エロチカ / くろいぬ
【ヒューロイ←ハボ】【※作中ハボックはおよその女と性交渉持ってます。ご注意下さい※】









『エロチカ』



 この店が薄暗いのは、今が真夜中であるからだけじゃなく、半地下にある所為もあったかもしれない。
 濁った空気、立ちこめる紫煙、酒の匂い、酔っ払いの饐えた体臭、香水。
 そんな猥雑さが店の灯りのワット数を実際よりも下げているように感じられた。
 太陽の替わりに天井からぶら下がるミラーボウルも、煙草の煙越しにしかきらめきを届かせない。
 唯一輝いているのは、踊る女達を照らすライト。
 カウンタの上に設えたステージを下から照らして、露出した肌になまめく陰翳を付けている。
『おまえも少しは飲め』
 そう手渡されたビールの小瓶に形ばかり口を付け、ステージ中央のバーに指先で掴まった女がうんと背筋を反らせるのを眺めた。

『友人と飲むのに警護はいらない。ホークアイ中尉には帰宅まで少尉が警護したということにするから先に帰っていいぞ、ハボック』
『大佐、中尉の目を真っ直ぐ見らんなくなりますよ? 時間外手当てはしっかり請求しますんで、どーぞご心配なく』
 肩を竦めて言うと、セントラルからの来客は笑いながら大佐の首に腕を気安く引っ掛けた。
『おまえのお守りは手が掛かるから疲れるんだよ。ハボック少尉にもたまにはこういう場所で命の洗濯させてやれよ、ロイ』
『ヒューズ、おまえがこんな店に来たがるから警護が必要だと言われるんだろうが』
 音高く手の甲を叩かれ、ヒューズ中佐はひらひらと掌を振った。

 揃って入店してすぐに、中佐はウェイターにウィンクしつつ札を渡した。
「ちょっと込み入った話をしたいんで静かな席がいいんだが」
 臨時ボーナスを得たウェイターは奥まって人目につかない席にふたりを案内し、自分は離れた場所で、ふたりの周囲に怪しい者が近付かないかと目を光らせるだけ。
 セントラルからの来客と、上司。
 警護である自分。
 女達の踊るカウンタに肘を付き、分相応なポジショニングを心のどこかで嘲笑ってパッケージから煙草を咥え取った。
 大佐達の席は分厚いカーテンで隣のテーブルとの間を隔てた個室状態。
 ステージが見易いように壁に背を向けた安ソファに、ふたり並んで何を話すのか。
 もっと静かなバーで美味い酒を酌み交わすことも出来るだろうに。
 目立たぬ私服に着替えて来たところで、整えた指先磨かれた靴がここじゃ場違いなことくらい気付いてるだろうに。

 グラスを重ね、ああ、今度は何を話しているんだろう。
 肩に掌を置き耳打ちされても、あの人はもうその手を叩き落とすことなど思い付かずに、吸い込まれたように瞳を見返すだけ。
 会話の最中に目を逸らす振りをしても、互いに吐息まで意識して惹き付け合ってる。

 温くなったビールにまた口を付け、煙草を押し付けた灰皿を通りすがりのウェイターが新しいもの取り替えて行く。
 溜まって行く吸い殻で時を計る術もない。
 耳に煩い音楽は次々に新しい曲に替わるが、踊る女達は同じように肢体を見せびらかす仕草を繰り返し、ステージと天井を繋ぐバーに縋るように手を沿わせてすんなりした腿を持ち上げ絡ませる。
 バーに薄く開いた唇を寄せて悩ましげに目を伏せる。
 目の前の女がふいに背中を向け、豊かな臀を揺らしながら腰を降ろした。
 女の向かい側の男達の目線が突き出された胸や開いた脚に集中するのを眺めて、また新しい煙草に火を着ける。
 首を僅かに捻れば、紫煙の向こうに隠さがちな小部屋では、ソファに寄り掛かった上司と客は溜息のように微かな声で会話を交わしているようだった。
 寄せ合った顔、今にも触れ合いそうな前髪。
 目を逸らそうと思った瞬間に、急にこちらに顔を向けた来客と目が遭った。
 普段陽気な光を湛える中佐の瞳が、その時は何の装いを纏う訳でもなく鋭さを剥き出しにして。
 嫉妬めいた心を見透かされたような気拙さを感じ、視線を外しかけて留まる。
 視線を外したらどこかで負けを認めるような気がした。
 必死さを隠して強張りがちな顔を見せ続けていると、やがて中佐は困ったように口元を緩め、片目を瞑った。

 笑えるのか。

 苦笑と謂えども、俺の気持ちを勘付いて尚、笑みを浮かべる余裕があるのか。
 遠く離れた場所に家族を待たせながら。
 それを判り切っていながら、どうしようもなく引き付け合う磁石のように。
 互いを必要だと。
 大佐は、何故この男を許しているのだろう。
 何故、この男でなくてはならないんだろう。
 苛立ちに咥え煙草のフィルターを、ぎり、と噛み締める。

