電話線-2 / くろいぬ
【ロイ】




『電話線』




「やあ、マダム」
『お久し振りね、ロイさん。伺ってるわ、中央に進出なさるそうね。ご出世のお祝いを申し上げますわ』
「情報の早さには驚かされますね。貴女の姿のない場所に向かうことを考えると、色のない世界に行くようで何とも寂しさを感じますよ」
 電話の向こうから豪快な笑い声があがり、ロイは受話器から耳を1インチ離した。
『大きな花火の上がる場所に行くのに、あんたはきっと寂しがってる時間などないだろうよ!』
 急に砕けた口調にロイが苦笑する。
 電話の相手はイーストシティの社交界に君臨する大柄な夫人で、鉄鋼王の妻だった。
『そう、大きな大きな花火だ。 ─── この電話は大丈夫なんだろうね? 以前話しただろう、N社の新製品のラインがフル稼働している。N社の下請けじゃ、新しい金型作るのにてんてこ舞いだったそうだよ。屑鉄相場の変動も激しい』
「そのようだね」
 アメストリス有数の軍需企業の名を聞き、ロイは唇の端をしかめた。
『備えを厚くする、と言うには剣呑な空気だね。キナ臭い。あんたは鉄火場に飛び込むんだよ。気を付けてお行き』
「マダム。私よりも貴女ご自身がお気を付けて。国中に火がつくことにもなり兼ねないのだから」
『アタシ達商売人は稼ぎ時と引き時を弁えてますよ』
「では、出世欲にかられた成り上がりの若造のことも見限り時と思って、一切を忘れてください」
『馬鹿におしでない。秘め事をしまい込む女の引き出しの深さ広さを舐めちゃいけない。あんたのひとりやふたりくらい、忘れたり思い出したりなんか自在だよ』
 憤慨したかのような口調が、一瞬詰まった。
『……そうだね。気を付けるとしよう。電信の記録などは一切残しちゃいない筈だけど、確認は怠らない方がいいね。あんたの方は大丈夫なのだね?』
「ええ。マダムから頂いた情報は全て頭の中に」
『ではわたしは、ロイさんとの想い出は全てコルセットの奥に秘めておきましょう。もっとうんと出世してお戻りになったらまた、イーストシティ中の噂話に花を咲かせましょうね。それまでご機嫌よう』
「ご機嫌よう、マダム」
 通話が切れたことを確認し、ロイは受話器を、小さな木製の箱形電話に戻した。
「一件終わり。また移動だ」
「了解」
 短い返事と同時に、路上にぽかりと空いたマンホールからこなれたグレイのつなぎ姿のフュリーが現れた。
 半袖のTシャツと色落ちしたジーンズのハボックが、即座に坑を重たい鉄蓋で塞ぐ。
 フュリーはケーブルを素早く巻き取り、ロイの待つ、外装に電気屋の名前のステッカーの貼られた車に乗り込んだ。
「次のポイントはCストリート3番の設計事務所脇の小道です」
「オーライ」
 運転席に乗り込みエンジンをかけるのと同時に、ハボックは煙草に火を付けた。

 先程からイーストシティ中を点々と移動しながら、地下埋設の配電配線設備にバイパスを作り、一般回線に割り込んでいるのだ。
「セントラル異動の前に女性関係を整理する」
 だから手伝え、と、突然ロイに呼び出され言われたハボックとフュリーは、最初あんぐりと口を開けた。
 東部中駆けずり回ってロイの代わりに女性達から平手打ちを受ける役目を言い遣ったのかとふたりは呻いたが、軍や通信施設に記録を残さず内密の電話をかける為だと説明され、安堵の溜息をついた。
「ひっぱたかれずに済んだのはよかったけど、大佐、ほんっとに東部中に『女性関係』散らばらせてますね。こりゃ手帳が女性の名前だらけになる筈っスね」
「鉄鋼会社の社長の妻に、新聞社会面の室長のやり手女性、食品流通業の女社長に株屋に……。僕らも見習わなきゃなあ」
 ロイの情報網を形作り彩る女性達を数え上げるフュリーの笑い声を聞き、ハボックはミラー越しに、手帳を覗き込むロイを見た。
「大佐。ダース単位の熟女達と秘密を『コルセットの奥に』共有するコツを教えてくださいよ」
 咥え煙草のくぐもった声に多分な笑いの成分をかぎ取ったロイが目を上げた。
 ロイが思った通り、案の定ミラーの中で運転席の男はおかしそうに目を輝かせている。
『ロイさんとの想い出は全てコルセットの奥に秘めておきましょう』
 タブロイドの社交欄を頻繁に写真で飾る、たった今電話切ったばかりの鉄鋼王の妻の容貌を思い浮かべているのだ。
 若い頃の快活さを保ちつつ長年美食習慣を続けたその有名な女性は、 ─── ロイとフュリーを合わせた程の体重と、それに見合う体格を保持している。
 ロイは顎を持ち上げて、ミラーを斜に睨み付けた。
「そうだな。……何よりも信頼を絶対に裏切らないこと」
 配電図に青鉛筆で書き込みをしていたフュリーも思わず顔を上げた。

