硝子 / くろいぬ
【ヒューズ】【士官学校】



『硝子』

 急な衝突音が響き、ヒューズの周囲は俄に騒然とした。
 士官学校の入校式の式典最中、演壇で祝辞を述べていた校長が声を張り上げる。
「諸君、静粛に! 静粛に……」
 続けて轟く爆発音に、列席していた礼装の軍人達、ヒューズを含む一部の士官上級生が駆け出す。軍車輌の衝突事故だ。爆発炎上した車両の側には、可燃性ガスのパイプが外壁に剥き出しの食堂があった。
「消火剤はどこに?」
「厨房内部に備品の消火器、室内スプリンクラーはもう作動してる筈、50メートル離れた車庫側に消火栓」
 質問に答えながらヒューズは、緊急設備の位置も把握してないバカ者の顔を拝もうと振り向いた。
「あ? 新入りか?」
「ロイ・マスタング」
 簡潔な自己紹介を述べた新顔の士官候補生は、走る速度を上げてヒューズよりひと足先に事故現場に到着した。

 食堂の壁にエンジン部分をのめり込ませて大破炎上する軍用ジープの傍に、乗員らしき男が投げ出されて倒れている。
「怪我人を車輌から離してくれ」
 新入りらしからぬ口調に数名の士官候補生が色めき立つが、ヒューズが片手を挙げて制止する。
「救命が先だ」
 怪我人を仰向かせると、呻き声と共に口元から血を吐き出した。
「担架持って来い。肺か内臓が傷ついてるようだ」
 指示を聞いて駆け出した士官候補生を見送ったヒューズは、背後から硝子の砕ける小さな音を聞き取った。
 ぱり、ぱりん。
 散らばる硝子の破片を踏みつけ、ロイ・マスタングと名乗った新入りが炎上する車輌に近付こうとしているのに気付く。
「このバカ!? 何遊んでやがる……!?」
 その瞬間、高熱で何かが溶け落ちたのか、新たな小爆発が起こり炎が一層高く燃え上がった。
「危ない!」
「! 邪魔だ、下がれ!」
 炎との間に躯を割り込ませて掴みかかるヒューズを、ロイは鋭い声と動作でふりほどいた。
「っ痛え……」
 突き飛ばされて倒れ込み、突いた掌に感じた痛みをヒューズは忘れた。地面から見上げる視界には、燃え上がる炎に立ち向かい、吹き付ける熱風に乱れた黒髪の、まだ少年の名残の見える細い影。影は静かに腕を上げ、炎上車輌に掌を向けた。
「……!」
 炎の紅に、黒い髪。熱風にコートの裾を翻す姿。
 鮮烈な姿がヒューズの脳裏に焼き付く。
「お前一体、」 
「車輌周辺の酸素の供給を絶つ。高熱で焼け残りが発火する恐れがあるので、消火剤をたっぷりと散布してくれ」
 あっと言う間に消えゆく炎を、事故現場に集まった全員が茫然と見守る。

 錬金術師。
 今年度の新入生の中に錬金術師がいることを、ヒューズは学校側から聞かされていた。世話好きで誰とでもうち解ける性質のヒューズは、荒くれ者も少なくはない士官学校内で誰とも衝突することもなく、寮長の役を任されていた。
 面倒事はヒューズへ。
 学校からも、士官候補生達からもそういう認識を持たれていることを理解しながら、それでもヒューズは、学校側の『錬金術師を優遇するように』との要請を黙って承諾した。
『無限の可能性を持つ錬金術師には、高い利用価値がある』
 人間を露骨に殺人兵器扱いして憚らない軍に、反感を抱いた所為かも知れなかった。

