| ホットミルク / くろいぬ |
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【ヒューロイ】 『ホットミルク』 「……っ!」 「お前さん、いつからこんな早起きになった? まだ夜明け前だぜ」 カーテンの隙間から垣間見える空は、しらじらと明け行く色合いで、冷たな空気を伺わせた。 「悪いな、ヒューズ。お前まで起こしたか」 セントラルからやって来た旧友を泊めた、この部屋は自分の住まう官舎の寝室。同じベッド。皺だらけのシーツ。漂う紫煙の懐かしい香り。 ベッドに縺れて倒れ込む、その直前の酒を交わしながらの昔話がきな臭い記憶を揺り動かして、夢見させたのだろう。 冷たい汗にまみれていた自分に気付き、ロイは深く息を吐き出し、目を瞑ってベッドに沈み込んだ。 「そのまま寝てろ」 ヒューズは手早く衣服を着込み、靴に足を突っ込んで部屋を出て行く。 かたたた、たん。 見た目よりも軽快な足取りの男が、階段を降り、扉を開いて家を出て行く音が伝わって来た。 どこへ行くのか。 こんなに寒い朝なのに。 どうやら毛布からはみ出して寝ていたらしい、自分の冷えた肩に手を触れながらロイは思った。 こんなに寒い朝なのに、毛布の隙間にヒューズの残した熱量はこんなに少なく。 冷えて行く。 冷えて行く。 うつらうつらと夢に落ちかけ、手探りで熱を探す、掌が淋しくシーツの上で足掻く。 どれ程時間が経ったのか、連続する扉の開閉の音にロイは目を醒ました。 毛布を肩に巻き付けて階下のキッチンを覗いてみれば、戸棚から漸く探し出したらしいミルクパンを手にする男と、テーブルの上に置かれた重たげなミルクボトル。 「何かあるとは思っちゃいなかったが、本格的に何も置いてない家だな!」 呆れ顔でパントリーを指さしてから、ヒューズはボトルを開封して中身をパンにあけた。 「郊外から荷馬車で牛乳運びに来てる、農家のだ。きっと美味いぞ」 「夜が明け切る前に、よく物売りなんか見つけたな」 「ごとごと、ミルクの缶と瓶の触れる音がしてたんだ。……あ、飲み終わったらドアの外に空ボトル置いとけよ」 言い捨てて、ヒューズは鍋を火にかけた。 「そんなでかいボトルのミルクなぞ、鋼のじゃないがひとりで飲み切れるとは思えん」 「残念だな、お前の身長が伸び出したら、エドも頑張って牛乳飲むだろうにな」 ロイに背を向けたまま、ヒューズは楽しげな口調で言った。 「向こうでソファにでも座って待っとけ。今温めて持ってってやるから」 「ヒューズ、私を幾つだと思っている?」 「野郎の歳なんぞ知るか」 言いながら、ミルクパンを一旦火から下ろしてヒューズは立ちぼうけのロイに近付いた。 「座っとけ」 キッチンから追い出すように背を押して、座れと言いつつロイの躯をソファに横たえ、引きずる毛布で躯をくるむ。 ヒューズは再びミルクの鍋を、小さな小さな火にかけた。 「待ってろ、ホットミルクはゆっくり温めるんだ。鍋肌で焦がさないように、ゆっくり少しずつ、丁寧に」 静かな部屋に、小さな声で。 歌うような抑揚でヒューズは続けた。 「ハチミツも、砂糖すらも置いてねえとは。ブランデーはあったよな? ミルクとブランデーの甘さも、たまにはオツなもんだろ?」 毛布に包み込まれたロイが、無言でソファから、キッチンへと続く開きっぱなしのドアを見つめる。 「ブランデー、ブランデー……。おっと、入れ過ぎたか?」 マグカップを手に歩み寄る男の顔が、ブランデーの香りよりも甘さを伺わせるように、ロイには感じられた。 毛布にくるまり、背にはクッションを宛われ。 両掌に大事に包んだカップの熱が、周りの空気に柔らかに浸透する。 「温かいか?」 「熱い」 「そうか」 絨毯に座り込み、傍らからソファに肘突くヒューズにロイは、ミルクの湯気越しに目を遣った。 「言っておくが。寝室から降りて来るまでに、私はとっくに夢の中身なんか忘れてるぞ」 「そうか」 「……外は寒かったろう?」 「まあな。硝子ボトルの音だけかちゃかちゃしてたから追っかけたが、眼鏡が雲ってしょうがなくてな。まだ明け切らない空だし、朝霧で周りは真っ白だし」 ふわりと暖かな湯気を吸い込みながら、ヒューズの声だけを聞き続ける。 「ミルクが真っ白な訳知ってるか? 乳脂肪分の粒の色だってよ。朝霧の白い色と同じだな。霧の出る空気は冷たいが、部屋に入るとほっとする……」 歌うような、低い声。あやすように。幼子に言い聞かせるような声音で続くヒューズの声を聞きながら、ロイは目蓋を下ろした。 「そうだ。出勤時間ギリギリまで寝ちまえ。俺が許すから」 掌からカップを受け取り、身勝手なことを言い続けるヒューズの声に、ロイは唇の端を僅かに上げた。 「俺と寝た晩の夢見が悪いなんて、とんでもねえからな。そうだ、俺の夢でも見てろ。俺のことだ。お前の夢の中でも、好きなだけお前さんを甘やかすだろ」 ソファで眠るロイに、囁くようにヒューズは続ける。 「ミルクなんか幾らでも買ってくるし、幾らでも温めてやる。傍にいる時は幾らでも暖めてやるから。だから、なあ」 どれほどお前が辛い思いをした時も、暖かなものに包まれる幸福を信じていられますように。 優しい強さを忘れずにいてくれますように。 打ちのめされた時でも、また不貞不貞しく笑って立ち上がれる強さを、持ち続けていられますように。 fin. |