「信頼を絶対に裏切らないこと。彼女たちはとても傷つきやすい。彼女に対してどんな秘密も持っていないと、両腕を開いて、いつポケットをひっくり返して見せもいいつもりでいること」
「隠し事が出来ちゃった場合は?」
「死んでも隠し通せ」
 混ぜ返すハボックにひと言で応える。
「彼女の影響力がどれ程に大きいと思っているかと、彼女に取っては自分が取るに足りぬ存在であると承知していることを、言葉に出さずに伝えること」
「『言葉に出さずに』ですか? 小技が必要なんですね」
「ここが肝心なんだ。相手に心からそう思い込んで貰うのが何より重要なんだから」
 配電図の裏面にフュリーは走り書きを始めた。
「そして、何事にも終わりはある。サイアクの『終わり』に備え、彼女の為し得る最高の報復を黙って受け止める覚悟しておくこと」
「刃傷沙汰になったらどーすんですか?」
「だから『取るに足らぬ存在であれ』なんだ。彼女が小さな報復で満足出来る程度の存在に収まっているのが賢い」
 煙草の灰を散らすハボックに、ロイは静かに言った。
「例えば。食品流通業者こぞって軍にそっぽを向いても、近隣の農家と懇意にしていれば取り敢えず食堂にはジャガイモとパンくらいは回して貰えるだろう」
 ハボックとフュリーは揃って「ゲー」と口の形を動かした。
「300パウンド級のボディブロウを食らうことを察知しても、多少の手加減を信じて微動だにせずにいること」
「ビンタじゃなくて腹に来ますか、腹に?」
 ロイの隣のフュリーが、胴を押さえてもぞもぞと身動きした。
「ゴシップ記事の傍らに小さく軍の人事異動が載る時に、29歳ではなく39歳と誤植されても目を瞑るとか」
「それは小さいようで堪えるっスね。その記事を信じる人が出て来ちゃうかもしれないし」
「マスコミュニケイションを侮ることも過大評価することも禁物ですねえ。何事も自分の目で確かめないといけないってことですかねえ……」
「おまえら」
 ロイが鼻じらんだ。
「マトモに受けるなよ」

 それから更に数カ所の緊急バイパス隠密工事を終え、ハボックの運転する車は市街地から中心部へと戻りつつあった。
「大佐ァ」
「なんだ」
 鉄道の手前でセントラルへ向かう機関車が通り過ぎるのを待つ間、ハボックは身をよじって助手席のヘッドレストに腕をかけ、後部座席を覗き込んだ。
 ロイは相変わらず手帳を開き、その隣ではフュリーが電話機を抱え込んでうたた寝をしている。
「女性達にはひとりも恨まれずに済みそうですね。殴られたり吹っ飛ばされたりせずに済んでよかった」
 Tシャツの袖から固そうな上腕筋をはみ出させ、にやりと笑ってみせる。
 ロイのかけた電話は全て、優しい声音の「ご機嫌よう」で締めくくられていた。
「言ったろう? 『取るに足らぬ存在であれ』だ。彼女達は私がいなくても、いや、いない方が、穏やかで平和な明日の朝を迎える」
「彼女達の『ロイさん』がセントラルで達者に過ごすことを信じて?」
 ロイは窓の外を覗いた。
 すっかり夜も更け、過ぎて行く汽車の車窓の黄色い明かりが眩しい程だった。
「大佐ァ」
「うん?」
「心配かけないように、元気で過ごさにゃならんでしょうね。どうも大佐の大事な女性達は、彼女達の『ロイさん』が、いつか彼女達の元に戻って来てにっこり笑うに違いないと、疑ってないような気がしますよ」
「さあ?」
 ほんの小さな人生のスリルを味合わせただけの若造のことなど、すぐに本当に忘れてしまうだろう。
 ロイが言うと、今度はハボックが「さあ?」と返した。
「取り敢えず、あんたの今日の出で立ちを電話の向こうの彼女達が知っていたら、プラス10年分くらいは印象が深まったろうになあ!」
 でっち上げの電気屋のステッカーが貼られた車に乗っていても目立たぬようにと、ロイはハボックに借りたギンガムのシャツとオーヴァオールを着ていた。
「ハボック……」
 前に屈むと、片側の肩ベルトがずり落ちる。
 ロイはせいぜい威厳を保ってオーヴァオールを着直すと、小さく咳払いをした。
「こんな姿見られて堪るか!」
「似合ってるのに」

 車が動き出した。
 鉄道のレールを乗り越える際に車が大きく揺れ、ロイの肩からまたベルトがずり落ちた。
 フュリーが小さなあくびをしながら目を覚ます前にと、大急ぎでベルトを引き上げるロイの姿をミラーで確かめながら、ハボックは笑って新しい煙草を咥えた。




 
fin.