desert rose / くろいぬ-2 |
【ノックス】【ロイ】【ヒューズ】【ガンガン '05 新年号ネタ】【イシュヴァール】 『シェヘラザードはホーメロスの夢を見るか』 「おいおい……」 イシュヴァールの地で最初に検死の為のテントに入っての、第一声はコレだった。 狭いテントの中央には解剖台、布地の壁沿いには中身の詰まった死体袋がきっちりとしまわれた棚が並んでいた。 「おかしいとは思ったんだよなあ、戦場に医師としてではなく鑑定医として呼ばれるとは」 色んな物が焼けた後の、生臭い焦げ臭さが充満していた。 「なんだァ、これ全部焼死体かよ……」 以前、工場地帯で起こった大規模火災や、全焼した乳幼児施設から運ばれた大量の遺体に携わったことがあった。 男か女かも判らぬ焼けた棒きれのような遺体をつぶさに見た。 小さな躯は簡単に燃え上がり、劫火に巻かれて灰すら残らないケースも多く、ストレッチャーに移そうとするだけで崩れる炭化した幼い遺体を目の前にして、やり切れない思いをした憶えがあった。 だがその経験を買われたのだろう、少し恨めしいような気分ではある。 死体袋の口を開け、遺体を幾つか確認してから口を突いて出た。 「女子供の死体までありやがる。アメストリスの軍人だけじゃねえな、こりゃイシュヴァール人か。……軍はイシュヴァールまでバーベキューに来ておいて肉の焼き加減に注文付けようってのか」 「ご明察」 背後から声をかけられ内心ぎょっとした。 自分ひとりと思い込んでいたテント内に、若い男が陰鬱な表情で佇んでいた。 「バーベキュー係りの腕が不確かなもので、プロに焼け具合の解説をお願いしたいんだ」 真新しい肩章からすると彼は少佐の地位にあるらしい。 若さに似合わぬ昇進振りというか…… 男はゆらりと前に進み、死体袋のひとつを開いて見せた。 無表情な顔から手元に目線を動かし、彼の手袋に気付いた。 白地の手の甲に緋色の紋様。 焔の錬成陣。 「貴方に、ここの遺体の一体一体が、どの程度焼けているのか、焼死に至るまでにどのような状態であったのか、出来る限り教えていただきたい」 「おまえさんが噂の国家錬金術師ってことかい」 「ロイ・マスタングです」 マスタングは、自分の名を音に表す時に、苦いものでも口にしたかのように僅かに唇を歪めた。 ここに並ぶ焼死体すべて、焔の錬金術師ロイ・マスタングが作り出したのだ。 何時間にも及ぶ作業だった。 検死解剖の間中、焔の錬金術師は傍らに立ち続けた。 「No.8、十代後半から二十代後半、男性。焼死」 時折顔を蹙めている様子ではあるが、マスクで隠れてマスタングの表情は見えない。 錬成陣の描かれていない、手術用の手袋に包まれた手指で苦労しつつも、頻りにメモを取り続ける。 「随分きれいに芯まで丸焼けてるな。かなりの高温に曝されて殆ど即死に近い状態だろう」 「……この男の立てこもる室内に水を流し込んで、水素酸素を錬成した。外気の流入が制限されて酸素濃度が安定していたし、周囲に可燃物も多くあった」 「あんた、この死体のひとつずつをどうやって焼いたのか把握してんのかい?」 「ああ」 メモの手が止まった。 「今回は特殊です。焼け具合のコントロールがどの程度出来るのかレポートを提出しろとの命令が下ったので、色々試した」 「頭がおかしいぜ……」 遺体の中には、捕縛されていたと思わしき不自然な姿勢のものもあった。 ではこいつは死刑執行人なのだ。 「こっちの手足がばらばらな奴は?」 「術の有効距離のテストで加減が判らずに吹き飛ばしてしまった」 「だろうな、肺の破裂と外傷性のショックが死因だ。……錬金術師の中に、人体を丸ごと爆発させる奴もいただろう?」 「ああ、キンブリー」 即座に返った声に、微妙な成分が混じった。 「彼は、体内に含まれる微量要素や対象周辺の地面に含まれる硝石等から、爆弾そのものを作り上げる」 「おっそろしいねえ、そのキンブリーさんとやらも、マスタングさん、あんたもよ。あんたらと行動を共にする兵士達は始終根性試しをしているようなもんだな」 「ああ。私が彼らなら、とっくに逃げ出したくなってる」 マスタングの顔付きだけでは、冷静なのか投げやりなのか判らない。 検死は続いた。 「No.15、性別不明、体格や乳歯の数から二、三歳の幼児と思われる。