■■■ re-born
三蔵の唇の端が片方、きゅうっと引き上がった。
微塵の甘さも感じさせない、不貞不貞しい笑み。
それなのに。
顎を少し持ち上げるいつもの表情を、淡い酔いに染まる頬が彩った。
『ドウスル?』
瞳だけで問うあなたを、逃がしたりなんてしない。
夕食後に戻った宿の部屋、閉じたばかりのドアに三蔵の痩身を押し付け、唇を味わう。
触れる瞬間だけ強張るけど、僕の唇を押し付けるとすぐ、それは薄く開いた。
躯ごとの、脱力。
忍び込ませた舌を、受け止めて僕を誘う甘いあなたの舌。
滑らせて絡ませると、言葉よりも明瞭らかに返る熱。
唇を離して舌先だけで触れ合うと、伏せた睫毛が目に入った。
愉しんでいる?
駆け引きを。
三蔵の頭蓋に沿って金糸に潜らせた指で頭を固定すると、髪よりも濃い色合いの睫毛が完全に閉ざされた。
「逃げたいなら、今のうちですよ?」
「逃げる…?喰らい尽くしてやるから、待ってろ」
ゆっくりと上がった目蓋から、紫色の瞳が現れたと思った瞬間、襟を掴まれた。
「……っ!?」
だん!と、ドアに背をぶつけられる。
「大人しくしてろ」
ずるそうに口元を歪めたのは、多分面白がっているんだろう。
三蔵は僕の目の前でわざと唇を舐めてから、目蓋に接吻けて来た。
「目ェ瞑って黙ってろ。……誰が大人しくプレゼントなんぞになってやるか」
後半の言葉は半ば独り言に埋もれ。
それでも僕は、三蔵の舌が睫毛の生え際にそってゆっくりなぞった感触が、いつまでも消えないようで目蓋を閉ざした。
暗闇の中、押し付けられた躯の弾力と温度だけを感じていると、唇が塞がれた。
滑らかで、少しひんやりとした、三蔵の唇。
僕の唇を軽く挟んで、猫のように舌で撫でる。
つい三蔵を抱き締めようと力を加えた腕を押しやられ、虚空しか掴めぬ掌に戸惑っていると、舌が侵入して来た。
僕の下唇をくすぐるように行き来して、するりと奥まで入り込んで来る。
また、舌先だけを踊らせ合う。
今度は互いの口蓋の中で、交互に誘い合うように舌で遊ぶ。
熱さと甘さに、浮遊感にも似た気分に囚われる。
三蔵の舌が、歯列をなぞったかと思うと不意に離れ、僕は酷く淋しくなった。
「……目ェ開けるなって、判ってるな?」
笑いを隠した神妙な口調に、諦めて腕を垂らした。
三蔵が遊んでいる。
僕で。
唇をついばみ、髪に指を潜らせて、大人しく為されるがままの獲物の耳元で、満足げな溜息をつきながら。
かり。
たまに歯を立て、膚の上に爪を滑らせながら。
耳朶の軟骨を暫く囓っていた彼が、囁いた。
「イイコにしてろ。……動くのも禁止」
肩や胸に押し付けられていた重みが離れ、一瞬の肌寒さを感じたと思うと、襟元に手が掛けられた。
首筋で空気が動いた。
開いた襟に顔を近寄せた、三蔵の吐息だった。
三蔵は両手に襟を掴んだまま、首を捻るようにして僕のあぎとや首筋に甘噛みとキスを残して行った。
動物が戯れているような、例えば仔犬や仔猫がじゃれついて来るみたいな、痛覚を刺激する甘ったるさ。
罪なき小鳥についばまれるような、無力感。
どうしよう。
怒ったり暴れたりしちゃ、いけないんだ。
下手に掴まえようとしたら逃げられてしまう。
傷付けてしまう。
そういう怖さ。
目を瞑ったままでひたすら堪える時間を、衣擦れが遮った。
僕の首筋に唇を付けたまま、三蔵がボタンを外していた。
ぷち、と、耳がひとつの音を拾う度、胸元が緩く広げられて行く。
ぷち。
ぷち。
少しひんやりした指が、胸元を大きくくつろげた。
左右に押し開き、鎖骨の上を辿って肩の関節を握り込むように。