「ロイ・マスタング。お前が錬金術師か」
 放水活動が始まり、ロイは車輌から離れた。今度は担架に移された怪我人の上に屈み込む。怪我人は爆発時に負った火傷や無数の切り傷の他に、吐血をしていた。軍服を脱がせても外部からは詳しい怪我の様子が判らない。ただ、内出血が多いらしく、ショック症状で体温が異常に下がり、唇から血色が失せていた。
 ロイは怪我人の血の気の引いた顔の真上に掌を翳した。
「何やってるんだ?」
 勝手に隣にしゃがみ、手許を覗き込もうとするヒューズを、ロイは鬱陶しげに眺めた。
「高濃度酸素を吸わせている。無いよりはマシだろう。……周囲からここに酸素をかき集めている訳だから、あんまり近寄ると君が酸欠になるぞ」
「あぶねー奴だな」
「説明が足りずに済まなかったが、さっきも、車輌周辺の酸素供給を絶って消火しようとしてるのに、君が顔出して邪魔しようとしていたんだ。どこにでも顔を突っ込むから危ない目に遭うのではないのか?」
 生真面目そうな顔で返されて、ヒューズは笑い出した。
「お前さんが錬金術師だなんてこと、知る訳もないんだからしょうがねえだろ。ところでちょちょいっと術で怪我を治す訳には行かないのか?」
「私は専門の医師ではないからな。折れた骨を繋ぎ直す程度はすぐに出来るが、錬金術は等価交換だ。替わりの『材料』が必要になるのさ」
「材料?」
「カルシウム、硅素、鉄、マグネシウム、マンガン等微量要素……。君が体内の骨を提供するか?」
「遠慮する」
 ヒューズがぶるぶると首を振ると、ロイはにやりと笑みを見せた。

 救急車が到着し、怪我人が担架で運ばれて行くのを見送った。再開した式典に向い、集まった士官達が列席する為に戻って行く。
 
 ヒューズも席に向かいながら、戯けて両腕を降参のポーズに挙げて、隣を歩くロイを感嘆の思いで見つめた。先程の凄まじくも鮮烈な姿と、一筋縄では行かない稚気を覗かせる笑顔。青年と少年の端境期を感じさせる顔付きと体躯。
 完全な跳ね返りだと、ヒューズは思った。士官学校でも寮でも、両手に余るほど敵を作るに違いない。お守りにはさぞや苦労をする羽目になるだろう。
「こりゃ参ったな」
 自分の呟く声が酷く楽しそうだと、ヒューズは笑った。

「その傷」
「あ?」
 立ち止まったロイが、ヒューズの掌を指さした。消火の際に突き飛ばされ、硝子の破片が白い手袋に小さな赤い染みを作っていた。掌に残った硝子の破片を丁寧に摘み取り、ロイはヒューズの目を見つめた。
「その程度ならば、周辺の組織を寄せ集めればすぐに治せるが」
「じゃ、頼むわ」
 ヒューズの差し出した掌に、ロイは両掌を重ねて置いた。重なる手から伝わる体温の他に、傷口からふつふつと湧く熱をヒューズは感じた。何かを詰め込まれたような気分を感じる。傷口部分を切り開いて、そこに何か代替物を突っ込まれたような、冷や汗の出そうな違和感だ。
「錬成完了」
「治療じゃないのかよ」
「医師ではないと言ったろう。暫く違和感があるだろうがすぐに馴染む。ちなみに足りないタンパク質は、その不精ひげから頂いた。式典の時くらい丁寧にひげを剃りたまえ」
「何ッ!? これは不精じゃねえよ、わざわざ生やしてんだよ! ああっ、本当に無い! この跳ねッ返り野郎め!」
 自分の顎に触れ、ひげの無いするりとした皮膚の感触を、傷の消えたばかりの掌で感じた。
「ひげはともかく。傷、 ―――― 悪かったな」
「え?」
 思いも寄らぬ言葉に、ヒューズは眼鏡の奥の目を剥いた。
 謝罪と言えないような謝罪のコトバを口にした瞬間、ロイは確かに困ったように赤面したのだ。不器用が過ぎる。目を逸らすように歩き出してしまったロイの背を、ヒューズは暫く茫然と見つめ、追い掛けた。追い掛けて、大声で叫んだ。
 
「おい、ロイ! 俺はヒューズだ。マース・ヒューズだ!」



fin.