圧死。死後に焼損」 横目で伺ったマスタングの様子に変化はない。 「こりゃあ、No.14とセットか」 同じような状態の女の遺体を、たった今みたばかりだった。 母子だろう。 「倒壊炎上した家屋の瓦礫の下で、重なって倒れていたそうだ。武器を持って立てこもった連中と一緒に発見された。私が殺した中に父親もいたのかもしれないな」 平坦な調子で続く声に、こっちが絶え切れなくなった。 「おい」 無表情な瞳がこちらを向く。 「休憩だ。立ちっぱなしは腰に来るぜ」 長時間同じ姿勢で立ち続けで、背を反らすと骨が鳴る。 手を消毒液に漬けてから振り向くと、マスタングはまだ解剖台の前に佇んでいた。 「マスタングさんよ」 声をかけてから、後ろ姿がまだか細いことに気が付いた。 「……焔の錬金術師さんよ!」 「!」 雷に打たれたようにマスタングが躯を震わせた。 自分の名を呼ばれても気付かぬ程の放心の中、『焔の錬金術師』の二つ名を聞き、恐れの表情で振り返った。 焔の錬金術師の名が、若い彼の心臓に烙印のように捺されている。 キンブリーの名を口にした時に彼が浮かべた表情の意味が判ったような気がした。 「ボケっとしてねえで、あんたも外の空気を吸って来な」 「そうさせて貰います」 テントの出口へ向かおうとした足取りが乱れ、上体が揺れる。 「おい……!」 「……すみません」 くずおれかけた所を支えるが、彼はすぐに自分で立ち上がろうとした。 「もう大丈夫です。殺戮マシーンの国家錬金術師ともあろう者が、自分で焼き殺した遺体の検死解剖に立ち会って貧血を起こすとは。とんだ醜態をお見せした」 「知らねえのか? 医者は軍人よりタフじゃないとやってけねえんだよ」 肩を支えながら顔の半分を覆うマスクを外してやると、マスタングが見上げて来た。 二十歳を幾つも超えていない幼ささえ残る顔付き、間近なものを映し出す黒い瞳。 印象的な瞳の下には薄い隈の陰が刷いてある。 「戦争には休戦も終戦があるが医者は二十四時間年中無休でな。産まれるのも死ぬのも、待てと言って待ってくれるようなモンじゃねえ。早寝早食い早グソの癖が染みついちまって困ったもんだ」 この肩の薄さは。 「……おめぇさん、ちゃんと食ってんのか?」 「残念ながら育ちがよいもので中々早食いが身に付かない」 「よく言うぜ」 士官学校の出で軍のメシには慣れてる筈だと言うと、マスタングは唇を薄い笑みの形に歪めた。 軽い躯を引きずってテントの外に出ようとすると、急に陽気な声が降って来た。 「どうした、ロイ。腹が減って立ってられねえか? それとも消毒用アルコールでも飲ませて貰って気持ちイイってか?」 「ヒューズ」 マスタングの声の響きに、思わず目を見瞠った。 テントの出入り口の真ん前にいた男は人懐こい笑みを浮かべ、器用なことに敬礼をしながらマスタングの躯を受け取り、テントの陰へと引っ張って行った。 「ドクター。御世話になったようで」 ヒューズと呼ばれた青年は、マスタングを座らせるとそう言った。 「悪いがまだ終わっちゃいねえんだよ。何せここの気温が高いもんで、遺体がこれ以上どうにかなっちまう前に検死を済まさにゃならんもんでな」 「あれ以上にひどくなりますか」 ヒューズの声が低くなった。 「生焼けのもあるからな。夜通し作業をすれば、明日気温が上がる前には全部埋めてやれるだろう」 「ケツを蹴り飛ばしてでも起こします。……三十分か一時間後に」 ヒューズの視線を追うと、その先では焔の錬金術師が、座った筈の場所に横倒しで眠っていた。 夕暮れが近くなっていた。 ヒューズは煙草を取り出し、マッチに赤い火を灯した。 黙って手を突き付けると、ヒューズはくしゃくしゃの煙草のパッケージを寄越した。 マスタングは地面に倒れたまま、ゆっくり安定した呼吸で眠っている。 東側から空は夜の色に沈み、小さな星が浮かび始めた。 煙草半分を灰にした頃、同じ方角を見ているヒューズに聞いてみた。 「おまえさん、この錬金術師とは付き合いが長いのか?」 「せいぜい士官学校からっすけどね」 年寄り相手に警戒するような返事が返る。 「濃いィ付き合いっつか」 「ダチか?」 今度は煙草を咥えたままで、値踏みをするように見返して来る。 「あいつ、食ってねえだろ」 「食えねえ時は何やっても無理っすよ。