噛み癖 / 白猫
【ハボロイ】



『噛み癖』




「あれ。ハボック少尉、それは?」
「ああ?」

ホークアイ中尉のたってのお願い、という名の命令の元、司令部内で手の空いていた者が狩り出され、殆ど使われず開かずの倉庫状態だった小部屋を片付けていたところだった。埃に塗れた箱から出てきた3年前に賞味期限の切れたコーヒーを睨みつけているところに、フュリー曹長の不思議そうな声がかけられて、顔を上げる。

「噛み傷ですか?」
「ああ、これな…」
肘まで捲ったシャツの下から覗く赤い傷ができた理由を思い出して、一瞬返事を躊躇すると。
「あの。まさかとは思いますが、ブラックハヤテ号ではありませんよね?」
「まさか。中尉の愛犬がそんなことするワケないだろ」
フュリーの心配している内容に気付いて慌てて否定してやれば、ほっとしたように息をついた曹長が、にこりと笑った。
「そうですよね。すみません、ちょっと心配になってしまったんです。もしもブラックハヤテ号がそんな粗相をしてしまったら中尉が…」
「フュリー。頼むから思い出させるな」
「すみません」
その場にいた全員が、以前ホークアイ中尉が、その愛犬に行った躾を思い出して、引きつった笑いを浮かべる。
「じゃあ、それ、どうなさったんですか?」
「コイツのことだ、どこかのコワーイねーちゃんにでも噛み付かれたんだろうよ」
「お、女の人ですかっ」
ブレダの軽口に、顔を真っ赤に染めたフュリーを見て、思わず噴き出して。
「そんなんじゃねえよ。あー、あれだ、猫が」
「猫?」
「ああ。最近、よく家にくる通い猫がいるんだ」
「わぁ」
途端に嬉しそうに顔を綻ばせたフュリーが目を輝かせる。
「どんな猫なんですか?」
「あー、黒猫だ。毛並みがツヤツヤで手触り最高。柔らかくて抱き心地も良くて、その上最高の美人ときてる」
「うわ、いいですね」
「お前、そういう台詞は、猫じゃなくて女に使えよ」
素直に感心してくれるフュリーとはうってかわった表情で、げんなりと呟いたブレダに中指を立ててみせてから。
「だがなあ、ソイツが結構クセが悪くてな」
「噛み付くんですか?」
「どうやら噛み癖があるみたいなんだよな。おかげで、あちこち同じような傷だらけだ」
「それは大変ですね。躾は最初が肝心だって、中尉が仰ってましたけど…」
躾、なあ。
想像しようとした途端、噛み付いたあとでにやりと笑う「黒猫」を思い出して、ため息をつく。
「…もう遅いだろうなあ」
「でも、それでも可愛がっていらっしゃるんでしょう? きっと猫だって少尉のこと好きだから通ってくるんだと思いますし…」
「やっぱりそう思うかっ?」
思わず顔を寄せると、吃驚したように固まったフュリーのかわりに、ニヤニヤと笑うブレダが割って入る。
「ハボック。お前、その猫にエサやってんだろ」
突然ながら、微妙に的を得た質問に、感心して。
「それがどうした」
「ならメシ目当てだな。メシと温かい部屋があれば、俺でも通うぞ。つまりお前は、その猫にとって、便利で都合のいいバカなお人好し野郎…」
「てめ、このっ」
好き勝手並びたてるブレダに向かって、手にしていた賞味期限切れのコーヒーを投げ付けてやれば、ひょいと躱そうとした奴が足を縺れさせて、埃のたまった古い毛布の上に倒れ込んだ。
「うわわっ」
「おいっ、何をっ、ぶわっ」
「な、なんにも見えませんーっ」
「ちょ、窓、あけろっ」
「寄るなっ、馬鹿っ」
一気に部屋中に舞い上がった埃の中、ばたばたと駆け回りながら。
もういちど、性悪な通い猫の質の悪い笑みを思い浮かべて、人知れず大きな溜息をついた。






