chu ! / くろいぬ
【ハボロイ】【WD短編】






『chu !』



「中央に行く」
 数日前のことだった。
 電話に受話器を戻してすぐ、司令室内を見回して大佐が言った。
 ホークアイ中尉が無言で立ち上がる。
 数語のやり取りだけで、中尉は準備の為に部屋を出て行く。
 短縮された言葉から、彼女には必要なモノが全て判るのだ。
 この、あうんの呼吸は正直羨ましい。
 そんな想いを面に出さないようにデスクに向かっていると、大佐の靴音が近付いた。
「大総統じきじきの呼び出しだ。一週間程留守にする」
 一週間。
 室内の全員に向かって言ってるようで、実は俺ひとりに語りかけてる。

 先月、あの人に甘いお菓子を贈った。
 『愛する人に想いをこめて』というありふれた贈り物の風習を、冗談紛れにやってみた。
 たまたま見かけたんですよ。
 ほら、美味しそうでしょう?
 そう言って。
 想い人への贈り物のひと月後に、甘いお菓子のお返しをする風習があるのは御存知ですか?
 この人はどんな表情を浮かべるのだろうかと、緊張を隠してその顔を覗き見た。
「随分可愛らしい習慣だな」
 ふんと鼻で笑われて、後悔を感じて菓子を引っ込めようと思った瞬間、手が差し伸べられた。
「美味そうだ」
 くるりと背を向けそっけない振りをするあの人の、黒髪から覗く耳が染まっているように思えた。
「来月までに美味そうな菓子屋を見つける暇があるかどうか、判らないぞ」

 予言だったのかもしれない。
 見事暇が無かった訳だ。
 甘いお菓子に託して心のやり取りの出来る今日この日に、あの人は遠い遠いセントラルに。
 大総統直轄の地で、ツーカーの仲の中尉と共に、長い長い縁のヒューズ中佐の傍にいる。
「なんか、入る余地ナシって感じか?」
 深く溜息をつきながら突っ伏すのは、深夜の司令部のデスク。
 何とも間の悪いことに、昼間鉄道事故が起こり勤務のルーティンワークは狂い捲りのずれ込み捲り。
 ブレダ達は明日の早朝勤務の筈だが、奴等のやって来るまでの数時間を人気の少ない司令部で、急遽入った報告書類と親しんでいたりする。
 ほんの少しの期待があっただけに、自分でも予想外な程の気落ち具合だ。
 どうせ何も障害がなくとも、あの人がにっこり笑ってお菓子を贈り返してくれる筈もなかったのだが、でもちょっとくらいは夢を見られるかもと。
 勝手に夢見てただけだと思い知ったような気がしてた。

 ジリリン!

 ワンコールで受話器を取ったのは、まだ諦め切れてない望みがあったからかもしれない。
『セントラルのマスタング大佐から司令部ハボック少尉に、一般回線からの通信です』
「俺です、俺!」
 交換手の声が天使の歌声に聞こえた。

「大佐ッ?」
『なんだ、こんな時間まで何をしているんだ、ハボック少尉』
 一声目から笑いを含んでいる。
 こういう時のこの人は、実は機嫌がとてもよい。
「仕事熱心な部下の勤務評価を少しは上げて頂けると嬉しいんですが」
『普段からそうだと私も助かるよ』
 サボタージュの熟達者が何を言う。
「何か問題が?」
『いや、何も。時間が空いていたのでかけてみただけだ。そちらには何か問題は? 鉄道事故があったそうだが?』
「幸い人命に関わることなく、事故処理も滞りなく済み、目下必死で報告書の類を作成中です。書類の山をお楽しみに。セントラルから大佐がご無事にご帰還なさるのを、一日千秋の思いでお待ちしてますよ」
『たまには手抜きも必要だよ、ハボック少尉』
 大袈裟に呻き声をあげるから、思わず笑いが漏れるけど。
 ほっとしたと思ったら、何を言えばよいのか判らなくなる。
 伝えたい言葉なら幾らでもある筈なのに、どれを選べばよいのか判らない。

『声が聞きたかった』
 突然の声に、胸が高鳴る。
『満足したのでこれで寝る』
「大佐、ちょ、ちょっと待った!」
 ひとりで満足してそれで仕舞いとは、そりゃ余りに酷い。
『ああ、挨拶を忘れたな。すまないが少尉、「おやすみなさい」と言ってくれないか? そうしたら私は、とても健やかな気持ちでベッドに入れるのだが』
 俺は眠れませんがね! つか、まだ仕事中なんですけどね!
 ……思ったけれども、優しい声で言ってみた。
「大佐、おやすみなさい。よい夢を」
『ああ、おやすみ』
 きっと笑みを浮かべながら言ってくれてる。
 電話越しの声に確信を持ち、思わず口元がほころんだ。




『ハボック、目を瞑れ』
「はァ?」
 急に言われて間抜けな声を返した。
『いいから、もう瞑ったか!?』
「は、はい、サー!」
 短気な声に、訳も分からず目をひき瞑り。

 chu.

 小さな音を最後に電話が切れた。
「……えっ!?」
 受話器に驚きの目を向けても勿論反応がある筈もなく、通信断絶の信号のみが静かに続くだけなのだけど。
「えっ?」
 砂糖菓子みたいに小さなキス。
 心も体も甘く染まってしまいそうなキスに、ただただ絶句。




fin.