吐き戻して喉が荒れるばっか。水だけは飲ませてるけど」 苦く笑う。 「水だきゃあ鼻摘んででも飲ませろ。ブドウ糖の塊と塩剤やるからひまがあったらあいつの口ン中に突っ込んどけ。メシの時間に食えなくても、小鳥にやるみたいに少しずつでも飲み込ませろ、何でもいいから」 「小鳥っすか?」 「ああ可愛い可愛い小鳥ちゃんだ。随分と物騒でバカでかい小鳥だがな」 「世話見んの俺ですか?」 「他にいんのか?」 「やります、やりますよ。水とブドウ糖と塩剤ですね」 それだけじゃないと判ってるだろうに。 この男の姿を見た瞬間のマスタングの、救いを求めるが如き声音を聞いたろうに。 焔の錬金術師の名を聞いた瞬間。 ヒューズの声に呼ばれた瞬間。 恐れと希望をほんの一瞬垣間見せた以外の、マスタングのこの鉄面皮は。 殻に閉じこもるように感情を押し込め隠した無表情は。 いや。 あれは必死の自衛なのだろうとも思う。 軍服に身を包んで胸に幾つ勲章をぶら下げたとしても、人は人でしかあり得ない。 軍の命令による殺戮にしても、自ら腕を振るうのであれば、人間の焼き具合をテストの為に加減したり、攻撃的な敵ばかりと思い込んでいた場所に非戦闘員の母子が隠れていたりなどということを、無感情に過ごせるものではない。 ─── そう思う。 どんな命令も機械的に果たしながら、押し殺した感情が歪みを生んで行く。 歪み、軋んで、壊れて行く。 歪みを表に現さず、軋む音を漏らさずに、いつかばらばらに壊れてしまう。 「ヒューズさんよ」 「はい」 砂まみれで眠る錬金術師から目を離した瞬間、ほんの短い時間ヒューズは、歳相応の優しさと苦しみと、焦慮とやり切れなさを表情に浮かべていた。 「 ─── 軍人が。こんな命令聞けるかと蹴っ飛ばしたり泣き喚いたり出来りゃ、世話ないよなあ」 ヒューズはぽかんと口を開き、そして盛大に笑い出した。 「ガキみたいに駄々捏ねて命令吹っ飛ばすんスか? そりゃいい、気分がいい。そんな軍隊、恐ろしくていられやしないけど!」 呼吸が出来ない程に笑い続け、腹筋の痙攣を抑えられるまでに煙草はすっかり灰になった。 白い灰が風に飛んで、砂漠の砂に紛れて消えた。 ヒューズはフィルタだけになった吸い殻を砂の中に突っ込み、しゃがみ込んで自分の膝に顔を突っ伏した。 「ドクター。泣いて喚くことが出来たら、こいつは少しはラクになれるんだろうか」 「泣けるならな」 「いっそ泣かせちゃおうか」 「女をナかせるんなら自慢にもなるがな」 自慢にならなくても、泣かせてやれよ。 押し潰されそうになってあげる悲鳴と苦しみの呻きを、おまえだけは聞いてやれよ。 そんなことは言われずとも、判っているだろう男の肩を軽く叩いた。 「時間だ」 ヒューズは宣告通りに、マスタングのケツを軍靴の先で突いて奴を起こした。 「ロイ、続きの時間だ。全部終わったら太っ腹のドクターが、エチルアルコールで乾杯してくれるってよ」 「どこの兵隊もしょうがねえなあ……。エチルを振る舞う程度、構やしねえがな。旨かねえぞ」 手荒い目覚めを迎えた眠り姫は暫く茫然と辺りを眺めていた。 「ああ、ここはイシュヴァールか」 「何だよ、天国にいる夢でも見てたのか?」 明るい声をかける男を、幻でも見るかのように目を細めて眺める。 「いや。久々に夢も見ない深い眠りだった。……砂漠の夢を見なかったから目覚めた時にどこにいるのか判らなかったのか」 「いつまで寝惚けてるつもりだ、ロイ」 「寝惚けてなぞいない。ヒューズ、おまえ、私の尻を蹴り飛ばしただろう。憶えてるぞ」 「それこそ夢だってば。……ってオイ、痛えよ、蹴るなよ」 ヒューズの視線を背に感じつつ、マスタングと共に焼死体達の待つテントに戻った。 「ドクター、続きを」 静かな声が、自分が手を下した遺体をメスで切り開けと言う。 黒い瞳の奥に夢まぼろしと現実を彷徨った名残を探そうとしかけて、意味も意義もないことだと思い、やめた。 砂漠を焔の紅で染める錬金術師こそが、悪夢のような殺戮の伝説を紡ぎ出すのだ。 鮮やかな悪夢の向こう側を思い描くより先にすることがあった。 「No.16。検死解剖を行う」 伏せた目蓋が微かに震えたような気がした。 それもまた、砂漠だけの幻だったかもしれない。 fin. |