| 雨 / くろいぬ |
|
【ハボロイ】【R指定】 『雨』 憲兵達の敬礼を受け軍司令部ゲートを出たハボック少尉は、空を見上げた。陰鬱な雲に覆われた空から、涙のような雨が降りしきる。ここ数日の目まぐるしさを思い返し、自分の気分そのままのような天候だと、ハボックは思った。 綴命の錬金術師の為した所業は、生理的な嫌悪を掻き立て過ぎた。 父が、慈しんで来た娘を。 夫が、生活を共にして来た妻を。 生み育てて来た娘と、獣である犬とを。 国家予算から莫大な研究資金を使う国家錬金術師の醜聞は、社会へは伏せられる。軍内部ですら、既に情報の統制がなされていたが。それでも『国家錬金術師』への恐怖は口伝えに広まって行く。 『人間じゃねえよ…』 つい先日、焔の錬金術師の驚異的な技を目の当たりにした憲兵が洩らした言葉を思い出した。民間の錬金術師には感じない嫌悪を、軍人ですら国家錬金術師には感じているのだ。 「人間だから、怖いんじゃねえか」 ハボックは雨の中煙草に火を着けた。湿気た煙草のいがらっぽさが喉を刺激する。 『もうすぐ査定の日です。お忘れなく』 「綴命の錬金術師を」「今日」「娘と犬との合成獣の錬成に駆り立てたのは」「自分の伝えたこの言葉だったのかもしれない」。 そう思うと、酷く落ち着きが悪い。 二年連続の低い査定評価で、国家資格を剥奪されるかもしれないということは、タッカーはずっと承知していたのだろう。上がらぬ研究成果に、この二年間ずっと焦慮を抱いていたのだろう。だが。 悪魔じみた所業に手を染める、その動機は酷く「人間」的過ぎた。 鋼の錬金術師との出逢いも、狂気に拍車をかけた切欠のひとつなのかもしれないとハボックは思った。自分のしがみつく『国家錬金術師』の資格を、ティーンエイジャーになる前に取得してしまった天才児の存在は、嫉妬や焦りを感じさせるには充分だろう。 焔の錬金術師の存在も同じことだ。イシュヴァール戦で功を為し、軍という活躍の舞台を与えられた人間を、研究室に閉じこもっていたタッカーは、一体どのような想いで眺めたのだろう。 「ちっぽけで、愚かな人間なんだよなあ」 自分が後にしたばかりの司令部エントランスで、同じようなことを鋼の錬金術師が叫んだのを、ハボックは知らない。 「やな天気だねぇ」 ハボックは天を向いた。煙草はとっくに雨に濡れ、溜息替わりの紫煙を吐き出すことすら出来なかった。 煙草すら吸わない人間は、今一体、どう過ごしているのだろう。 ハボックの足が、向きを変えた。 「こんばんは。ご在宅とは思ってませんでしたよ」 「いいから入れ」 焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐は、ずぶ濡れの部下を室内に招き入れた。 「傘くらい使いたまえ。風邪をひくぞ」 ハボックに向かってタオルを投げ付けると、ロイはボードからグラスをひとつ取り出した。ハボックが通された部屋のテーブルには、三分の一程減ったブランデーのデキャンタと、飲みかけのグラスがあった。 「こういう鬱陶しい天気の夜は、ひとりで呑むくらいだったらまだ、誰か付き合いのよい女性を呼びだして、刺激的な香水の香りの中で天国みたいな思いをしてくれてた方が、安心出来んですけどねぇ」 「上司思いの君には悪いが、女性を気分転換の道具に使う程、私は悪辣じゃないよ」 濡れてずっしりと重たいコートを脱いだハボックに、ロイは肩を竦めて見せた。 ブラインドを上げたままの窓硝子に雨が涙の筋を付けた。黙ってブランデーのグラスを重ね、甘い芳香に酔いながらハボックは、涙の痕を目で追い続けた。 ハボックの視界の隅で、焔の錬金術師も黙ってグラスに口を付けている。