小さな幸せ



 by 日下部葉月    




「ご苦労であった、頼久」
「はっ」
「今日はゆっくり休むがよい」
「御前失礼致します」

左大臣の供で、嵯峨野方面へ出向いていた頼久は昼過ぎにようやく役目から開放された。
今は龍神の神子であるあかねが主筋なのだが、今回の参詣は鬼に狙われる可能性があり、京で大きな力を持つ左大臣を警護するようにとあかねに言われたため、5日ほど土御門殿を離れていた。

「神子殿は、お元気だろうか」

ふと、小さく呟く自分に気がつき頼久は慌てて頭を横に振る。
(違う・・・・いや、違わない。5日もおそばを離れていたのだ、おかしいことではない)
そう自分に言い聞かせ、深呼吸しながら気を落ち付けている頼久を、くすくす笑いながら見ている人物がいた。

「おかえり、頼久」
「友雅殿・・・・留守中変わったことはございませんでしたか?」
「そうだねぇ・・・・あったような、なかったような」

不意に考えこむように腕を組む友雅に、頼久は血の気が引く。

「な、何かあったのですか!?まさか、神子殿の御身に!」

真っ青な顔をして詰め寄る頼久に、心底困ったような顔をして友雅は小さく溜息をつく。

「そうだね、頼久には話しておいた方が良いかもしれないね」

ふと、その瞳が悪戯っぽく光ったことに、頼久は全く気がつくことなく真剣な顔で友雅の言葉を待っている。

「実はね・・・・神子殿は『病』を患っておいでなのだよ」
「や、病!?」

5日前、出掛けて行く時、元気そうだったあかねが病を患っているなんて・・・・頼久は蒼白になり、あかねの元へ今にも駆け出そうとする。
その腕を捕まえて、友雅は首を振る。

「神子殿は今、病を押して怨霊退治に出かけておられる」
「なっ!!!何故お止めしなかったのですか!」
「我々が、あの神子殿を止められると思うのかい?」
「そ、それは・・・・しかし!」

噛みつかんばかりの頼久を言い含めるように、友雅は話す。

「それよりも頼久に頼みがあるのだよ」
「は?」
「神子殿に関することなのだがね」

その一言で、頼久の動きが止まった。



駆け出す頼久の後姿を見送って、友雅は小さく笑う。
それを影で見ていたのか、鷹通と天真が姿を見せた。

「本当に、あれでよかったのですか?友雅殿」
「ふふっこれで大丈夫だろうと思うがね、天真はどう思う?」
「けっ!なんで、敵に塩を送るようなことをしなくっちゃいけねーんだよっ」
「まあ、それが神子殿の望みならば、ね」

小さく肩をすくめて、友雅は館を後にした。

同じように小さく溜息をつくと、残された鷹通と天真は藤姫の元へ向かった。

「そうですか、それでは頼久は?」
「友雅殿に言われた通り、双ヶ丘へ向かったようですよ」

そうですか、と藤姫は安堵の溜息を漏らす。

「本当に、ここ数日の神子殿のご様子を見ているだけで、こちらが苦しいくらいでしたわ」
「あいつがあそこまで・・・・とはな」
「今まで近くにいた天真殿でもわからないのでしたら、我々にわかるはずはありませんね」
「でも、友雅殿は気がついていらしたのですわね」
「あの方は、やはり女性の機微には敏感ですね」