 躯の脇を体温が掠めた。
「失礼」
 店のダンサーだろうか、躯に貼り付くドレスの女が細い紙巻きを指に挟んでいた。
「火を頂ける?」
 オイルライターを寄せてやると、女はルージュで光る唇で煙草に火を移す。
 ルージュの唇から細く煙が吐き出された。
「ありがとう」
 笑みの形のルージュの下の細い首、深く刳った襟から覗く谷間から立ち上る香水。
「あなたきれいな眼ね」
 瞳を覗き込むようにして言ってから、女はまだ長い煙草を灰皿に放り込み、意味深な流し目をくれて歩き出した。
 洗面室へと向かう後ろ姿の臀が揺れ、酔っ払いが短く口笛を吹いた。
 視界の端で無責任な掌が行って来いと振られる。
 追い払われる野良の雄犬のような自分を嗤い、唇の端が歪んだ。

「んっ……!」
 個室の壁に貼り付くように手をついた女が、堪え切れずに呻きを洩らした。
 捲り上げたドレスを汚さぬようにしながら、こちらに向けられた腰を突き上げる。
 碌に前戯もしなかったし、口も聞かなかった。
 ただ突っ込んで、突っ込まれて、排泄に近い快楽の時間を束の間共有する為だけに。
 深く抉ると女は背を仰け反らせ、腰を嬉しげに震わせた。
 指を食い込ませて掴んだ腰骨と、続くウエストのくびれ。
 近付く頂点にひくつく女の肉の円味。
 馴染んだ世界の快楽の真っ最中にも、頭から消えない顔。
 見たこともないのに急にぽかりと思い浮かぶ、あの人の悦楽の表情。
「Ah……」
 男の躯はこんなに細くない。
 滑らかでもない。
 今壁にしがみつく指にように、爪を染めたりもしていない。
 打ち振るわれる度に甘い香りを漂わせる、長い髪を持つ訳でもない。
 滑ってまとわりつくような、包み込むような肉ではない。
 そう思いながら女の躯から自分の猛りを引き抜き、もう一つの窄まりに先端を押し付けた。
 女は一瞬息を詰めたが、「無茶はしないでよ」と短い警告だけをして、慣れた様子でそのまま雄を受け入れる。
 窄まりを無理矢理押し開き、きつい締め付けに急速に追い上げられながら抽送を繰り返した。
 女の腰を掴みながら、眼を瞑り別の顔を思い浮かべて。

 互いに頂点を極めても、突っ伏し眠るベッドや枕があるわけでもなく、女は薄汚れたトイレの個室の便器に腰かけた。
 紅く染めた爪の先に挟んだ煙草に、また火を寄せてやる。
「サンキュ」
 深く吸い込み、天井に向けて煙を吐き出す。
 札を数枚差し出すと、「商売のつもりじゃなかったんだけどね」と薄く笑いながら、小さなバッグにしまい込んだ。
「有り難く頂戴するわ」
 便器に座った足を組み替える。
 しまった足首と優雅な仕草に初めて気付き感嘆したが、今更視線を絡ませるにはタイミングが間抜け過ぎて、足先に引っ掛かる華奢なヒールに目を留めるだけにした。
 女は煙草をふかし続けた。
 先に個室を出ようとドアを開き、閉じる。
 その間際に女が囁いた。
「Good luck.」
 振り向くと閉じた片目が、扉の隙間に、消えた。

 くしゃみをした時の「お大事に」と同じ、考える前に口から出て来るような言葉だったのかもしれない。
 セックスした相手には誰でもそう言うことにしていたのかもしれないし、単に「サヨナラ」を聞き違えたのかもしれなかった。
 それでもその言葉は、酷く自分にしっくり来るようでもあり、不似合いであるような気もした。
 洗面室を後にして、元いた場所に戻る。
 来客は多分、自分の消えた方角と再び現れるまでの時間を承知して、にやりと笑いを浮かべる程度のことはするだろう。
 構いはしない。
 立派な足首を持った女から貰った言葉をもう一度頭の中で反芻した。

 誰が居たって構わない。
 その内俺はあの人に、あんたと寝たいと伝えるだろう。
 非道徳も不道徳も気にはしない。
 あの人にどうしても必要な人が居たとしても、割り込んで。
 何時か奪う。
 心の中に分け入って。
 忘れさせなくして。
 それは、猥雑な臭いの染みついた店で投げやりな爽快感の後で漸く得た、荒み交じりのやけくその決意。
 大事に守るだけから一歩踏み出す、不貞不貞しい決心。
 傷付いても傷つけても腕を伸ばしてしまうだろうという予感。


 ミラーボウルの太陽を見上げ、精一杯の虚勢で煙草を咥えながら、元居た場所へと足を進めた。







fin.