ハボックに傘を使えと言った上司は、当の本人もしっとり冷たく濡れた髪にタオルを被ったままでいた。青白い顔色からして、躯を温める為のシャワーすら使ったようには見えなかった。軍服のコートを脱いだまま、雨の湿気を吸った冷たいシャツを着ているのではないかと、ふとハボックは思い付いた。 「エドがショックを受けてましたね」 「ああ」 「子供には重た過ぎましたね」 「子供は真っ正直に全部受け止めるからな。だが彼は鋼の錬金術師だ」 ソファに浅く腰掛けたロイは、膝に体重を乗せるように肘を突き、両手でグラスを抱えた。 「無理矢理納得してでも、進むしかない。自分も同じ国家錬金術師であることを選んだ時から、ロクでもない目的の為に錬金術を使うと承諾したことを、納得するしかないのさ」 深く被ったタオルに隠れた目線は、掌の中のグラスの琥珀の水面に注がれていた。ブランデーは小さく揺らぎ、グラスの内側にアルコールに煽られて乱れる涙の筋を付けた。ロイの掌の体温に温められた波頭は金色に輝き、甘い香りを漂わせた。ハボックの見つめる前で、ロイはグラスを一息に空けた。 「……ああ、子供には重いだろうな。真っ正直に受け止めるばかりで、酒で喉を灼く感触に紛らわせることも出来ないのではな」 ロイはグラスを置いた。 「ハボック少尉、躯は暖まったかね? 車を呼んでやるから、今日は帰って早く休むんだな」 立ち上がったロイを見上げ、ハボックはゆっくりとシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。一服吸い込み、深々と一息紫煙を吐き出す。 「重いでしょうね。真っ正直に受け止めるばかりで、紫煙に紛れた溜息をつくことも出来ないのでは」 ロイの目が大きく見瞠いた。 「今夜、デートでもしててくれたらって思ってましたよ。そうしたら、ドアの前で大人しく待ってて、気持ちよく疲れたあんたが眠る為に帰って来たら『おやすみなさい』って、俺に可能な限りの優しい声出して、ドアをそっと閉じればいいと思ってましたよ。大佐がゆっくり休んでくれるんなら」 ハボックはテーブルの隅に置かれた来客用と思われる灰皿に煙草を押し付けた。 「気分転換の道具に、使っちゃ貰えませんかね? 上司思いの部下の心意気に免じて」 立ち上がり、ふたりの間を隔てていたテーブルを回り、ロイの正面に立った。 「……溜息をつくと幸福が逃げるという言葉を、君は知っているかね?」 「今は、見えない幸福よりも掴まえたいものが目の前にある」 ハボックの延ばす腕からロイは逃げなかった。抱き寄せ、近付く唇からロイは逃げなかった。 「ああ、やっぱり髪も唇も冷たい」 「熱いシャワーでも浴びようかと思った時に君が訪れたんだ」 「呑んでた癖に」 尚も言い募ろうとする唇に、ハボックは再び唇を重ねた。 きつく抱き締めると、重ねた唇から吐息が漏れた。薄く開いた歯列に、ハボックは舌を滑り込ませる。酒精の甘い香りに惑わされたか、ロイは素直に自分の舌をハボックに絡めた。 「ん」 途中、息を飲み込むロイの仕草に、ハボックの背筋にぞくりとした感覚が走る。ハボックの腕の拘束が更に硬くなり、ロイは躯を捩った。 「別に今更逃げはしないよ」 「逃す気もないスけどね。余裕もあんまりないんですよ」 ハボックはロイの白いシャツの襟を広げ、首筋に唇を押し当てた。ざらりと鎖骨まで舌を滑らせ、強く吸う。噛み付くようなキスは、鎖骨から滑らかな胸の仄紅い突起に移動した。 「……痛っ。アト付けたり、歯を立てたり。君の言う『上司思い』ってどんなだか、今度じっくり聞かせて貰うからな」 「反省なら後からたっぷり。