day by day 2 / 白猫
【こどもヒューロイ】『もしもヒューとロイが幼馴染みだったら』




『day by day 2 』




「ローイ! おい、ローイ!」

日曜日の午後のひととき。編み物をする祖母の向かいで、先生に借りて来た本を読んでいたところに、聞き慣れた親友の声が掛けられて、本の世界から一気に小さな部屋へと意識がもどる。
「マース。もう帰ってきたのか」
本から顔をあげて振り向いたときには既に大きな木の扉が開いていて、少し息を乱しているマースの姿が目に入った。
「こんにちは! これ、じいさんから」
今度のマースの声は、もちろん僕に掛けられたものではなく、祖母に掛けられたものだ。両手いっぱいに抱えていた大きな紙袋を、どんと音をたててテーブルに下ろしたマースが、ふうと溜息をついて額の汗を拭った。
「わざわざありがとう、マース。重かったでしょう?」
祖母がにこにこと笑いながら、冷たい水を出すために席を立つ。ほんの少し檸檬を絞った冷水はマースの大好物のひとつだ。
水くらいお前の家にもあるだろう。
いつだったか、そう言ったときには、大真面目な顔で反論された。曰く、男の手で絞ったレモンの入った水など旨くもなんともない、というのがマースの言い分で。その割に、僕がコイツのために檸檬を絞ったことが何度もあるのはどういうことなのか、まだはっきりと聞かせてもらったことはない。
棚から檸檬を取り出す祖母をみながら、期待に瞳を輝かせるマースを無視して、僕は紙袋に手を伸ばした。
紙袋は、今日マースとお祖父さんが出掛けた町の大きな雑貨店のものだ。この小さな村では手に入れられない種類の雑貨や衣料品、薬品、食料品などを購入するために、僕らは月に一度マースのお祖父さんの馬車で、少し離れた大きな町迄出掛けることにしている。今朝は、少しだけ熱があった祖母を心配したマースのお祖父さんが、僕らの家の分迄、買い物を引き受けてくれたのだ。
「お前が割れ物担当だということが絶対納得いかないな」
紙袋から出て来るのが、すべて硝子瓶に入った調味料や酒類、薬品等だということに、小さく首を捻ると、マースが肩を竦める。
「お前、じいさんの馬車がどんなに揺れるかわかってねーだろ。じいさん、お前やお祖母さん乗せてるときは猫被ってるけどな、普段はすげえんだぞ。あんな馬車に割れモンなんか乗せたら、村の入り口からこの家に来るまでに全部割れちまう」
小さな村の勿論整備などされている筈もない道は、どんなに慎重に走らせている馬車さえ、時に大きく跳ね上げる。
「割れ物を持ったまま走るお前と揺れる馬車のどちらが危ないんだ?」
「そういうコトばかり言うヤツには、コレやんねえぞ?」
ニヤリと笑ったマースが僕の目の前でキラキラとひかる袋を取り出した。透明のビニール袋に入った色とりどりのセロファンに包まれた小さなもの。
「キングスの店のナッツヌガーとマシュマロチョコ、お前、好きだろ」
「…どうしたんだ、それ」
「土産。お前にやる」
嬉しそうな顔で差し出されたそれを受け取ってから、眉を顰める。これは、僕やマースのような子どもがいつでも簡単に買える類いの菓子では決してない。
「これ、高かっただろう?」
「ああ、安くはなかったな」
「じゃ」
貰えない、と返そうとした僕の手首をそっとマースが掴んだ。
「お前にやりたかったんだ。お前が受け取らなかったら、クロイノとミドリメの餌にするぞ」
「なっ」
マースの家の大型犬がチョコとヌガーを食べる姿を想像して顔を顰めた途端、目の前でマースが爆笑する。
「ローイ、お前すっげえカオ! な、あいつらにやるのは勿体無いだろ? だからお前が食え。あ、ありがとうございます」
最後の台詞は祖母に向けて。美味しそうに冷たい水を一気飲みしたマースがまた笑う。
「じいさんの代わりにじゃがいも山程配達したんだぞ。いま、おれ、なかなかの金持ちなんだからさ。お前は有り難く受け取っておけばいいんだって!」
「マース」
どうすればいいのだろう。
考え倦ねてそっと表情を伺った祖母に笑顔で頷かれて、ようやく受け取ってもいいのだと納得する。
「ローイ?食べてくれるだろ?」
「うん。ありがとう」
本当はとても欲しかったから。嬉しくなって笑いかけるとマースもいっそう笑顔になる。
「じゃ、おれ、もう帰るから」
「え?」
「じいさんの手伝いしてやんないとな。最近は、なんでも自分でできるって無理しては、夜中に腰に湿布はるハメになってっからさ。あ、これはナイショってことになってるんで聞かなかったってことでお願いします」
くすくすと笑う祖母にマースがマジメな顔を向ける。
「ええ、わかったわ、マース。おじいさんによろしくね。明日クッキーを焼くわって伝えておいてもらえるかしら」
「じゃ、マジに早く帰ってやんないと! それじゃじいさん、明日は例え腰抜けてても這って来ちまうっ」
「マースったら」
きれいな声で笑う祖母は、いつでも少女のようで。祖母のことを好きなのは、なにもマースのお祖父さんだけではないということは、そんな祖母をみつめるマースの嬉しそうな笑顔をみるだけでもよくわかる。
「おい、ロイ。お前またなにか悪いこと考えてんだろ」
「まさか。帰るんだろ。チョコの御礼にそこまで送る」
「ちょ…、ロイっ」
貰ったばかりの菓子を掴んで扉に向かうと、祖母に挨拶をしたマースが慌てたように後を追ってきた。

