| 籠 / 白猫 |
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【ハボロイ】 『籠』 貴方に会えるまで、あと少し。 ふわあ、と大きな欠伸をしながら暁の町を歩く。例え誰が待つわけでなくとも、厳しい勤務の後、兎に角一応自分のベッドがある場所に帰れるのは素直に嬉しい事だった。他に歩くものなど誰もいない公園を、寒さに少し早足になりながら通り抜けて、小さなアパートを目指す。 (寒くなったなあ) この分だと、近いうちに、雪が降り出すかもしれない。交通網が麻痺する程に降れば、又自分達が整備に狩り出されることになるだろう。にっこりときれいな微笑みを浮かべながら、嬉しそうな声で、有り得ない命令を下してくれる上司の顔を思い浮かべて溜息をつく。 綺麗で悪どくて我侭などうしようもない上司で、且つ、誰よりも大切な、愛しい恋人。 (今頃は眠ってんだろな) 愛しい人のことを思いながらの朝の散歩ならば、少しは格好も付くが、実は只の夜勤からの帰り道。他に特別に考えることもなければ、思いが自然と今は離れた土地にいる恋人へと向かうのは当然のことで、司令部を出てから此処迄、頭に浮かぶのは、もう一週間も会っていないロイの事しかない。 新しい年が明けて数日。前年の終わりに中央に出張になったロイは、そのまま新年の休暇を彼の地にある親友の家で過ごしている。年が明けてから一度だけ、司令部に電話連絡があったものの、ホークアイから渡された受話器に向かって短い新年の挨拶をしただけで、すぐに同じく挨拶をする為に並ぶ同僚に交代させられた。それからまた数日間、声すらも聴けない日々が続いてしまえば、愛しい恋人への想いは日毎に募るばかりで。 「大佐」 こっそりと呟いてから、誰も聞いていなかったかと慌てて辺りを見回せば、明け始めた空に小さな鳥の影がひとつ。あの鳥のように翼を持てば今直ぐ飛んでいけるのに、などと夢見る少女のようなことを真剣に思うわけではないけれど。 「はやく帰って来て下さい」 独りぼっちは淋しいっスよ。 小さく囁いて、溜息をひとつ漏らす。 例えばこれが夢の世界ならば、これから戻る自分の部屋に、何故だかにっこり微笑んだ恋人が待っていたりするのだろう。 (お前に少しでも早く会いたかったんだ) そして、そんな言葉を囁く人を優しく抱き締める自分。 「ンなわけねえよなあ」 頭に浮かべた途端に打ち消す辺り、情けない様な気もしなくはないが。 今日の午前中は、中央の会議に出席するのだと聞いていた。一度顔を出せば、その後、所謂お偉いさんの元への挨拶周りも欠かすわけにはいかないだろう。もしかしたら、断り切れないような誰かに食事にでも誘われるかもしれない。一応、今夜には東部に戻って、明日の朝から司令部に出勤予定になってはいるものの、場合によっては、明日昼を過ぎての東部到着になるだろうと、ホークアイが諦めたような顔で零していたのは、昨日の午後の話だった。 「まあ、明日には帰って来るんだし」 何とか自分を慰めようと声に出す。明日の晩は、一緒に食事くらいはできるかもしれない。勿論、こちらに戻ってからも、各方面への挨拶周りは欠かせないロイのこと、明日の晩も自由になる確率は限り無く低いのだが。 「明後日なら大丈夫かなぁ」 いつになるかは判らない。けれど、長旅と慌ただしい挨拶周りに疲れきったロイが、何とか自分の元にやって来る夜のために。一度ぎゅっと抱き締めた後は、できるだけゆっくり休んで貰えるように、いつでも準備を整えておきたいと思う。暖かい部屋、良い酒、そして何よりも、きっとロイが楽しみにしてくれているだろう、彼の好物ばかりを揃えた旨い手料理。 年末年始の休みが明けて、今朝から市場が開かれる筈だった。新年の休みの間、閉じていた市も、今頃は丁度朝市の支度に活気付きだしているところだろう。明日の出勤前にでも、ちょっと覗いて新鮮な食料を仕入れて、戻ってくる恋人のために何か旨いものを用意しよう。それまで、あと少しだけ、独りの部屋で我慢すればいい。 そんなことを思いながら、ようやく見えてきた自分のアパートに向けて、足を速める。枯れた蔦の絡まる小さな門を通って何気なく部屋を見上げたとき、自分の部屋の扉の前に大きな影が見えて眉を顰めた。 「誰だ?」 誰何した声に、驚いたように振り向いた影が、嬉しそうな声をあげる。 「よう、少尉さん。今帰りかい。丁度良かった」 「え? あれ、親爺っさん?」 薄暗い街灯に照らされて見えた大きな籠を両手に抱えた見覚えのあるいかつい顔は、いつも行く市場の肉屋の主人のもの。自分の親程の年齢の親爺は、やはり同じくらいの年齢の息子がいるのだと言って、以前から何かと気にかけてくれていた。 「親爺っさん。こんなところで何してんスか?」 「なに、今朝から市が再開なんでな」 「いや、それは知ってるけど」 「市が休みの間、お前さんが碌なモン食ってないだろうと思ってな。差し入れに来ようとしたら、他のヤツ等からも山程頼まれちまってなあ」 「へ?」 見れば、大きな籠には、新鮮な野菜や卵、肉にソーセージまでが、今にも溢れんばかりに盛られていて。 「ちょ、親爺っさん、これ全部持ってきてくれたんスか?」 「ああ。