三蔵は僕の筋肉の流れに沿って、手甲に包まれたままの掌を動かした。
撫でて、指先で確かめる。
思わず上がった体温も、早まる鼓動も、じわりと膚をしとらせた発汗も、三蔵の指先が辿って確かめる。
「剥かれるのって、結構緊張するもんなんですね」
「喋んな」
小鳥が華奢で鋭い爪で枝に掴まり、果実に嘴を突っ込むような。
そんな手当たり次第の接吻けに、眩暈がして来そうだった。
「……さんぞっ」
「黙ってろと言ったろうが」
三蔵は胸から鳩尾までを食い散らし、臍に唇を当てたままで応えた。
声は空気も膚も震わせて、そのまま背筋を走り脳髄を痺れさせる。
だらりと寄り掛かったドアの薄さが、時折廊下を行き交う人々の気配に揺れた。
足音。
声。
荷物を下ろす音。
ノック。
重たい靴音ががたがたと、伝って壁を振動させる。
ざわめきを背中全体で感じながら、僕は小鳥についばまれ続けた。
バックルの軽い金属音がした。
ボタンを外し、ジップを下ろす。
何をやっているのかが判り過ぎて、我慢出来ずに目を開けた。
膝立ちの三蔵が、僕のジーンズの前を開いてアンダーを下げ、とっくに主張を始めてしまった僕自身を取り出そうとしている。
腰や腿に絡んだままのジーンズに手こずるのか、三蔵の唇は少し不満げに突き出されていた。
柔らかそうな、濡れた桃色の唇。
取り出し、跳ね上がる僕のものに指をかけ、薄く開いて近付く。
「……見るなって言ったよな?それっぽっちの命令も守れねえのか」
見計らったように僕と目を合わせた三蔵が、眉を顰めて見せた。
吐息が熱くかかる距離で、僕に引っ掛けた指先で、上向いてしまうものを弄ぶ。
染まった頬に映える紫色の瞳が上目遣いで僕を見、視線を合わせたままで大きく口を開いた。
さっきまで絡ませ合っていた薄い舌を、三蔵は伸ばした。
接吻けに朱を増した唇から、濡れた紅い舌を先を尖らせ、見せつけるように突き出す。
思わず鳴ってしまった喉の音を聞きつけ、三蔵の眉が片方、微妙に角度を上げた。
吐息が近くから掛かった。
三蔵が、笑ったみたいだった。
僕と目を見合わせたまま三蔵は指を遊ばせ、僕のものにくいと力をかけて上向くものを無理に下げては、撥条仕掛けを弄ぶように弾く。
尖った舌が近付き、弾かれて揺れる僕の先端が触れた。
三蔵の突き出した舌に触れ、行き来する肉の先端が濡れて行く。
また嚥下に喉を鳴らした僕を、三蔵は面白そうに眺めながら紅い舌を見せ続け、指は益々調子に乗って、子供が気に入った玩具で遊ぶように、同じ動作を延々と繰り返した。
単調な刺激のもたらすじれったい快感が、より深い情欲を呼び覚ます。
「三蔵」
「何だ」
僕の声に答える間も、三蔵は僕を弄ぶ動きを止めずに、肉の側で桃色の唇を見せつけた。
濡れた唇から白い歯と紅い舌が垣間見え、また大きく開いて舌を突き出そうとする。
「三蔵。咥えて」
垂らしていた腕を金糸の頭に伸ばし、掌を頬から後頭部に沿わせた。
無理矢理頭を引き寄せたい衝動を必死で抑えているのが伝わってる筈なのに、三蔵はさも呆れたと言わんばかりの声を出す。
「……堪え性のねえ奴」
ゆっくりと口を開いて、焦らすように舌を僕の先端から滑らせた。
紅い舌の上に乗せられて、奥の暖かな感触を思い出した僕の腰が動きかける。
進めたいと。
それに気付いた三蔵が、一瞬肩を緊張させて、顎を大きく開いた。
三蔵の後頭部に宛てたままの掌が、ほんの少しの首の角度の変化や顎の動き、背の撓りまで、全て感知する。
三蔵の目蓋が伏せられ、金色の睫毛が紫暗の光彩を半分隠した。
もう、我慢しなくてもよいのだと。