「イタタ…何すんですか」
「煩い奴だな」
熱く交わした接吻けのあと、ゆっくりと降りていった唇。さらりとした髪が太股に触れる。限り無く限界に近く勃ちあがるソレを舌先でツンと突かれて、躯を震わせた次の瞬間に訪れたのは、温かいものに包まれる快感ではなく、太股への激痛だった。
「なんであんたは、そう毎回毎回噛み付いてくれるんスか」
「お前があんまり間抜けな顔をしているからだ」
くすくすと笑う吐息が、熱を直撃して息を呑む。
「ちょ、それマズイっすよ。そんなところで喋らないで下さい」
「なんだ、堪え性のないヤツだな」
「あんた相手に堪えるつもりもないスから。噛み付いて気がすんだでしょ。ね?」
ベッドを共にするたびに、まるで所有印をつけるかのように、ひとつだけ痕を残すひとの髪に手を差し入れて。指を滑る黒髪を弄びながら、そっとその場所に誘導すれば、小さく笑いながら抵抗せずに唇を寄せていく。
「…ッ…」
温かいものに包まれた瞬間、息を呑めば、喉の奥でくつくつと笑うロイ。
「あんた、ほんと性悪猫っすよ」
「ん?」
呆れたように呟けば、銜えたまま視線をあげられて。濡れたような黒い瞳に晒されて、びくんと躯が揺れた。





「あんたのあれって所有欲とかだったりするんスかねえ」
「なんのことだ?」
明日は早朝から出張だからイれるな。
エラそうに命令したロイが、どんな気紛れか、そのテクニックを如何なく発揮してくれた最上級の奉仕に目も眩む思いをさせられて。
それなら指だけにしますから。
このひとだけが冷静な顔をしているのはイヤだからと、負担をかけないように注意を払いながらも、掻き回し、弱いところを突きながらの愛撫に堪らぬように声をあげ続けた人。結局、さんざん貪りあって漸く身体を離したときには、お互いすっかり疲れ切っていた。枕に顔を埋めて身動きすらしない愛しい人に、果たして怒っているのだろうか等と考えながら、煙草の煙を吐き出す。
「水」
「あ、はい。…どうぞ」
サイドテーブルに置いてあった水差しから、グラスに一杯の水を酌んで差し出すと、ロイが億劫そうに身体を半分起こした。
「零さないで下さいね」
「煩い」
僅かに掠れた声で吐き捨ててから、一気に飲み干したロイが、水差しに目を遣る。
「お前は?」
「いや、別にいいっす」
「…残ってないのか?」
「水ならたくさん…」
言いかけて、この人が言っているのは、水のことではなく、さっきさんざん飲み干したものの後味のことだと気付いて。
「あー。いや、別に。つーか、あんたのだし残っていても…。…痛ェっ、何すんですか」
突然正面から飛んで来たグラスの直撃にあって、口から落としかけた煙草を慌てて銜えなおす。
「あんたね、こういうものを投げちゃいかんでしょうが。あーあ、もう。水入ってなかったからいいようなものの…」
「入ってたら投げていない」
「嘘ばっかり」
「……」
拗ねたような顔でぷいと他所を見るロイの表情に思わず頬を緩ませながら。
「コーヒーいれますね。昨日いい豆を見つけて買ったんで、持ってきてるんです」
軽く額にキスをしてから、立ち上がる。軍服を着直す気にはなれなくて、この部屋のクローゼットに入れさせて貰っているジーンズを取り出して足を入れたとき、それに気付いた。
「わ。しっかり痕ついちまってる」
太股に残る赤い痕。
「お前もさんざん付けるだろうが」
「まあ、そうっすけどね。俺のは、あんたが俺のもんだってこう何かで示したいっつーかなんつーか…」
そして、さっき、つい口にしてしまった疑問をもういちど。
「あんたの場合はどうなんすかね」
「なんのことだ」
「これ、あんたの所有印なのかなあって」
「そんなことを本気で思っているのか?」
何かを面白がるかのように輝いた黒い瞳に苦笑いを返しながら。
「…思ってないっすよ。有り得ねえし。でもまあ、そうなのかなあとか思うくらいはいいでしょ。通い猫にマーキングされるくらいには気に入られてんのかもとか、思えるし」
「通い…猫?」
酷く眉を顰めたロイに、堪らず噴き出してから、ゆっくりと扉に向かう。
「なんでもないです。コーヒーいれてきますね。あ、気持ち悪かったら、シャワー先に使っていてください。シーツ、代えておきますから」
「ああ、そうだな」
すとんとベッドから降りて足音もなく近付いてくる人に、ああ本当に猫だなあ、などと本人は決して喜ばないだろう感想を持ちながら見つめていると。
「ハボック」
「はい」
隣をすり抜け様に、ふと足を止めたロイが囁く。

「所有印なんか欲しいのか?」
「え、いや、えっと…」
何と返せばいいのか判らずに口籠ると
「所有印などなくても…」
「はい?」

そして、それはそれは綺麗に笑って。

「お前は私のものだと思ったのだがな」
違ったのか?

何も言えずに固まった自分の前から、ロイがゆっくりと離れていくのを見送って、その場にへたれこんだ。




「あんの…性悪猫っ!」

何よりも鮮やかな所有印を、心臓直撃で残していった人に精一杯の悪態を。






fin.