだな。そんなことより、最近はどうなんだ? お前の隊はうまくいっているのか?」 多少わざとらしかったかもしれない。そう思いながらも、強引に話を切り替えると、僅かに眉を顰めるヒューズ。 「ロイ? 大丈夫なんだな?」 「くどいな」 「ああ、悪い。大丈夫ならいいんだけどよ。お前、無理するクセ、どうせ抜けてねえだろ。まあ、これからは、俺がちゃんと見ててやるから、安心してりゃいいけどな」 にやりと笑ったヒューズが、すぐに真剣な表情に切り替える。 「現況だがな」 小さな溜息。そんなもの、こいつには似合わないというのに。 「酷いモンだ。ありゃ人間のするこっちゃねえ。あちらさんもだが、こっちもな」 僅かに低めたヒューズの声が頭の中に響く。 「反乱軍なんつーのは、ほんとに質が悪いぜ。兵士と民間人の区別がつきやしねえ。子供かと思って、倒れてるところに食料持って近付いたヤツがそのまま刺し殺されたかと思うと、兵士と思って撃ち殺した相手の手から、人形が零れやがる」 それでは、と心の中で呟く。矢張り、お前も、同じものを見ているのか。きっと、この戦いに参加しているすべての者が見ているのだろう修羅の世界は、この人の良い親友をも犯そうとしているのか。 「なあ、ロイ」 僅かに躊躇う声。らしくもない。少しだけ笑いたくなる。その内容は、笑えるようなものではないというのに。 「ロイ。俺な、ずっとお前のことを考えてた。死んだ子供を見たときも、隣を歩いていた奴が撃たれて死んだときにも、お前のことが頭を過るんだ。お前が、こんな思いをしていなければいいって、そればかり思ってた」 きっとそれは、同じ想い。 「…私はそんなに弱くはない」 「ああ。知ってる。俺が、お前の事を考えていたかっただけだ。気にするな」 ふと、背後のヒューズが何かガサゴソと探っていることに気付いて、振り向く、と。 「おい、ヒューズ。お前、怪我をしたのか?」 脱ぎ捨てた軍靴から引き抜いた足に、包帯を巻き直すヒューズに、思わず腰を浮かせかける。 「ああ、たいしたコトねえよ。ちとドジっただけだ。ただ、ずっと歩き通しだからな。すぐ靴の中で、包帯が緩んじまう」 「巻き直してやろうか」 「いや、いい。もう慣れた」 慣れて行く。怪我にも空腹にも人の死にも、そして独りで見る悪夢にも。 ぎゅっと眼を瞑って、それから開く。見つめるのは、真直ぐ前だけでいい。 「ヒューズ」 「なんだ」 「終わらせる」 「ぁあ?」 「もう、終わらせる。こんなことは」 「…ああ、そうだな」 応えてから、お前が笑う。そうだな、俺達で終わらせることができたらいいな、もう子供の死体なんざ見たくねえよなあ、死んだ赤ん坊じゃなくて、あたたかい生きてる赤ん坊を抱きたいよなあ、此処で死んだ子供の分までたくさん甘やかしてやりたいよなあ、そんなことを、まるで夢でもみるかのように口にするお前に向けて、精一杯の微笑みを浮かべて。 「ああ、そうだな。お前には、そっちの方が似合っているさ」 「ロイ」 『イシュヴァール殲滅作戦』 くだされたばかりの命令を思い浮かべる。 戦場にいるすべての国家錬金術師に。イシュヴァールの民族を完全に殲滅させよと。 女子供も老人も赤ん坊も例外なく。一民族のすべてを消し去れと。 そして『焔の錬金術師』への命令。 そのすべてを灼きつくせ、と。 「ロイ?」 お前はきっと私を許さない。それでも。私は、このまま進むから。二度と引き返せない場所へと踏み出して。 「おい、ロイ? どうかしたのか?」 「いや。ちょっと眠くなった」 「はあ? お前なあ、なんつーか、相変わらずだよな」 嬉しそうな声。いつでも甘やかしてくれるたった一人の親友。なあ、それでもやっぱり。お前は私を許さないだろう? 最後かもしれない温もりを求めて。ことん。そっと背中に寄り掛かる。 「ロイ。なんだ、お前、変な奴だな」 その笑い声。お前だけは変わらずにいてくれと、それも望み。 我ながら欲張りだな。小さく笑って。 「なんだ、何か言ったか?」 「いや。なんでも…ない…」 「ロイ、ローイ?」 「ロイ? もう、寝たのか?」 背中合わせのまま、静かに過ぎていく決断の夜。 fin. |