珈琲 / 白猫
【ヒューロイ】ハボロイ前提。(「珈琲」)





『温もり』





「なんつーか、アレだなぁ」
夕食を終えて帰って来た部屋で、皮張りのソファーに腰を下ろすと、サイドテーブルに伏せたままだった本を手に取る。昨夜読みかけながら、眠気に負けてそのまま放っておいた本を何となくパラパラと捲っているところにキッチンから掛けられた声は、一緒に帰宅した親友のものだ。どうせくだらない話をふっかけてくるだけだろうと見当をつけて、そのまま無視すると、気にした様子もなく、そのまま話が続く。
「こういうのが此処に置いてあるっつーのがなんともなあ」
なんのことだ?
わざとらしい言い方に、むっとしながらも、興味をひかれて顔をあげると、ヒューズの手には、ひとつの小さな茶色い袋。キッチンにあっても何らおかしなところのないソレに、思わず眉を顰める。
「珈琲だが?」
「珈琲だな」
うんうんと頷きながら、顎を擦るヒューズ。
「珈琲がキッチンにあって何が悪い? 他の場所にある方が問題だと思うが」
「だよなあ。キッチンなんだから、珈琲にミルク、砂糖まで揃ってんのは当然だな」
ニヤニヤと笑う奴の顔に、それらを揃えたのが金髪の部下だということを思い出した。
「文句があるなら飲まなければいいだろう」
ほんの僅かに逡巡した後、出来るだけ素っ気無く聞こえるように呟いてみれば、やけに嬉しそうに笑う奴。
「文句なんかあるわけねーだろ。俺の大事なロイくんが、こんなにも愛されてるって証なんだからな。おおっと、蜂蜜まであったぞ。バターに小麦粉に…なんだ、これは…膨らし粉? アイツ、菓子でも焼くのか? お、こっちにはドライフルーツか。瓶もえらく並んでんな。ジャムにピクルスに果実酒か。なんつーか、マメだねえ。あのすっ惚けたカオ見てたら、想像もつかねーんだがな。こっちの缶はなんだ。クッキーに…キャンディね。成る程なあ」
何が成る程なんだ。したり顔で頷いているヒューズを睨み付ける。
「そんなコワい顔しなさんなって。味も素っ気もなかったお前んちのキッチンが、こうやってちゃんとした食いモンで埋まっていくのはいい傾向だって感心してんじゃねえか」
手にしていた缶を、元の場所にきちんと戻してから、辺りを見回して。
「チーズに果物。そっちのケースにゃ、きっとパンでも入ってるんだろ」
「…それがどうかしたか」
「いやあ、お前、いい嫁さん貰ったなと思ってよ」
ケースの中身迄言い当てられて一瞬言葉に詰まったのを、可笑しそうに見ていた奴のとんでもない言葉にもう少しで咽せ返りそうになりながら。
「だっ…れがっ!」
「お前が」
「誰をっ!」
「ハボック少尉だろ。それともお前、他にも嫁さん貰ったのか?」
「貰わん! じゃなくて、ハボックも違うだろがっ!」
「お前がいつまでも独身でいるから、心配だったんだがなァ。これならそろそろ安心してもいいのかねえ」
人の話を聞きもせずに、頭を掻き掻きキッチンを見回すヒューズを睨みつけたまま。
「お前、一体何が言いたい」
「んー。思い遣りの感じられるキッチンってのはイイもんだなと思ってよ」
「……は?」
「わんこの愛情が溢れてるだろ、此処には」
「何のことだ。あいつが自分に都合のいい様に色々持ち込んでいるだけだろう」
「お前ね、それ本気で言ってんだったら、わんこ泣くぞ」
「私はいつでも真面目だが?」
「…お前、マジで判ってないワケね。あのな、ロイくん」
溜息をついてから、そのままゆっくりとテーブルを廻ってきたヒューズに、背後から背中を抱え込まれて。頬を挿んだ両手に、そっと視線をテーブルの上へと向けられる。
「此処には元々何も置いてなかったよな。せいぜい洗ったのか洗ってないのかわからねーようなグラスが放り出されてるくらいだったハズだが」
その通りなので、あえて口を挿むのは止める。
「今、此処にあるのは何だ? カッティングボードの上に乗せられてるチーズ。御丁寧にもナイフまで添えてあるな。隣の籠にはトマトに胡瓜に林檎。そのまま齧ることができるモンばかりだ。それにパン。これもそのまま齧れば食える」
「…それが?」
「缶の中にはクッキーにキャンディにチョコ。これもそのまま摘めるもんだな」
言われてみればその通りで、普段栄養がどうの、手料理がどうのと言っている割には案外いい加減なものだと、思った通りを口にすれば。
「…ロイくん。悪いことは言わねーから、それだけは、わんこに言ってやるなよ」
「どういうことだ」
「愛だろうよ、愛! お前ね、ほんと何にも判っちゃいねーよな。あのな、ロイ。料理に必要な野菜ってのはなんだ? 例えば、じゃがいも、ニンジン、タマネギか? だがな、そんなもんが此処にあったって、お前どうする?」
「どうもしないが」
「だろ? そんなモンは、料理人がいて初めて食い物として認められるもんだ。で、今此処にあるモンはどうだ。お前、あいつがいないとき、此処にあるモン食ったことないか?」
「…それは、もちろんあるが」
「だろ? 普段、食うことに執着しなくて、誰かに言われないと食うこと事体忘れかねないお前だがな。例えば夜中に読みふけっていた本からふと顔をあげて水でも飲みにキッチンに来たとき、このテーブルを見たらどうする? チーズ一切れ口にしようだとか、クッキーでも食うかとか、トマト齧るかとか、思うだろうが。パン一つ掴んだり、チョコの缶持ったまま書斎に戻ったりしたことないか?」
「…ない、わけじゃない」
「それがわんこの狙いだろ。なるべく面倒臭くなく、無意識のままにでも食べられるようなモンを選んでおいてあるんだよ、あのお前しか見えていない忠実なわんこくんは」