ずり落ちた眼鏡を直しながら鷹通は苦笑した。

「うまく行けば宜しいのですが・・・・」

外を眺めながら、藤姫は呟いた。




双ヶ丘の山頂で、あかねと詩紋、永泉は休憩を取っていた。
爽やかな五月晴れの下、詩紋が作ってくれたお弁当を広げ、気分はピクニック状態である。

「今日は絶好調だね、あかねちゃん」
「え?そうかなぁ?」
「ええ、ここ数日のことを考えますと今日の神子は・・・・なにか良い事でもありましたか?」

柔らかく微笑みながら問いかけられ、あかねは赤面する。

「な、なにもないですよ!た、たまにはこんな日もあってもいいでしょ?」
「たまにはでは困る」

背後からの冷静な声に一同ビックリして振り返ると、そこには憮然とした表情の泰明が立っていた。

「泰明さん?今日は陰陽寮でお仕事じゃなかったんですか?」

今朝そう藤姫から聞いたけどと、あかねは泰明を見上げる。

「永泉を借りていくぞ」
「泰明殿?」
「え?泰明さん???ちょ、ちょっと!?」

有無を言わさず永泉の袖をつかむと泰明は立ちあがらせる。

「永泉、おまえの笛が必要なのだ。いくぞ」
「は、はい!」

つられて返事をすると、永泉はあかねに深々と頭を下げる。

「すみません、神子。どうやら私の浄化の笛が必要なようですので、泰明殿と参ります。お勤めの途中で心苦しいのですが・・・・」
「永泉さん、大丈夫だよ!僕が一緒にいるから」
「うん、詩紋君がいてくれるし、怨霊は退治しちゃったし、大丈夫ですよ、永泉さん」
「そうですね、それでは神子、失礼します。詩紋殿、後はよろしくお願いします」

それでは・・・・と、永泉は小走りに、先に行ってしまった泰明の後を追っていった。
その後姿を見送って、あかねは小さく伸びをすると、また草の上に座りこんだ。

「良いお天気だね〜こんなに空が晴れ渡って・・・・なんだか私達の世界にいるみたいね」
「本当だね。きっと帰れるよ、ね?」
「うん、頑張らなくっちゃね・・・・」

一瞬表情が曇ったあかねを詩紋が見逃すはずはなかった。

「あれ?あそこにいるのって・・・・」

詩紋が理由を聞こうとした瞬間、あかねが山道を指差して立ちあがった。
そこには見なれた赤い髪の少年が何かを探すように歩いている。

「あれ?あかねと詩紋じゃん?」

イノリが驚いた様子で駆け寄ってきた。

「イノリ君こそ、こんなところでどうしたの?」
「ああ、あいつをこの辺で見たっていう奴がいてさ、探しに来たんだ」
「あいつ、って・・・・イクティダールさん?」

無言で頷くイノリ。

「私達は見ていないけど・・・・」
「そか、じゃあもう少し探してみるか」

親指の爪を噛みながら悔しそうにしているイノリに、あかねは心配そうに問い掛ける。

「今日は怨霊退治も終わったし、手伝おうか?イノリ君。いいよね?詩紋君」
「うん、そうだね」
「お、助かる!」

3人はバラバラになって周囲を探し始めた。
隠れられそうな草むらや、洞がないか、あちこちを探す。
そんなところを探しても、そう簡単に見つかるはずもなく・・・・それでも一生懸命に探しているイノリを見るとあかねは手を休めることができなかった。
(私に、泰明さんや永泉さんのように気を感じる力があったらなぁ・・・・そうしたらきっと、すぐに見つかるんだろうに・・・・)
ふいにそう思って、あかねは力なく座りこんだ。

龍神の神子と言われて、崇め奉られて、でも、自分はなにもしていない、できていない。
八葉に護られているだけで・・・・
鬼の女、シリンに『護られているだけでなにもできやしない』と言われた事を思い出し、あかねは涙が出そうになった。
悲しくて、悔しくて・・・・
しばらくうずくまっていたが、溢れそうになる涙をぐっとこらえて、あかねは立ち上がると軽く頭を振った。

「私は私にできることをやるだけ・・・・そうだよね・・・・」

呟いて周囲を見ると、いつのまにかイノリも詩紋もいなくなっていることに気がついた。

「あ、れ?イノリく〜ん!詩紋く〜〜ん!!」

叫んでみるが返事はない。
いつの間にか、空は茜色に変わっている。
吹き抜ける風が、急に大きな孤独感をあかねの心に吹き込んだ。

「や、だ・・・・・詩紋君!!イノリ君!!!どこ!!」

草むらをかき分け、先程休憩していた大きな木の根元に戻るがやはりそこには誰もいなかった。

「どうしよう・・・・仕方ない、ここで少し待っていようかな♪」

勇気を奮い立たせるように大きな声で明るく叫ぶとあかねは木にもたれて、刻々と色が変化していく空を見上げた。
ぎゅっと両肩を抱きしめていたあかねは、ふと馬のいななきが聞こえたような気がして、体を硬くした。
(まさか夜盗・・・・・?)
一瞬のうちに最悪のシナリオが頭をよぎる。
女房たちの噂話で語られる、夜盗に襲われた姫の悲劇が嫌でも思い出される。
動いちゃいけない、気づかれないようにしなくては・・・・あかねは根元に座り込むと体を小さくし、ぎゅっと目を閉じた。
その間も、馬の蹄の音はどんどん近くなってくる。
(誰か・・・・みんな・・・・助けて・・・・頼久さんっ!!)
心の中で叫んだ瞬間、近くで馬のいななきが聞こえ、蹄の音が止まった。
誰かが馬を降り、こちらに向かってくる。



