BLUE
「珍しい魚が手に入ったって。八戒が。」
 三蔵の頭を撫でながら、悟浄が呟いた。
「キッチンに行ったら、大きくて、青い魚が。頭なんて、悟空よりも大きいかもな。」
 何が可笑しいのか、くつくつと笑いながら、悟浄は指を動かし続けている。三蔵は、薄目を開けて、何かしらの反抗を試みたが、睡魔に負けて、再び目を伏せた。僅かの時間の昼間の光の中で、窓から見えたツツジの花が白い残像を残した。浅いまどろみの中を行ったりきたり。意識を外界に浮上させる度に、悟浄の話はいつも違うものになっていた。ただ、低く、静かな声の音程だけが変わらない。そして自分の髪を撫で続けていた。嫌がって身を捩って逃げ出す事は容易な事だったが、程良い重みと大きさが、眠気を妨げる程の怒りを引き出す事を困難にさせていた。悟浄の掌は、いつも乾いて暖かい。
「バターソテーにするとか。やっぱ生臭いのかな。あんな大きな魚。」
 先程から悟浄が話しているのはどうやら今夜の夕飯の材料の事らしい。大きくて、真っ青の魚らしい。別に興味は湧かなかった。閉じた瞳の中で、闇の中、青い魚が横たわっていた。その上に、ツツジの花が、白い花を咲かせていた。花弁は木の幹を離れ、蝶のように舞い、落ちて、段々と、青い魚の身体を隠してゆく。
 夢とも、うつつともつかぬ意識の中で、耳の後ろに悟浄の掌が掠った。大きく息を吸い込めば、微かな埃とシーツにしみついた洗剤の香りが鼻腔を通り過ぎた。
「青い身体に、黄色い斑点がついていて、目玉はすごい群青色。生きていたら、もっと綺麗なんだろうなあ、って言ったらさ。」
 悟浄は相変わらず魚の話をしている。自分を眠らせたいのか、起こしたいのか、耳元で囁くように話を続けている。吐く息が耳を擽って、僅かに肩を竦めた。
「違うんだって。」
 こころなしか、低く、聞こえた声が神経を現実に引き戻し、三蔵は目蓋を震わせた。
「水深の高いところに居て、生きている時は赤いんだって。水から引き上げた途端に死んで青く染まるんだって。あんな綺麗な青に。」
 不思議だな、と漏らして言葉を切った。きっと笑っているのだろう。こういう時は、いつもこいつは、、意味も無く、笑うのだ。
「本当は、海に居る魚なんだって。何でこんな内陸に居るんだろうって。」
 悟浄の声が遠くなった。身を起こす気配がした。
 軽く、足を折り曲げて、三蔵は目を開いた。白昼の白い光りが網膜に刺さって目を眇めた。
「…海、かあ」
 悟浄は窓の外を眺めていた。そこには白い花が咲いていた。強い光りに照らされて、輪郭の定まらない白い花を、悟浄は眺めて、海を想っているのだ。
 海に、行きたいのか、と、訊ねようとすれば、悟浄がこちらを振り向いた。
「でっかいのかなあ」
 三蔵は口を噤んだ。行きたいと、応えられて、自分はどうするつもりなのか。判らなかった。
「なあ、三蔵」
「…何だ」
 短く言って、腕をついて半身を持ち上げた。微かな衣擦れの音がした時に、視界の端で悟浄が口を開いたので動きを止めた。何故だか僅かな物音にさえも、彼の言葉がかき消されてしまうのではないか、と思えたのだ。
「西に行ったら、海に行かない?って誘ったら?」
 少し巫山戯たように無邪気な笑顔で悟浄が問いかけてきたのは先程恐れた言葉だった。三蔵は、睨むようにこめかみに力を込めて悟浄の顔を見つめた。
「…面倒」
「…やっぱりなあ」
 大したショックも受けなかったように悟浄が笑う。
「じゃあ、もし。」
 そして相変わらずの軽い口調で言葉を続ける。
「俺が余命僅かで、最期に海が見たい、って言っても?」
 三蔵は視線をきつくした。巫山戯た事を言う。
「殺しても死にそうにねえ奴の、か?」
 なるべく、そっけなく言ったつもりの自分の声の低さに驚いた。
 悟浄は少し目を見開いて、そしてまた笑みを濃くした。
「下らねえ」
「そっか」
 ごろり、と枕元に仰向けに寝転がった。紅い髪が、白いシーツに広がった。紅い髪。
「ああ。でも。俺は結構嬉しい」
 上目遣いに紅い瞳に見つめられた。紅い瞳。咀嚼するように、三蔵は言葉を頭の中で繰り返した。
「そんな顔、してくれるんだ。」
 悟浄の笑った顔が逆さまに飛び込んできた。
 
 
「熱、随分下がったんじゃねえ?」
「もう、ねえよ」
「熱なかったら死ぬよ」
「阿呆か」
「阿呆だよなあ」
 あはは、と寝返りを打つ。紅い髪がさら、と流れる。悟浄の顔が隠れた。
「早く、西に辿り着けるといいな」
 ぼそり、と呟かれた言葉に三蔵は空を眺めた。
 もう少しも眠くはなかった。












note
020630に閉鎖された「アイシテル」様のフリー小説を頂いて参りました
とても繊細なお話を書かれるaiさん、今後はオフラインでご活躍とのことです
またaiさんのお話と出逢えることを期待してますv



aiちゃん、お疲れさまでしたあ。いつかまた飲みましょうーー


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