「お祖母さん、もういいのか?」
扉を出てすぐに隣に並んだマースが心配そうに訊ねる。
「ああ。熱は午前中に下がったから。昼過ぎには起きてずっとセーターを編んでた」
「お前の?」
「いや。綺麗な緑だったから」
「じゃ、じいさんのだな」
「ああ」
僕らは二人揃ってマースのお祖父さんの透き通った翠色の瞳を思い浮かべる。
「じいさん、喜ぶな」
「まだ言うなよ」
「ああ、わかってるって」
にやりと笑うマースの隣で、僕はヌガーのセロファンを剥く。
「食べるだろう?」
「もちろん」
そのまま大きくあけられたマースの口の中にヌガーを放り込んで、こんどは自分のためのチョコを取り出す。
「ロイ、お前、ほんと甘いモン好きだよな」
「煩い。お前だって同じだろう」
「まあ、そうだけどな」
甘くて柔らかいチョコ。マースが買ってきてくれたのは、町でもたまにしかみかけない都会の大きな店のものだった。甘いチョコのなかにナッツとマシュマロが入ったそれは、祖母のお気に入りでもある。もうひとつだけ貰ったらあとは祖母に渡そうと考えていると、マースのお祖父さん譲りの翠の眼がきらりと輝いた。
「それ、全部お前のだからな」
「え?」
「じいさんも買ってきてるんだ。それ、お前が先にお祖母さんに渡しちまったら、きっとすっげえ怒られんぜ?」
だからちゃんとお前が食え。そのために買ってきたんだからな。
そう続けるマースの口調がひどく柔らかくて、僕はなんだかいたたまれない気持ちになる。いつも人を揶揄ってばかりのコイツがたまに向けてくるこういう温かさはなんだかとてもくすぐったくて妙な気分にさせてくれるから。
「やっぱ、旨いなあ、これ」
口いっぱいに頬張っていた筈のヌガーをいつのまにか、すっかり食べきってしまったらしいマースが嬉しそうに笑うのをみて、慌てて袋からこんどはチョコを取り出す。
「これも食べるだろ」
「だからそれはお前が食えって言ったろ。おれはお前のために買ってきたんだぞ」
「でも」
「じゃ、味見だけな」
「え?」
「舌、出せよ」
「なに?」
「いいから」
何がしたいんだろう。訝しさでいっぱいになりながら、そっと舌を出してみると、次の瞬間、視界いっぱいに近付いたマースの顔と、これまで感じたことのないざらりとした感覚。
「な…?」
「ああ、やっぱ甘いな、これ。お前みたいだ」
「え…マース?」
「お前だけのモンだからな。他のヤツには絶対やんなよ。また味見させろよな」
「マース?」
「じゃ、また明日!」
「マースっ?」
途端に駆け出したマースが、丘を登り切ったところでちらりと振り返って大きく手を振って。そのままくるりと踵をかえすとすぐに見えなくなる。
なんだったんだ、いまのは?
妙な感触が残る舌をそっと指で撫でながら、今起こったことをゆっくりと考える。

さっきここに触れたもの。
ざらりとした生温かいあれは。
…マースの、舌?

(マースが僕の舌を舐めた?)

自分に起こったことをようやく頭で理解した途端、一瞬で真っ赤になった頬を自覚しながらその場に座り込んだ。

(あのバカ!)


たぶんきっと意味なんてないんだろう。
マースはただ単にチョコの味見がしたかっただけ。
アイツはいつだって大人ぶっているけれど、キスだとかそんなものには興味もないし知らないんだ。
きっとそうだ、だってマースはお祖父さんとずっと二人暮しで、本だってそんなに読まないし、まして恋愛モノなんて読むわけがない。女の子にモテるけれど付き合ったことはないし、だからきっと知らないんだ。
そうだ、これがキスだなんて、しかも舌を舐めるなんてそんなことなんだかすごくヤらしいとか、そういうことはきっとなんにも知らないんだ、だから…

(また味見させろよな)

マースの残した台詞に一気に上昇する体温を持て余して、そのままその場に座り込んでいた僕は、心配した祖母が扉を開けて探しに出てくるまで、ずっとチョコを握りしめて…。



すっかり蕩けたチョコと舌に残った熱い感触。



僕らの夏は、なんだか酷く暑くなりそうな予感がした。




fin.