この先を委ねられたのだと知った僕は、三蔵の喉の奥まで腰を進めた。
熱くて狭い所を突くと、更に包むように三蔵の舌が圧して来る。
喉の奥が苦しいのか眉をきつく寄せ、でも歯を噛み締めてしまわないよう三蔵は顎を開く。
僕を咥え込んだ唇が、肉が出入りする度に濡れて捲れた。
揺れる金糸から見え隠れする、三蔵の白皙をもっと眺めたくなり、ポケットを探った。
昼間貰った赤いリボン。
金色の髪を指で梳くって結おうとしたのに、三蔵はそれを嫌がって頭を更に揺らした。
熱い口中で破裂したくなる衝動が強まるけど、三蔵の顔が見足りなかった。
しっとりと重たい髪を両掌にまとめようとするのに、三蔵は逃げ続ける。
挙げ句に後ろに躯を引いて、僕のものから口を離して避けようとした。
「まだ、駄目です」
頭蓋を掌で包み込むように押さえた。
片方の掌で三蔵の頬から額を撫で、顔に被る前髪を梳かし上げると、三蔵は嫌そうな顔をした。
「そのまま、続けて」
しゃぶりながら睨み付ける、その目の前で赤い色を揺らした。
金色の睫毛にリボンが擦れる瞬間、三蔵はきつく目蓋を閉ざした。
細いリボンは柔らかく三蔵の鼻梁の脇から額を撫でて行く。
青白くさえある三蔵の貌の、眼窩の翳りやこめかみに色合いを映して、瞬間瞬間僕の目には紅を刷いているように見える。
「似合うのに」
小さな声で言ったのに、三蔵は不満そうに片目を開けて、僕を甘噛みした。
「だって今度はあなたが大人しくしている番でしょう?」
文句を言われる前に、僕の腹に擦れそうな、三蔵の鼻先をリボンで撫でた。
貌を横切るように撫で、両の目蓋の上を渉り、垂れて落ちた頬を遡ってこめかみから額へ。
赤くて艶やかなリボンが束の間、三蔵を彩り飾った。
開きっぱなしの唇に赤い色を近付ける。
僕のを咥える唇に、紅の色を塗ったらきれいだろうと、密かに思う。
口に出したら、きっと猛烈に怒り出すのだろうけれど。
三蔵の顎に触れたリボンが、唇の端から流れた唾液に濡れ、色を濃くして張り付いた。
唇の側を通るたび、リボンは唾液を吸い上げ、えんじ色に染まって行く。
つう。
濡れたえんじが、三蔵の貌に張り付き、冷たい感触を残して撫でる。
「んぅ。」
微かな声を、三蔵が漏らした。
眉が、口中の肉の行き来と関係なく顰められた。
えんじが睫毛に触れると、苦しそうに鼻腔が震える。
何かを訴えようと、濡れた睫毛が上がって紫暗の瞳が僕を見上げた。
「……目ェ閉じてて、いいんですよ?」
えんじの色素が滲んで三蔵の頬に薄らと色を移した。
頬に、唇に。
鼻梁を斜めに。
上気に紅潮した、瞑ったままの目蓋の上に。
リボンは濡れて赤い色を残して行く。
「とてもきれい」
三蔵に聞き咎められる前に、今度は両手で金色の前髪を掻き上げて、動いた。
髪に潜らせた僕の指から、えんじのリボンが、三蔵の額に垂れていた。
三蔵の貌のラインに張り付き、首筋に向かって流れ落ちる。
濃いえんじと滲む薄赤に染まる三蔵の、僕ひとりの為のはしたない装いが、とてもきれいだと思った。
今はもう、駆け引きを諦めてしまったかのように、目を瞑ってなされるがままの三蔵の、『喰らい尽くしてやる』という宣言を思い出した。
三蔵も僕に喰らい尽くされてくれたんだろうか。
少しでも躯に心に、僕の色を留めることは出来たんだろうか。
こんなにもひとりの人を思ってばかりの僕は、やっぱり喰らわれてしまったのだろうと思った。
カラッポになるまで喰らい合えたら、
カラッポのウロの中に溜まる蜜のように、互いだけを、
ねえ、だから
えんじの絡まる三蔵の貌を掴まえて、最後の律動を。
「最後まで飲み尽くして。全部」