でも今は。大佐、あんたを温めたい」 「……!」 ハボックがロイの躯の重心を崩し、ふたり、くずおれるように床に倒れ込んだ。 「う。いい加減に……」 「いい加減に、何スか?」 胸から鳩尾を通って臍まで唇を落としたハボックに、ロイは呻くような声を上げた。 腕にはシャツを絡めているが、ボトムはとっくにはぎ取られ、剥き出しにされたロイ自身はハボックの熱い掌に握られたまま、体温差を意識するばかりになっている。 「何やったら大佐が喜んでくれるか判んないですからね、全部ゆっくり、試しながらやってるだけですよ」 ハボックは、ロイの臍から、浮き出す腰骨の内側に沿って鼠蹊部まで唇をずらした。滑らかな皮膚の下に青白く走る血管に沿って、強く舌を押し付ける。 「……くぅっ、っ、……あッ」 ロイの脚が屈み込むハボックの躯の両脇で跳ね上がった。熱を持ったロイ自身は、未だハボックの掌にきつく握り込まれたまま、時折指先で先端をゆるりと撫でられるだけだ。 「ナニ、手温いことばかり、してる……?」 「気分転換になるように、気ィ狂わせるようにしてます」 「ッ!」 先走りに濡れる先端に息がかかるように、ハボックは口にした。無意識にロイはハボックの顔を押しやろうと腕を延ばしたが、そのまま強く掴まえられる。 「どうするとあんたは気持ちがヨクなるんです? 声抑えてばかりいないで、命令してください」 ロイの掌が無理矢理自分の屹立に押し当てられ、指を絡めさせられる。 「気持ちイイところを教えてください」 絡めた指ごと疼く屹立を咥え込まれ、舌を這わされてロイはきつく目蓋を閉ざした。 「手、動かして」 くぐもった声がロイの意識を霞ませる。 「あんたの好きなように動かして。俺にあんたのリズムを覚え込ませてください」 「……!? ん、んッ……!」 屹立に絡めたロイの指に更に重ねられたハボックの掌が、摩擦を早めた。同時に、唾液らしきものに濡れた指がロイの後蕾に触れ、侵入する。 「ハボ……ック」 ロイの躯が強張るのを感じ、ハボックは顔を上げた。絨毯に横たわり素肌を晒したロイが、自分の躯に脚をきつく絡め、目蓋を閉ざして躯を委ねている。冷え切っていた顔色も、頬から目元まで上気して、薄く滲んだ汗に乱れた黒髪が幾筋も貼り付いている。 「暖まりました?」 思わず、心からの言葉がハボックの口から洩れた。 抱き締めて、何も判らなくなる程狂わせてしまいたいと思っていたけれど。人目に嬌態を晒す、何より人間らしい『交わり』というモノから、何物にも代え難い熱を感じ取ってくれればと思っていたけれど。 欲した人を狂わせたいという愚かしさを、赦して欲しいと願っていたけれど。 「ア……ツい。おまえが、熱い。私の、カラダも、アツい」 ロイの腕が、ハボックを引き寄せようと、延ばされた。 「もっと、アツくしろ」 躯を重ねた後、ロイは泥のような深い眠りに落ちた。朝までの数時間傍らに眠ろうと、ハボックは寝室から毛布を探し出した。ロイの体温を感じられるように、眠りを妨げないように、そっとふたりの躯を毛布に包み終えようとした時に、ハボックは煙草を一本吸っておけばよかったと思い付いた。 「そう言えば。灰皿置いてたんだな」 来客用と、何も不思議に思わず自分が吸い殻をねじ込んだ灰皿が、今何故急に気になりだしたのか、ハボックには判らなかった。 『タッカー氏、並びに、氏の錬成した合成獣の殺害事件』が発覚し、司令部佐官自宅に緊急連絡が入ったのはその数時間後。セントラルからタッカー氏連行の為に訪れたヒューズ中佐とハボック少尉が顔を合わせるのは、更にその数時間後のことだった。 降り続ける雨の中、また新しい一日が始まる。 fin. |