今年最初の煮豚をお前さんにどうしても食わせてやりたかったからな。皆同じようなことを言っては此れに放り込んでいたから、結構な量になっちまったが」 豪快に笑う親爺の笑顔に吊られて、自分もこの朝初めての笑顔になる。 「まあ、これくらいはお前さんたちなら、あっという間に食っちまえるさ。どうせ今年もまたお前さんが大佐さんの分も食事作るんだろう?」 判ってる、と言わんばかりに、大きく頷きながら喋る親爺に微苦笑しながらも、有り難く受け取った籠は両手にずしりと重い。 この町にきて、ロイの為に料理をするようになってから、かなりの頻度で利用するようになった市場の店主たちとは、もう全員が顔見知りになっていた。最初は軍人を良く思ってはいなかったらしい彼等が、自分たちに向けて、ここまで心を開いてくれるようになったことが、いつでも本当に嬉しくて。 「有難な。親爺っさん」 けれど言葉にすれば、こんな在り来たりの事しか言えない自分が歯痒い。 「なに、お前さんたちには、いつだって本当に世話になってるからな。皆感謝してるのさ」 重い籠を放した親爺が、肩をぐきぐきと鳴らしながら呟く。 どうしようもない程の感謝を感じているのは、いつだって、こちらの方だというのに。 「今年も頼むぞ。お前さんたちが、この町を守ってくれるのが、皆の誇りなんだからな」 「…親爺っさん」 「さてと、いい加減に戻らないとかみさんにどやされちまう」 じゃあな、と手を振った親爺に慌てて手にした籠を一旦下ろそうとドアの前に視線を遣ると。 「あれ、親爺っさん。この花は?」 扉の前に小さな花籠がひとつ置いてあるのに気付いて、既に数歩離れていた親爺に声をかける。 「ああ、それか? それは、最初から其処にあったぞ」 「へ?」 「彼女からの贈り物じゃないのか?」 「そんな気のきいた相手いないっスよ」 「自分で気付いてないだけだろうよ、色男。今年はちゃんとイイ女も見つけろよ」 「はは…。努力はしますけどね」 「見つかったら市場に連れて来てくれよ。皆で歓迎してやるからな」 にやりと笑って、大きな体を揺らして急ぎ足で市場の方面へ戻っていく後ろ姿に敬礼をして見送る。 いつかきっと。 多分そんな日は来ることはないだろうけれど。 「そのうち、大佐連れてくかなあ」 くすりと笑ってから、扉の前にあった花籠を手に取る。肉屋の親爺から受け取った籠の半分くらいの大きさのそれには、綺麗な春色の花が鮮やかに盛られていて。 「一体だれが…」 そっと花に手を遣ると、小さなカードがひらりと滑り落ちる。 「いけね」 慌てて差し出した掌にすとんと乗ったそれに書かれた文字を見た途端、一瞬で顔が朱に染まった。 愛しいひとへ 恋人に贈るカードの常套文句であるその言葉は、見慣れた筆跡で綴られていて。 「つっあ…」 体中の血液が頭に昇ったような気がした。親爺が帰ったあとでよかったと、心底思いながらカードを見つめる。このカードには見覚えがあった。女性にはひどくマメな上司が、電話ひとつで、どこにでもすぐに花を届けられるよう、いつでも花屋に常備してあるもの。きっとこの花籠も、今朝はたくさんの女性の元へも届けられているのだろう。市場が開いた今朝、きっと花屋は夜明け前から大忙しだったに違い無い。 「ほんとやたらと罪作りっすよね、あんたって」 漸く少し落ち着いて、花籠に顔を近付ければ、柔らかい優しい香りを放つ新春の花。 (あれは、どうせ淋しい新年を迎えることだろうからな。何処のご婦人からの贈り物かと悩ませてやるのも楽しいかと思ってね) そんなことを口にして、花屋の主人と笑い合う姿も、簡単に思い浮かぶ。 「酷ぇなあ」 実際に聞いたわけではないけれど、きっと当たらずとも遠からず、という所だろう。そして、そんなことを口にしながらも、きっとあのひとは本当は。 軽く二桁には届いていたであろう花籠のなか、これだけが特別だと信じることができるもの。 柔らかい春の陽射しの黄色い花と、籠に掛けられた蒼いリボンに心から微笑んで。 部屋の鍵を開けて、2つの籠を大事に中に運べば、独りだと思っていた部屋に、暖かい空気が流れ込んだ。 たくさんの愛情と、たったひとつのかけがえのない愛と。自分の周りにはこんなにも愛が溢れているのだと。 それがただ、泣きたいくらいに嬉しかった。 テーブルに乗せた二つの籠を見る顔は、きっと誰にも見せられないくらいにだらしなく弛みきっていることだろうけれど。 「シチューでも仕込むか」 あの人はきっと今夜には此処に帰ってくる。これ以上独りでいたくないのは、きっとロイも一緒だから。 二つの籠を見ていれば、当然のように思えることが、さっきまでは何故信じられなかったのか判らなかった。 会議を終えて、面倒な挨拶周りを済ませれば、きっと最終列車でも飛び乗って帰ってくる大切な人。 戻ったロイを暖かい部屋と料理で迎えて、思いきり抱き締めよう。 二つの籠の話をすればきっと笑ってくれるだろう。 そして、この花籠を見るまでは信じていなかったと聞いて、拗ねるひとの唇に、優しくキスを落としたい。 暖かい部屋と料理と抱き締める腕と。 貴方の為にすべてを用意して待っているから。 今年初めての恋人に、もうすぐ会える。 おかえりなさい fin. |