乾杯 / くろいぬ
【ヒューロイ】【士官学校夏休み】




『檸檬水』



「どっか行こーぜ」
「金なんかないぞ」
「俺もだ」

 夏の終わりに俺達は唐突に旅に出た。
 俺は休暇の間、学校を離れて家族の元で過ごし、幼い頃から馴染みの顔を沢山見て、誰それが街に出ただの、劣等生だった奴が親父に任された店を今じゃ立派に切り盛りしてるだの、同級生の中で目立って華やかだったコがもう結婚しちまっただの、懐かしさと同時にどこか落ち着かない胸苦しさも感じさせるような日々を過ごしていた。
 休暇の終わりに寮に戻って来てみれば。
「お前、夏休みの間中、外に出なかったろ?」
「中央図書館に毎日通ってた」
 寮の同室の小生意気な奴が、夏前と同じ青白い顔色をしていたから。 

 どこかへ連れ出したかった。

「基本的に、帰りの汽車賃だけ残ればいいんだよな」
「おまえは帰りの道中、霞を食って過ごす気か」
「や。いざとなればロイくんが、自慢の錬金術で壊れ物修理の行商をしてくれれば稼げるし」
「マース・ヒューズくんが自分の食い扶持をどうやって稼ぐ予定か知りたいね」
「カタイこと言うなよ」

 汽車で南下し湖水地方で下車をして、昼の間は荷馬車に乗せて貰ったり、夜は農家の納屋や小さなテントで夜露を凌いだ。
 明るくなれば歩き出し、沢を遡ってマスを釣ったり、夜は押し寄せる蚊を煙で燻し、湖の上に広がる星空を並んで眺めたり、小さな蛍が明滅するのを黙って追いかけたりもした。
 風呂など入れないから毎日湖で泳いだ。
 持っていったサボンはあっという間に乾涸らび罅割れたが、充分泡も出たし俺達の役に立って小さくなって行った。
「結構気楽に過ごせるものだな」
「おまえ、爪の間が黒くなってる」
「それより、この間泊めて貰った農家の草刈りの手伝い以来、草のアクで指が染まったままだ」
 普段、革靴をピカピカに磨き上げ、爪の先まで研ぐ俺達が、子供の頃のように汗みずくで過ごした。
 歩き回り靴はおろか顔も首筋も埃だらけ、汗の筋がいくつも伝って落ちている。
 髪も陽に焼け色が変わった。
「テント泊の時に蚊に襲われないなら、真冬以外は戸外で暮らせるかも」
「冬になったら『目覚めた時に息が白く曇らないなら』とか言いそうだな」
「せっぱ詰まれば文句など言わんさ。前線に出れば何があるか判らないのだから」
「そうだな」

 休暇があと二日で終わるという時に、俺達はセントラルへ戻ることにした。
 街へと収束して行く街道でヒッチハイクをすることは、逆へ向かった時より遙かに楽なことだった。
 駅へと向かう道すがら、荷馬車の後ろに乗せて貰いながら俺達は、黙って青空を見上げていた。
 真っ青な空に真っ白な太陽が激しいコントラストで目に焼き付いた。
 乗せて貰った馬車が途中の町で休憩し、農夫がパブで昼食を摂る間、俺達は露店で買った大きな丸パンを半分に分けて囓りついていた。
「ヒューズ。あれ」
「ああ、美味そうだ」
 露店の天幕の陰の向こう、眩しい日差しに白茶けて見える往来の小さな雑貨屋の店先に、スタンドが出ていた。
『美味しいレモネード』
 手書きの看板と並ぶグラスに向かい、俺達はパンを飲み込みながら急いだ。
 絞ったばかりのレモンと、かき混ぜ切れずにざらざらと溶け残る白砂糖、汲み上げたばかりの井戸水。
 硬貨数枚と引き替えの飲み物は、冷た過ぎない程度に冷えていて汗を引かせた。
「甘い」
「酸っぱい」
 淡いレモン色をした飲み物を、俺達はごくごくと飲み干した。
 太陽の光をうんと薄めて冷やしたら、こんな飲み物になるのかもしれない。
 すっかり陽に焼け汗と埃の香ばしい匂いの染みついた友人が、美味そうに目を瞑ってレモネードのグラスに唇を付けるのを見て、そう思った。

 汽車に乗ると途端に、自分達が汗くさいこと、来ているものが土埃で白くなっていることが気になった。
 休暇明けに待ち構える試験の憂鬱までが一気に押し寄せ、座席の硬い三等車輌の中でふたり、教官の陰湿さを論う声が妙に高くなったり低くなったりした。
 学校の寮は何時も通りの冷たい灰色の顔で俺達を出迎え、玄関ホールの薄暗く冷えた空気を吸い込んだ時、夏が終わったのだなと思った。

 自室に繋がる階段を上りながら、あの美味いレモネードをまた何時かこいつと飲みに行きたいと、短く願った。




fin.