(なんでもいいんスから)
不意に、何気ないようでいて真剣なハボックの声が蘇った。
(別にあれもこれも食えとか言ってるワケじゃないんスよ。ただ、非番の日にも、きちんと食事くらいは取って下さいってお願いしてるんです)

いくら頼まれたところで、一度本に没頭してしまえば、食事など忘れてしまうのは仕方のないことだろうと開き直った自分に諦めた表情で溜息をついたあの青年は。

「こんなモノでも食わないよりはずっといいからな。あいつにしちゃ苦肉の策なんじゃねーか。わんこが休みのときには、どうせ栄養価の高いモンを山程食わされてるだろうしな」
くつくつと笑ったヒューズの手が、そっと降りてきて胸の前で重ねられた。僅かに力の籠った背後からの抱擁は、顔が見られないというのに、感情が流れ込んでくる。

「グレイシアと結婚してから」
耳許で囁かれる掠れた声。
「いつ、どんな時間に帰っても暖かい手料理が待っているようになった。明るい部屋、暖かい料理。それにグレイシアの柔らかい笑い声に綺麗な笑顔。エリシアが生まれてからは、赤ん坊の世話で手一杯なあいつに待ってて貰う気にはなれねえから、遅くなったときには待つなって言ったんだがな。それでも、どんな時間に帰っても、冷めても旨いように工夫した食事がテーブルに乗っかってんだよな」
「惚気か」
微かに絞り出した声に、柔らかい声が返されて。
「ああ、惚気だ。俺はなんてしあわせなんだろうって思いながらな、ロイ」
そして、また腕の力が増す。
「お前のことを考えていた」

「お前は今頃どうしているんだろう。寒くて暗い部屋に戻って、食うこともせず、ただ眠るだけなのか。俺が傍にいてやれば、無理にでも連れ出して、暖かい店で旨いものを食わせてやったり、寒い部屋に暖房をいれてやったり、酒に付き合う事だってできるのに」
お前は独りでいる。
ヒューズの口にされない言葉が、そのまま沁みて。

「この部屋に来るたびに、何もないキッチンを見るたびに思ってた。俺だけが、こんなにしあわせでいいのかってな」
「それは関係ないだろう。お前はお前自身でその幸せを掴んだんだ」
「それくらい判ってるさ。例え、誰に何を言われても、この幸せを手放す気なんぞない。だがな、ロイ」

お前が幸せでないのなら、意味がないんだ。

きつく抱き締められて、囁かれた言葉に、躯が震えた。


「私はしあわせだよ。なにものにも代えられない親友がいて、信頼できる部下もいる。女性にも不自由したことなどない。それに…」
「それに?」
僅かに震える声。何かを怖がるかのような。怖いもの等何一つない筈の、この男が。
「それに…抱き締めてくれる腕もある。そうだろう? ヒューズ」
言葉が終わらないうちに、くるりと身体を返されて、そのまま強く抱き締められる。
ロイ。こいつだけが呼ぶその名前を口にして。
「こんなことを言えた義理じゃねえのは判っちゃいるんだが」
ロイ。肩に埋められた口許から、僅かにもれる声が。

「悪い、ロイ。俺は、お前を手放せねえ」




「何を言うのかと思えば」
少しだけ笑いながら、そっと髪を撫でて。
「そんなこと、当たり前だろう? 今更、お前に捨てられてたまるか」
「ロイ」
驚いたように顔をあげたヒューズの眼鏡が頬を擦る。
「お前への想いとあいつへの想いは違う。そんなこと、お前がいちばんよく解っているだろう?」
誰よりも大切な家族がいるお前には。
「ロイ」
「だからヒューズ」
このままでいいんだ。
泣きそうな顔をした奴の眼鏡を外して唇を合わせると、慣れ親しんだ温もりに覆われるのを感じて。





身勝手さも我侭も承知の上。
いつか愛想を尽かされるまで、きっとこのまま。





fin.