| 青空 / 白猫 |
|
【ハボロイ】 『青空』 「あら、おかえりなさい、少尉。いろいろ大変だったわね」 一日で帰って来られる筈の出張が、先方の都合で半日延びて、漸く戻って来た所だった。季節外れの猛烈な暑さと、皮肉なほど爽やかに晴れ渡った青い空。やっとの思いで辿り着いた東方司令部の建物に、一歩足を踏み入れた途端、涼やかな声が掛けられて、顔を上げる。 「無事に片付いたのかしら?」 「ええ、まあ。無事っつーか、なんつーか。まさか泊まりになるなんて思ってもみなかったスから、着替えのひとつも持ってなかったんですよ。これ、書類提出したら、一度着替えに戻ってもいいっすかね?」 「勿論いいわよ、と言いたいところだけれど」 ホークアイ中尉のカタチの良い眉が顰められるのを見て、毎度お馴染みになった嫌な予感が頭を過る。 「大佐、見かけなかったかしら?」 案の定、想像していた通りの言葉に、小さく溜息が漏れる。 「戻ってからはまだですけど。…また消えたんスか?」 「昼食のあと暫くは机に向かってくれていたのよ。でも、さっきコーヒーをいれて戻ってきたら、姿が見えなくて」 「最近真面目に仕事してたと思ったんスけどねえ」 「確かに机には向かってくれていたけれど。仕事の内容はセントラルからヒューズ中佐が持ち込んでこられたものばかりだったもの。こちらの仕事がたまっていて大変なのよ」 「じゃ、大佐、今朝からずっと書類に向かってたんスか?」 それならば、そろそろ、あの、キレモノなクセしていい加減な上官のサボリ癖が出てきても仕方がないかと苦笑しかけたとき、ホークアイ中尉のさり気ない一言に、煙草を取り出そうとした手が止まった。 「そうでもないわ。今朝まで結局セントラルの仕事に掛かり切りだったから」 「ヒューズ中佐は、昨日の夜の列車で帰られたんじゃなかったんですか?」 「今朝の列車に乗られたみたいね。大佐が朝、駅まで送っていかれたそうよ」 「…へえ。そうスか」 「お陰で出勤も遅れて、お昼前に漸く顔を出してくれたところだっていうのに、この有り様ではね。ねぇ、少尉?」 綺麗な笑顔がかけてくる、無言の圧力。 「…探してきます」 「悪いわね。すぐに連れて戻ってきて貰えると助かるわ。書類は私が持っていきましょうか?」 「…頼ンます」 書類を受け取るなり、くるりと踵を返して、部屋に戻っていく中尉を見送るうちに、なんとなく大きな溜息が漏れた。 (で、大佐。何処なんスかね) 煙草に火をつけながら、頭を巡らす。この暑さのなか、いくらサボる為とはいえ、外でうろうろしているとは、考えにくい。 (空いてる会議室に資料室に書庫に倉庫に貯蔵庫に用具入れ……) 取り敢えず、これまで、上官をみつけた覚えのある場所を片端からあたることにする。 「ったく。どこにいるやら」 数日間、中央からの客人に取られっぱなしだった人を探す為に。まずは、地下にある書庫からあたってみることにして、階段へと足を向けた。 「大佐、おられますかぁ?」 真っ暗な部屋に、自分の声が響く。総務で借りて来た書庫の鍵束が、ガチャガチャと音をたてるだけで、人の気配は感じられない。 (余所かな) ざっと見回したあと、場所を移動しようとして、その扉に気付いた。 書庫の中のたくさんの書棚に隠れた小さな扉。そこには、5年以上前のさして重要でもない書類の束が、廃棄処分を待つだけとなって、押し込まれている筈だった。普段、使うことのないその扉の前には、いつもなら、大きな可動式の書棚が鎮座している筈なのだが。 (動いてる) ということは。 (詰めが甘いっすよ) 思わず苦笑いしながら、ゆっくりと扉に向かう。 「えーっと、鍵は…」 たくさんの鍵の中から、小さな鍵を見つけだして、そっと鍵穴に差し込む。小さな音をたてて開いた扉から、そっと身体を滑り込ませると、黴臭いニオイがつんと鼻をついた。 「大佐?」 扉の脇にあるスイッチを押すと、真っ暗だった部屋が、一瞬で明るくなる。わざわざ探すまでもなく、目当ての人が、壁に凭れたまま眠っているのを見つけて。 「…また、そんなトコで眠ってるし」 「ん…」 突然明るくなった部屋を嫌がるかのように、大佐の腕があがって、目蓋を覆った。 「大佐。ホークアイ中尉が怒ってますよー」 「…ハボック…?」 「目、覚めました?」 目の前に跪いて顔を覗き込んでやれば、漸く細く開いた目蓋の奥に覗く黒い瞳。 「お前、…帰ってきてたのか」 「今、帰ってきたところです。部屋に入るヒマもなく、中尉に、あんたの捜索を言い付けられたんすけどね」 「眠い。放って…おけ」 「寝てないんスか?」 なに気ない言葉の筈だったけれど、何かに感付いた大佐が、真直ぐに見つめてくる。 本当に、このヒトは。こういうときには、やたらと聡い。 「お前はどうなんだ? ちゃんとホテル用意して貰ったのか?」 そのクセ、どうでもいいことばかり口にして。 「大丈夫っすよ。さすがに着替えまでは用意して貰えなかったっすけど」 「そうか。御苦労だったな」 「あんたに会いに戻ってきたかったんスけど、戻ってきたら鉢合わせでしたね」 「ああ、そうだな」 ちょっとした意地悪のつもりの言葉にも、動じるフリさえしてくれない。 「大佐。ほんとにそろそろ戻った方が…」 仕方なく立ち上がろうとした時、突然寄り掛かってきた大佐の髪が首筋に触れた。 「大佐?」 「外は良い天気なのか?」 「へ? え、まあ、そうスけど。やたらと暑いっすよ。でも、こんなトコにいたら、わかんないでしょうが。ほら、せっかくだから、お陽サンにでもあたりに…」 「わかる」 じめじめして黴臭い部屋の中で何を言うのかと思ったとき。 「お前、青空の匂いがする」 そして、ふうわりと廻された腕に、軽く抱き締められる。 「た、大佐っ!」 「気持ちいいんだ。黙ってろ。このまま…」 そして、ヒトをクッション代わりにしたまま、眠りに入ろうとする人。 「ちょ、それはマズイですって! 中尉がっ…」 「このまま二時間寝かせろ。そうしたら…」 今夜、部屋で待っててやる。 偉そうに口にしてから、即行で眠りに落ちていく人を、唖然とした思いで見つめる。 二時間後には、頂点に達しているだろう中尉の怒りは、きっと自分にも向けられると予想しながらも、動けない自分に溜息をつきながら。 透き通る程に明るい晴れた日に。 冷たい地下室のなかで、青空を感じて。 fin. |