(もう・・・・・・見つかっちゃうよ・・・・・・・・・)



ぎゅっと閉じた目から涙が溢れそうになる。
夜盗に弄ばれる位なら・・・・そう、決意して立ち上がろうとした瞬間――――






「神子殿っ!」

覚悟を決めた瞬間あかねの耳を打ったのは、聞き馴染んだ優しい声・・・・大好きなテノール。
この数日間離れて、こんなに想いを募らせていたことに気づかされた存在。
慌てて瞳を上げると、暗闇でほとんど表情はわからないが、確かにそこに頼久がいた。

「・・・・よりひさ・・・・・さ、ん?」
「ご無事でしたか・・・・よかった・・・・」

心底ホッとした声が聞こえたかと思うと、次の瞬間あかねはその腕の中に収まっていた。
驚きよりも、安心できる温もりに、なぜか涙が止まらない。

「神子殿?お怪我をなさっているのですか?」

急に泣き出したあかねを腕に収めたまま、頼久は心配そうに声をかける。
その問いかけに首を横に振ると、あかねはそのままぎゅっと頼久の着物をつかむ。

「こわく、て・・・・ごめんなさい、なみだ、とまんない、よ・・・・」

泣きじゃくるあかねの髪を躊躇いがちに撫でていた頼久が、急にあかねを抱き上げる。

「よ、よりひささんっ!?」
「帰りましょう」

驚いて思わず暴れそうになるあかねに、頼久は少し厳しい声で言うと馬へと歩き出す。
その声に上目遣いで頼久を見上げるあかね。

「頼久さん・・・・?」
「先程、友雅殿より、神子殿は病を押して怨霊退治に出かけられたと伺いました。そんなお体で無理をなさって・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?私、いたって元気ですけど」

あかねの素っ頓狂な声に、頼久は思わず動きを止める。

「しかし・・・・そうお伺いして・・・・」

あかねは今朝、出かける前に友雅と会ったことを思い出す。
簀子縁で、頼久のことを考えている時だった。
ここ数日、しおれた花のようだと言われたことを思い出して、あかねははっとした。

「まさか、友雅さん・・・・・・気がついて・・・・・・じゃあ、まさか、これも・・・・・・・・・」

あかねの口をついて出た疑問が、確信に変わる。
いつのまにか想いを寄せていた頼久が傍にいなくて寂しかったこと・・・・それを、自分が気がつく前に、友雅は気がついていたのだろう。
実際友雅だけではなく、頼久以外の八葉は全員気づいていたのだが。
よく考えてみれば、詩紋やイノリが自分を置いて帰るなんて絶対にありえない。
その事実に突然気がついて、あかねは真っ赤になる。

「友雅殿が・・・・何を気づかれたのですか?」
「あ?え??あのっ何でもありませんっ!!」

慌てて頭を振るあかねを不思議そうに見つめ頼久は問い掛ける。

「頼久さんは・・・・どうしてここへ?」
「友雅殿に、お迎えに上がるようにと・・・・無理をなさっているので、歩かせてはいけないと・・・・それでこのような無礼を・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・友雅さんったら・・・・・・・・・・・」

小さく溜息をつくと、あかねはぎゅっと頼久の首に腕を回す。

「神子殿?」

慌てる頼久に、いつのまにか涙の止まったあかねは満面の笑顔を見せる。

「無礼なんかじゃないです。少し、こうしていてもらえますか?安心・・・・できるんです」

あかねの言葉に赤面しながらも、頼久はその腕に少しだけ力を込める。
いつのまにか昇ってきた月が、そっと2人を照らし出す。
月明かりの中しばらくそのまま動かなかったあかねが、そっと頼久を見上げる。

「・・・・・・・おかえりなさい、頼久さん。お勤め、お疲れ様でした」
「ただいま戻りました・・・・また明日から、この頼久をお傍に」
「はい、よろしくお願いしますね」

明日からまた始まる戦いを、ほんの少しだけ忘れて、あかねは今の幸せをかみ締めていた。











◇◆◇◆◇






「月下の祈り」様の800カウントを踏み、リクエスト小説を書いて頂きました。
リク内容「頼久×神子と八葉」です
よりぃ、大好きなんですが、滅茶苦茶不機嫌そうな泰明さんが、気になりますvあの、不本意そうな口振り…(笑)。大好きだわ。

はづちゃん、素敵なお話さんきゅーvvvです。


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