蒼 / 白猫
【ハボロイ】『花束』『手料理』の続き







『 蒼 ー君への花束ー 』







夕暮れ時特有の柔らかい陽に照らされた石畳に、軍靴の硬い靴音が響いた。その音に気付いた者は、ふと顔を上げて、そして安心した様に笑みを寄越す。中央に移動してから、できる限りの日課にしている市内の巡回は、少なからず効果をあげているのかもしれなかった。尤も、そんなことを言えば、いつでも自分の傍から離れることのない部下に、即、返されるであろう言葉も大概予想はつくのだが。
(あんたのはただのサボリでしょ。第一、アンタに挨拶すんのは、ほとんど女性ばかりじゃないっスか)
買い物籠を下げて小さな子どもの手をひいた若い母親に会釈をすると同時に、以前呆れ顔で呟いたハボックの面白くなさそうな声を思い出した。
(いざ何かあったときに、いちばんの味方になるのは、いつでも女性なのだよ)
そんな風に応えて浮かべた笑みに、大きな溜息を返してきた長身の青年は、その挨拶が、毎回警護に付き添う自分自身にも向けられていることには、少しも気付いている様子はない。
(あれで、女性に対してもう少し細やかに気遣いができれば、ずっとモテるのだろうに)
思わず、くすりと笑みを漏らしたとき、こちらを向いて深く頭を下げる花屋の主人に気付く。昼間、世話になった礼を言うために、ゆっくりと近付きながら、既に殆ど片付けられかけている店先をそっと眺めた。


花を届けて欲しい。

親友の眠る場所に、例え一時でも、花を途切れさせたくないと、市内を巡回する中、いつでもいちばん瑞々しく美しい花を店先に並べていたこの店を選んで頼み込んだ。
いつでもその日いちばん綺麗な花を。彼が愛した妻や娘のように、優しく咲く花を。
彼が、彼女達が、淋しさを感じる暇もないように、その場所に、と。
親友のことを思えば、未だ醒める筈もない憤りや悲しみがわきあがる。それでも、そんなことを頼む余裕もできたのは、久し振りに綺麗に晴れ上がった今日の青空のおかげかもしれなかった。


「もう、店じまいかな?」
昼間、店を埋め尽していた鮮やかな花は、すでに殆どが売れてしまったようで、残っているのは、小さなバケツに数本の切り花。
「おかげさまで、今日はきれいに売れてくれましたから」
にこにこと笑う主人に微笑み返してから、残された花を見る。鮮やかな青色のそれは、まるで今日の青空のようにさえ見えて。
「これは、売り物かね? よかったらわけてもらえないだろうか」
「それはもちろん構いませんが。ただ、量が少ないんで、立派な花束にはなりそうにも…」
申し訳なさそうに腰を屈めた主人にいそいで言葉を足す。
「いや、そのままで構わない。気に入ったので、持って帰りたくなっただけだから。おいくらかな?」
財布を取り出した途端、主人が大慌てで手を振った。
「とんでもございませんっ。昼間あんなに頂いちまったのに…」
そして、手にした花を綺麗な紙でくるりと器用に巻き付けてから、顔をあげる。
「リボンは何色に致しましょうか?」
「いや、それは…」
結構だ。そう言うつもりで上げた視線が、小さな木の台に置かれた細い金色のリボンを捕らえた。

金色のリボンと青い花。
不意に、太陽の光をいっぱいに浴びてきらきらと輝く金色の髪と澄んだ青空の瞳が思い浮かんだ。

「ああ。それでは、その金色のものを頼む」

今頃は、きっと大きな鍋いっぱいに作ったシチューを温めなおしているだろう青年の顔を思い出して微笑むと、目の前の花屋の主人の顔が何故だかうっすらと朱く染まった。






「お前、何をしているんだ?」
ハボックのアパートメントの程近く。大通りに面したガレージから、頬を機械油で真っ黒く汚して出て来た本人とはち合わせて思わず眉を顰める。
「大佐? わ、すいません、もうそんな時間ッスか?」
「少し早く上がれたのでね。お前は、また屑鉄を磨いていたのか」
「……大佐。いつも言いますけどね、これは屑鉄磨きじゃなく、愛車の整備で…」
「続きは、ソレが動くようになってからきこう」
くるりと背を向けてアパートへと歩き出すと、慌てたようについてくるハボック。
「そんなモン、すぐっスよ。そのときには、ドライブ付き合って貰いますからね」
「お前のその前向きな態度が仕事にも向かえばいいのだがね」
「あんたに対しては前向きっすから。それだけで充分でしょ」
そんなことを言って笑う姿に、小さく肩を竦めて。
「シチューはどうした?」
「出来てますよ。自信作なんで、期待してて下さい。いくらあんたでも、文句つける隙ないっすから」
アパートまでの短い距離を歩きながら、軽く交わされる会話。その間にも、隣に並ぶのではなく、僅かに下がって背後を守るのは、こいつに染み付いたクセなのだろう。
「定位置か」
「はい?」
「なんでもない。そんなことより、早くシャワーでも浴びて来い。腹が減ったんだ。早くしないと他所に食べにいくぞ」
「御冗談!」
大袈裟に肩を竦めたハボックが、その瞬間だけ先に出て、玄関の扉を開ける。
「邪魔する」
「ただいま、でもいいんスけどね」
「馬鹿か、お前は」
苦笑するハボックの前を通り抜けようとして、ふと、手にした花束を思い出した。
「ああ、そうだ、ハボック」
「はい?」
「手を出せ」
「はい?」
そして出された手に、青い花束。
「お前にやる」
「……へ? あ、あの。大佐、これは…。えっと、あの、はい?」

突然渡された花束に、背後でかたまった青年を残して部屋に入りながら。
なんだかひどく可笑しくなって、こっそりと笑い続けた。





fin.